第二十二話 『天才』

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「何か……人懐こくて明るい感じの人だね。佐久間くんがこんな風格漂う器を作るなんて、何だか信じられない……」  あたしが感嘆まじりにつぶやくと、宮永くんは何とも言えない複雑な表情を浮かべる。 「……憐は従兄弟だけど、陶芸にはほとんど興味を示さなかったんだ。それなのに……去年の夏頃かな。ふらりと工房へやってきて、土に触りはじめたんだ。親父たちも玄幽焼(ゆうげんやき)の継承者はただでさえ少ないし、興味を持ってくれる若者が増えるのは大歓迎って感じで……あっという間に追い抜いていったよ。小学生の頃から工房に入って、こつこつ仕事を覚えてきた僕を軽々と飛び越えてね」 「宮永くん……」 「僕が何年も土に触れ、幾度となく失敗と成功を繰り返して培ってきた経験や感覚、技術を、あいつはあっという間に会得し、自分のものにしてしまう。そして陶芸を始めて一年だなんて思えないような、存在感のある器を作り出すんだ……憐は天才だよ」  そう語る宮永くんの横顔は、どこか泣き出してしまいそうに見える。 「この間なんて、東京の一流日本料理店のシェフから、憐の器を使いたいとオファーが来たんだ。憐は自作の器をSNSにアップしているんだけど、そのシェフはたまたまSNSで目にした憐の器をすごく気に入って、店の料理に映えるからぜひ使わせて欲しいって。玄幽焼の名を広めるチャンスだと、親父たちは大喜びさ」  今の陶磁器産業は安い海外産に押しやられ、苦境に立たされている。生き残るには玄幽焼(ゆうげんやき)の名を広め、ブランド化するしかない。以前、宮永くんはそう言っていた。 「高い芸術性を持つ憐の器は、みんなから期待されているんだ。これまで僕の作品も若手にしては頑張ってるって評価してくれたけど……今はもう誰もそんなことは口にしない。まるで僕の存在なんて忘れ去られてしまったみたいだ」  そんなことないよ、元気出して。  宮永くんだって優秀賞をもらってたじゃん―――  あたしはそう言って宮永くんを励ましたかったけど、声に出すことはできなかった。  それほど佐久間くんの作品は圧倒的で、突出していたから。下手な慰めが気休めにもならないことを、素人ながらに理解していたから。  あたしは宮永くんとの会話を思い出す。 ―――天才は確かに存在して、簡単にそれまでの流れを変えてしまう。 ―――『客』は一度、『本物』を知ってしまったら、凡人の生み出す作品には見向きもしなくなる。  そして宮永くんはこうも言っていた。 ―――そういう『天才』って意外とすぐ傍にいるものだよ。  間違いない。宮永くんの言う『天才』とは佐久間くんのことだ。 「もしかして……宮永くんは佐久間くんの作品をあたしに見せたかったの? 天才はこの世にいるんだって」  すると宮永くんは弱々しく笑って首を振る。 「それもあるけど……一番は一人でギャラリーに来る勇気が無かったからかな。現実を突きつけられるのは辛いし、すごく怖い。でも、結城さんが隣にいてくれたら心強いから」 「宮永くん……」 「……臆病者だって思うだろ? 自分でもそう思うよ。君の前ではさんざん強がっておいてさ」  ふと思い出した。図書委員の仕事があった初日、あたしは図書室に遅れて行った。そのあと運悪くやって来た西田先輩たちと図書室で()めて、それが原因で宮永くんとも険悪な空気になってしまった。  あの時、宮永くんから告げられた言葉が脳裏に蘇る。 『……それでやめるなら、君の漫画に対する情熱はその程度だったというだけだ』 『クリエイターは結果がすべてだ。君は何か結果を残しているのか? 違うのなら(わめ)き散らさないほうがいい。みっともないだけだから』  今までずっと、あの言葉は漫画を言い訳にして、やるべきことをしなかったあたしに対する批判だと思っていた。  