第一話 違和感の正体

2/2
前へ
/53ページ
次へ
 晴夏(はるか)と一緒にテーブルを拭いたり、取り皿を並べたりしていると、やがてキッチンから立夏(りっか)と蒼ちゃんが熱々のフライパンと野菜たっぷりのサラダボウルを運んできた。  次いで割烹着(かっぽうぎ)を脱いだ壱夏(いちか)おばあちゃんが居間にやって来る。  卓袱台(ちゃぶだい)の真ん中に鍋敷きを置き、その上に蒼ちゃんが(ふた)のついたフライパンを乗せ、最後に立夏がフライパンの(ふた)を取った。  ほかほかの湯気とともに、何とも言えない香ばしい匂いが部屋中を包む。その香りを吸い込んだだけで(よだれ)が出そうだ。  あたしはフライパンの中を覗き込んだ。黄色に染まったご飯の上に海老やイカ、ホタテといった海鮮類、赤や黄色のカラフルなパプリカやトマト、鶏肉が散りばめられている。 「これって……ひょっとしてパエリア!? 超オシャレじゃん!」 「ほんとだ、おいしそうだね~!」  あたしと晴夏は色めき立った。和食が基本の我が家では、パエリアなんて滅多に出ないメニューだ。蒼ちゃんが一緒の夕飯で、しかもオシャレな洋食とくれば、ただでさえ上がっていたテンションは爆上がりだ。  それにしても、どういう心境の変化だろう。あたしが不思議に思っていると、その疑問を察したのか壱夏おばあちゃんが言う。 「たまには変わった料理に挑戦してみるのも良いかと思ってね。さあさ、みな席にお着き」 「はーい、いただきま~す!」  卓袱台(ちゃぶだい)の上座に壱夏おばあちゃんが座り、あたしの隣に蒼ちゃん、そして立夏と晴夏が向かい合って座る。あたしの正面が晴夏で、蒼ちゃんの正面が立夏だ。  あたしはスプーンでパエリアを口に運んだ。お米に海鮮の出汁とオリーブオイルが染み込んでいて旨味たっぷりだ。控えめに言っても、めちゃくちゃ美味しい。晴夏も目を輝かせている。 「フライパンでおうちパエリアも結構おいしくできるんだね。さすがにレストランで食べる本格派の料理には敵わないかもしれないけど」 「おコゲもおいしい! 中華あんかけや炊き込みご飯もそうだけど、この手の料理のおコゲってやっぱ最強よね!」  あたしと晴夏が喜ぶのを見て、立夏もどことなく嬉しそうだ。 「最近はネットで検索すればすぐ作り方が分かるからな。サフラン……だっけ? 変わった香辛料も必要だが、玉ねぎ、にんじん、パプリカ、鶏肉、海鮮類、固形ブイヨン、オリーブオイルなど基本的にはスーパーで手に入れられる食材で作れるし、案外、簡単だぞ」 「ねえ、おばあちゃん。フライパンパエリア、うちの定番メニューに加えようよ!」  あたしはさっそく壱夏おばあちゃんに提案した。簡単にできるのなら悪い話じゃないはずだ。ばあちゃんもパエリアの出来にまんざらでもないらしく、いつもより上機嫌に見える。うまくアピールしたら、また作ってくれるかもしれない。 「まあ、作り方は洋風の炊き込みご飯みたいなものだからね。ただ、リクエストするなら責任持って舞夏も少しは手伝いな」  ばあちゃんはそう言って、ちろりとあたしを睨んだ。 「わ……分かってるって! でも漫画の締め切りもあるし……」 「忙しいのはみな一緒だよ。ただでさえあんたは家の手伝いを晴夏に押しつけ気味なんだから、口答えせずにちゃんとしな!」 「はーい……」  我ながら返事は一人前だ。まあ返事だけなんだけどね。だって、あたしには家のことを手伝うような時間はないんだから。  立夏が通っている虹ヶ丘高校は我が家から近いところにあって、自転車があれば登下校には十五分もかかからない。  でも、あたしの通う星蘭高校は電車とバスを乗り継ぐから、通学に倍の時間がかかるのだ。宿題をこなしつつ漫画も描いているあたしには、時間なんていくらあっても足りない。  ちなみに晴夏の通う月渡学園は通学に一時間以上もかかる。だから家に帰ってくるのも一番遅い。  要するにあたしにも言い分はあるってことなんだけど、それを口にしても壱夏おばあちゃんにやり込められるだけなので黙っておいた。  