第二十話 漫研の最後

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 あたしが思わず身構えると、槙野(まきの)先輩はさらに付け加えた。 「ねえ、友香も私たちも反省してるし、結城さんもちょっと強情だったと思うし、喧嘩両成敗にしよ。互いに一歩(ゆず)り合うのが公平だし、一番だと思わない?」  槙野先輩は小首を傾げ、上目遣いで提案してくる。何だかすごく悲しげで、申し訳なさそう。  あたしもさすがに罪悪感が沸き上がってきて、それを跳ねつける勇気はない。「互いに一歩譲り合うのが公平」という槙野先輩の言い分も、至極(しごく)まっとうで正しいような気がするし。  それは小坂(こさか)さんや村瀬(むらせ)さんも同じみたいで、戸惑った様子で互いに顔を見合わせ、あたしに視線を送ってくる。 (二人とも槙野(まきの)先輩の話を聞いてどう思ってるんだろう? ひょっとして漫研に戻りたいって思ってるのかな……?)  急に不安が襲ってきた。もし村瀬さんや小坂さんが漫研に戻りたいと思っているなら、あたしのしていることは余計なお節介でしかない。  できれば小坂さんや村瀬さんと三人だけで話をしたいけど、西田先輩や槙野先輩たちはあたし達を囲んでいて、逃がしてくれそうにない。  正直に言うとあたし自身も迷ってた。決して文芸部に不満があるわけじゃないけど、あたしはずっと星蘭の漫研に強い憧れを抱いてきた。  本当は漫研で漫画を描きたい。一緒に漫画を描き、支え合える友達(なかま)が欲しい。その願望を簡単に捨て去ることなんてできなかった。 (どうしよう。どうしたらいいんだろう……)  あたしが悩んでいると、そこへ宮永くんがやってきた。たぶん、文芸部に向かう途中なのだろう。通学鞄を提げた宮永くんは、いつもの落ち着いた口調で声をかける。 「結城さんに……小坂さんと村瀬さん? どうしたの、こんなところで」 「宮永くん……!」  余計な邪魔が入って、西田先輩は尖った口調で問いかける。 「何よコイツ?」 「この子……この間、結城さんと一緒に図書室で受付してた子じゃない? ひょっとして文芸部とか……?」  どうやら槙野先輩は宮永くんのことを覚えていたらしい。文芸部が何の用かと(いぶか)しげな視線を向けている。  けれど宮永くんは、西田先輩や槙野先輩たちの視線を浴びてもまったく動じることなく、静かに言った。 「そういうあなた達は漫研の先輩ですよね。いったい何の話をしていたんですか?」 「あんたには関係ないでしょ。口出すなよ、一年坊主!」 「別に口出しするつもりは無いですけど。そういえば……漫研は第二美術室からの立ち退きを迫られているそうですね?」 「え!?」  あたしは驚きのあまり、素っ頓狂(すっとんきょう)な声を発してしまった。  漫研が第二美術室を追い出されようとしている……? そんなの初めて聞いた。  けれど宮永くんの言ったことは事実らしく、西田先輩たちは狼狽(ろうばい)した様子を見せる。 「な、何であんたがそんなこと知ってんのよ!?」 「僕は文芸部と陶芸部をかけ持ちしているんです。陶芸部は第三美術室で、第二美術室のすぐ隣だから、漫研の内情もよく知ってますよ。漫研は今年、一年生が一人も入って来なくて部員数が激減し、他の部から非難されていますよね。『やる気も活動の実体も無い、あんな少人数のクラブが広々とした第二美術室を占拠するのはおかしい』と」  そう言って宮永くんは何でもないことのように淡々と続ける。 「とくに美術部は去年今年と部員が大幅に増加し、第一美術室だけでは狭すぎるため、前々から第二美術室を使いたがっていましたから。だから追い出される前に一刻も早く部員を確保し、表面だけでもきちんと活動をしている体裁(ていさい)を整えたい……違いますか?」 「……」  西田先輩と槙野先輩は黙り込んだまま、何も答えない。それが何よりの答えだった。  それを聞いて、あたしは愕然(がくぜん)とする。 「一年生が入らなかった……一人も……?」  