確かに正論だとは思うけど、あまりに苛烈(かれつ)で残酷で、あたしはその容赦の無さに、たじろぐしかなかった。  でも、あたしだけに向けられた言葉じゃなかったんだ。あれは宮永くん自身に向けた言葉でもあり、今なお彼をがんじがらめにしているのだ。  それに気づいたあたしは、ぎゅっと胸が締めつけられた。  宮永くんの気持ちは痛いほどよく分かる。だってあたしも同じだったから。  夢を追うのは本当に楽しい。  少しでも結果が出た時や、手応えを感じた時の充実感は何物にも代えがたく、それだけでも挑む価値はある。  その一方で、途轍(とてつ)もない孤独を感じたり、辛くて苦しい想いをすることがあるのは事実だ。ただでさえ何が正解か分からないのに、ライバルに先を越されてしまった日には、焦燥感でいてもたってもいられなくなる。  本当に夢を叶えられるのか。夢を叶えたところでプロとしてやっていけるのか。将来のことを考えれば考えるほど、不安や懸念事項(けねんじこう)が次から次へと湧き上がって、胸が押しつぶされそうになる。  だからあたしは漫研を目指した。誰かと少しでもこの悩みを共有したくて。  宮永くんが目指しているのは陶芸家で、漫画家志望のあたしとは違う世界に生きているけど、彼が抱えている苦悩は、あたしと同じものだ。  きっと『何か』になりたいともがいている人は、みんな同じなんだ。 「宮永くんは臆病者じゃないよ! 絶対に臆病者なんかじゃない!!」  思わず宮永くんの手を握って声を上げると、宮永くんは黒ぶち眼鏡の奥で目を見開いた。 「結城さん……」 「ただ……ちょっとストイックすぎると思う。自分に厳しすぎるっていうか、もっと自分を認めてあげなよ」 「自分を……認める……?」 「だって宮永くんはすごく頑張ってるもん。どんな事だって一生懸命であればあるほど、辛いことや苦しいことは出てくると思う。でも、それを誰かに打ち明けるのは、決して恥ずかしいことじゃないよ!」  あたしだって、もし宮永くんに漫画のアドバイスを貰わなかったら、スランプから抜け出せていなかったかもしれない。 「確かに創作の悩みって誰にでも分かるものじゃないし、理解してもらえないこともあるけど……あたしは少しは分かるつもりだよ。だから……一人で抱え込まないで共有し合おうよ!」  宮永くんは最初、驚いた表情をしていたけれど、やがて静かに微笑んだ。 「……結城さんの言う通りかもしれない。僕は結城さんほど強くないから、つい周りに壁を作ってしまうけれど、不思議と結城さんには壁を感じないんだ。結城さんも僕と同じで、真剣に夢を目指してるからだね、きっと」   「僕は……そういう人、好きだな」 「……!!」  これって告白? ううん、そうじゃなくても構わない。  あたしと宮永くんは『同志』なんだ。お互いに夢を一生懸命に追いかけて、それ故に孤独だから。  でも、宮永くんのおかげで、あたしは『一人』じゃなくなった。同じように夢に向かって頑張っている文芸部の仲間もいる。  今のあたしにとって、好きだと告白されるよりずっと嬉しい。 「ありがと、宮永くん」 ★ 「あたし……宮永くんを応援する。宮永くんが挫けそうな時はあたしがそばにいて励ますよ! だから……あたしが駄目になりそうな時は宮永くんが励ましてね」 「ああ、約束するよ」  宮永くんの表情が明るくなって、心の底から嬉しくなった。宮永くんが辛い表情をしているとあたしも辛いし、悲しそうな表情をしていると、あたしも悲しくなる。  だから宮永くんには笑顔でいて欲しい。宮永くんらしく笑っていて欲しい。 (この感情ってやっぱり……)  今はまだこの気持ちがはっきりしなくてもいい。  共に肩を並べて、それぞれの夢を目指す。  それだけで今は幸せだから。
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