代わりにあたしは気を取り直して蒼ちゃんに声をかけた。せっかくの夕ご飯タイムなのだ。このチャンスを生かして少しでも蒼ちゃんと親密になりたい。 「蒼ちゃん、タバスコかけるとまた一味違った感じになって美味しいよ! はい、どーぞ!」 「ありがとう、舞夏ちゃん」  蒼ちゃんは心臓を打ち抜くような爽やかな笑顔を浮かべると、あたしからタバスコの瓶を受け取った。そして自分の皿に取り分けたパエリアにタバスコを振りかけると、正面に座っている立夏にも勧める。 「立夏、タバスコ使う?」 「ん……じゃあ、少しだけ」 「あ、ひょっとして苦手だった?」 「そうじゃない。ただ……辛いのはちょっと苦手だから、たくさんは要らない」 「……へー、そうなんだ」  そう言って蒼ちゃんは悪戯っ子みたいな視線を立夏に向ける。それに気づいた立夏は途端にむっと眉根を寄せた。 「何だ、その目は?」 「僕に対するコメントは激辛なのに、タバスコは辛すぎて苦手なんだ? 立夏って意外とかわいいとこあるよね」 「別に普通だろ。……っていうか、私がタバスコが苦手だってだけで、よく『かわいい』とかいうセリフが出てくるな? さすが天然のたらしは言葉のチョイスにも隙が無い」 「いや~、それほどでも」 「今のは褒めてないから! 何で照れてるんだよ!?」 「何でもなにも……立夏が僕に向けてくれた言葉なら、たとえ罵詈雑言でも嬉しいに決まってるじゃない」 「……さすがに気持ち悪すぎて引くぞ」  立夏は悪口雑言(あっこうぞうごん)を垂れまくりだけど、蒼ちゃんはとても楽しそうだ。蒼ちゃんらしい大人な対応だけど、ちょっと寛大(かんだい)すぎる気もする。  でも、そう感じるのはあたしだけらしい。二人の会話に晴夏が加わる。 「不思議だよね。立夏って山葵(わさび)辛子(からし)の辛さは平気なのに、唐辛子は昔から苦手なの。うどんやそばにも唐辛子は入れないもんね?」 「へえ……それはいいこと聞いちゃったな~」 「晴夏、こいつに余計なことを教えないでくれ。私が心穏やかに過ごせなくなるだろ」 「立夏は気にしすぎだよ~。蒼司くんなら大丈夫だよ、きっと」 「どこが!? テストの山カン並みに当てにならんわ!」 「……これ、食事中に大騒ぎするんじゃないよ!」  とうとう壱夏おばあちゃんが一喝し、みな一斉に大人しくなった。壱夏おばあちゃんは昔の人だから、食事中に会話するのはいいけど、騒ぐのは品がないという考えなのだ。  『ばあちゃんに怒られたのは、お前のせいだぞ』といわんばかりに蒼ちゃんを睨む立夏。その立夏を、とても優しいまなざしで見つめ返す蒼ちゃん。  完全に二人きりの世界ができあがっているように感じるのは、あたしの気のせいだろうか。  あたしは一人、その食卓の光景を眺めつつ、ぼんやりとした疎外感(そがいかん)を覚えていた。 (立夏と蒼ちゃん……以前とくらべて打ち解けてるっていうか……必要以上に親密になってない? 立夏の毒舌(どくぜつ)は相変わらずだし、蒼ちゃんの大人な対応も変わらないけど、前よりトゲトゲしい空気が減っているような……あたしの気のせいかな?)  これというはっきりとした変化ではない。  もともと立夏は蒼ちゃんに当たりがきついし、蒼ちゃんは蒼ちゃんで誰にでも対応がスマートだ。もちろん立夏に対しても。  だから、何かがはっきりと変わったわけじゃない。でも確かに、どうしようもなく違和感があるのだ。  何だろう。何がこんなに引っ掛かるんだろう。  けれどその正体を突き止められないまま、違和感は空中分解してしまった。すべてがうやむやのまま、夕ご飯タイムは呆気なく終了してしまう。 (何だか残念……せっかく蒼ちゃんと一緒の夕食だったのに。もっと蒼ちゃんと話したかったな……)  しかし、あたしはその後、決定的な瞬間を目にしてしまう。  そして知ってしまうのだ。夕飯の時に感じた違和感の正体が何だったのかを。
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加