つまり、漫研の入部を諦めたのはあたしたちだけではなかったのだ。  西田先輩は一瞬、気まずそうな顔をしたが、すぐに自棄(やけ)を起こしたように喚き散らす。 「……ああそうだよ! 全部、結城のせいだよ! あんたが大騒ぎしてウチらを悪者扱いして……そのせいで一年がびびってみんな出て行ったんだよ!!」 (そりゃ、そうなるのも当然でしょ)  いくら漫研に興味があるといっても、どんな待遇(たいぐう)でも我慢できるわけじゃない。あんな陰湿なイジメにあうと分かっていたら、誰だって入部を敬遠(けいえん)するに決まってる。  西田先輩は気に入らないあたしを追い出して勝った気になったのかもしれないけど、結局はそれが自分の首を絞めたのだ。  漫研から新入部員が逃げたのは、西田先輩たちの自業自得(じごうじとく)であって、それをあたしのせいにされても困る。 「……おかしいと思ってました。あんなにあたしを追い出したがっていたのに、急に引き止めて和解しようとしたり、不自然に謝ったりして……全ては自分たちが第二美術室に居座るためだったんですね!?」  あたしは怒りを込めて先輩たちを問い詰めた。西田先輩はもちろん、槙野先輩も反省していないし、自分たちが悪かったと思ってすらいないだろう。  ただ、自分たちの利益を守るために、あたし達を利用したいだけなのだ。  すると槙野先輩は悪びれもせず、拝むように両手を合わせるのだった。 「ね、お願い! 結城さん、小坂さん、村瀬さん! 第二美術室を追い出されたら、あたし達、美術準備室に移動しなきゃならないの! 狭いし、クーラーもまともに動かないし、あんな地獄みたいな環境だけは絶対にイヤ! 第二美術室に居続けるためには部員が必要なの!! 人助けだと思って漫研に戻ってきて! 入部してくれるなら何でもするから!!」  あたしは心底、呆れ返った。この人たちは徹頭徹尾(てっとうてつび)、自分のことしか考えていない。漫画のことなんか好きでもなければ興味もないし、後輩や部のことも何も考えていない。  ただ自分たちが優雅で快適な放課後を過ごせれば、それでいいのだ。最初からそういう人たちだと分かっていたけど、改めて思い知らされた。  考えれば考えるほど、はらわたが煮えくり返る。本当は西田先輩たちとは話もしたくないけど、これだけは言っておかねばと思って、最後の気力を振り絞った。 「……話はそれだけですか?」 「結城さん……」  宮永くんが気遣うような視線をあたしに向ける。  心配しないで、あたしは大丈夫。もう二度と未練や甘い言葉に惑わされたりしない。 「あたしは漫研には戻りません。もう二度と関わらないでください」  あたしが毅然(きぜん)として告げると、小坂さんや村瀬さんもそれに続く。 「わ、私も戻りません!」 「ウチらは文芸部に入ります。先輩たちの餌食にされるのはまっぴらです!!」  きっぱりとした拒絶の言葉。普段は大人しい小坂さんや村瀬さんが声を荒げるほど、二人は本気で(いきどお)っているのだろう。  西田先輩たちはさすがに慌てた様子を見せた。 「何でよ!? 人がせっかく頭下げて頼んでるのに!」  槙野先輩も血相を変え、必死であたし達を呼び止める。 「ねえ、機嫌直してよ! 本当は漫研に入りたいんでしょ!? 仲良くしてあげるから漫研においでよ!!」  この期に及んでも何も分かっていないんだ、この人たちは。  あたしは、はっきりと悟った。西田先輩や槙野先輩とは話すだけ時間の無駄。何も分かり合えないなら、もうこれ以上、関わり合いになりたくない。  あたしは強引に先輩たちの輪を突破すると、宮永くんと小坂さんや村瀬さんに声をかける。 「行こ、宮永くん。小坂さんや村瀬さんも……時間がもったいないだけだよ」 「……うん」 「そうだね、行こう」  あたし達は喚き散らす西田先輩たちを残し、その場を離れた。  これで本当に最後の最後。あたしが漫研の先輩たちと関わることは、もう二度とないだろう。
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