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急いで最寄りのバス停に到着すると、ちょうどタイミングよくバスがやってきた。俵山から南に下ったところにある新晴海駅行きのバスだ。
そして新晴海駅で電車に乗り換え、三駅ほど行ったところの八雲谷駅で下車する。その八雲谷駅から歩いて五分のところに、冬城美術館がある。
入口の広場では宮永くんが先に来て、あたしを待っていた。
当然のことながら宮永くんも私服だ。清潔感があって、フツーだけど地味過ぎない、チェックのシャツと細身のパンツの組み合わせが、宮永くんの雰囲気に似合っている。ロゴ入りの黒いショルダーバッグもシンプルで格好いい。
いつも学校で会う時は制服姿だからか、宮永くんの私服は何だか新鮮だ。
あたしはドキドキする胸を抑えつつ、宮永くんに近づいて声をかける。
「ごめんね、宮永くん。待った?」
「いや、僕もいま来たところだよ」
宮永くんはそう答えると、あたしから視線をずらすように彷徨わせる。
「あたしの格好、何か変……かな?」
「いや……いつも学校で会う時は制服だから、何だかすごく新鮮だなって……」
「そ……それを言うなら宮永くんもだよ! 何か変な感じだね」
「そ、そうだね」
そう言ってあたし達は同時に赤くなる。妙にぎくしゃくしてしまうし、何だかこそばゆい。
いつもの制服じゃないせいか、それとも学校じゃないからか。互いの距離感までもが、いつもと変わってしまったように感じてしまう。
束の間の沈黙を破って、先に声をかけてくれたのは宮永くんだった。
「えっと……それじゃ行こっか」
「そ、そだね」
最初は慣れない雰囲気で照れくさかったけど、宮永くんと並んで歩いているうちに、いつもの感覚が戻ってきた。
受け付けでチケットを買い、奥にある展示室へ向かう。休日だからか、人はそこそこ多い。
特別展はヨーロッパの印象派の画家の作品を集めたものだ。印象派といっても日本ではメジャーではない作家ばかりで、あまり聞いたことのない名前や、見たことのない絵が並んでいる。
とはいえ、ヨーロッパの田舎の景色や、川べりを描いた長閑な風景画など、絵そのものはとても見ごたえがある。
「これ、ぜんぶ油絵だよね? 印象派ってもっとこう……カラフルで派手なイメージがあったけど、落ち着いてる感じの絵もあるんだ。この絵とか家に飾れそう」
朝光に包まれた海辺に小型の帆船が並んだ、日本ではちょっと見られない風景。波の静けさと、穏やかな朝の空気。そして海鳥の声まで聞こえてくる気がする。明るい色合いの絵だ。
宮永くんはその隣に飾ってある絵を見つめて言った。
「そうだね、こっちの絵はティーセットが丁寧に描かれていて興味深いよ」
薔薇の花が咲き誇る庭先を描いた絵。ガーデンテーブルの上にはティーセットがあるだけ。人物は描かれていないけど、つい今しがたまで誰かがお茶をしていたような余韻が残る、そんな絵だ。
「絵を見ても陶器のことが気になるんだ? 宮永くんらしいね」
あたしは「あはは」と小さく笑ってしまう。
「これはたぶん、磁器だけどね。売店ではこの絵の絵葉書も売ってるはずだよ。マグネットやクリアファイルも」
「え、何それ。おしゃれ! あとで寄ってみようよ」
そんな会話をしながら特別展を見終え、次に常設展へ向かった。常設展の展示はこの美術館の所蔵品らしく、西洋画があれば日本画もあり、彫刻や工芸品もある。かなり雑多な印象だけど、それはそれで見ごたえがあった。
少しベンチに座って休憩を挟んでから、あたし達はいよいよ一般向けギャラリーコーナーへ向かう。
そこでは宮永くんの言う通り、県主催の工芸展が催されていた。ずらりと並ぶ工芸品の数々。人もたくさんいる。観覧者はもちろん、工芸展の関係者や出品者と思しき人たちもいた。
「けっこう規模が大きいね。この中に宮永くんの作品もあるの? 美術館に飾られるなんて……やっぱりすごいよ!」
「お……お大袈裟だよ、結城さん。この展覧会は伝統工芸の継承を目的に、毎年開催されているんだ。そういう開催主旨のせいか、若い作り手は入賞しやすい傾向にあるんだよ」
「そうなんだ……じゃあ宮永くんの作品は玄幽焼? 宮永くんの家は玄幽焼の窯元だって言ってたもんね」
「うん、そうだね……」
よく見ると宮永くんの顔色は悪い。さっき特別展や常設展を一緒に見て回っていた時は、全然そんな感じじゃなかったのに。
あたしは驚いて宮永くんに尋ねた。
「……宮永くん? 大丈夫?」
「あ……ああ、ちょっと緊張しちゃって……」
宮永くんはびっくりするくらい強張った顔で、それでも少しだけ笑う。たぶん一生懸命、あたしを安心させようとしているんだろう。
宮永くんの心境には、あたしにも心当たりがあった。
(そうか……あたしも『ピュアラブ』の月例新人賞の結果発表を確認する時はめちゃくちゃ緊張するけど、宮永くんにとっては今がそうなのかも……)
たとえば受験の合格発表の時や、あたしにとっては『ピュアラブ』の月例新人賞の結果発表の時―――それは『審判』の時だ。
自分の努力が世の中にどう判断されるのか。誰だってそれを知る時が一番、怖いし、一番、気持ちが張りつめてしまう。
「無理しなくていいよ。もう少し休んでいく?」
緊張のあまりぎゅっと握りしめている宮永くんの手に、あたしはそっと手のひらを重ねる。宮永くんの手は、ひどく冷たかった。
宮永くんは胸に手を当てて大きく深呼吸をする。表情は相変わらず青ざめたままだけど、少し気持ちが落ち着いたみたい。
「いや……大丈夫だよ、ありがとう。……行こうか」
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