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ところが、その漫画のほうも行き詰っていた。
あたしには子どもの頃から愛読していて、絶対にデビューしたい少女漫画誌がある。『月刊ピュアラブ』という、これまで何人もの人気漫画家を輩出してきた伝統ある少女漫画誌だ。
『月刊ピュアラブ』では毎月審査が行われる月例新人賞が設けられており、新人漫画家の登竜門の一つとなっている。あたしはその月例賞にたびたび投稿しているのだ。
ただ、何度か最終選考に残ったことはあるものの、受賞経験はまだ一度も無い。
今月も学校帰りに立ち寄った行きつけの書店で『月刊ピュアラブ』の最新号を買ってきた。あたしは通学鞄から雑誌を取り出すと、月例賞発表のページを真っ先に開いた。
今回は学校行事や中間テストで忙しく、あたしは月例賞には応募していない。でも、そのページを最初に確認するのが習慣になっていた。
ページを開くと、ある投稿者の受賞が華々しく発表されていた。
ペンネームは成瀬杏。
あたしと同じ、この月例新人賞の常連だ。
これまでにも何度か最終選考で彼女の名前を見たことがある。おまけに年齢も十六歳で、あたしと同じ。それもあって密かにライバル視している漫画家の卵だ。
つまりあたしはライバル(と勝手に思っている)にも先を越されてしまったのだ。
「成瀬杏……優秀賞っていったら本誌掲載が確約じゃん! すごーい! えー、でもマジでショック……!!」
審査員評を読むに、成瀬杏はこれまでの漫画の作風を大幅に変えてきたらしい。今まで成瀬杏の描く漫画は少年少女の繊細な恋愛ものが多かったけれど、昨今のファンタジーブームを意識してか、ゆるふわ系のほっこりファンタジーへと大胆に路線を切り替えたのだ。それに合わせて絵柄も大幅に変更。以前と比べて、垢抜けたすっきりとした絵になっている。
もしこの漫画がコミックスになったらきっと売れるだろうし、アニメ化も期待できそうな雰囲気だ。その思い切った作風の転換は審査員にも大好評で、『すぐにでも連載できそう』とか『将来の期待大!!』とか、べた褒めの言葉が並んでいる。
成瀬杏の描いた漫画は今月号に掲載されているらしく、あたしもさっそくページを開いて読んでみた。
確かにレベルは高い。絵の華やかさもさることながら、設定やキャラクターも流行の要素を押さえていて、読後感もすっきりしている。ストーリーの綻びや矛盾も見られないし、コマ割りも見やすい。優秀賞も納得の出来だ。
(漫画家になりたい人はたくさんいる……みんな、ものすごく努力してるんだ。どんどん賞を取ったり、読み切りを描いたりしてる。それにくらべてあたしは完全に出遅れている……! グズグズしていたらどんどん差がついて置いて行かれるだけ……のんびりしちゃいられない!!)
あたしは経験値を増やそうと『月刊シオン』という他の雑誌に投稿するつもりでいた。もっといい漫画が描きたいし、実力もつけたい。そのためには自分の描いたことが無いジャンルの漫画を描いてみるのも一つの手ではないかと思ったのだ。
たとえ結果は出なくとも勉強にはなるし、自分の新たな一面を見つけられるかもしれないと。
でも成瀬杏の受賞という結果を知って、ただちにやめることにした。勉強とか経験とか、そんな呑気なことを言ってられない。
ライバルはどんどん先を行っているのだ。回り道をしたらした分だけ、周りから遅れてしまう。
だからあたしは改めて『月刊ピュアラブ』の月例新人賞に狙いを絞って集中することにした。
(そうだ、今のあたしにはよそ見をしている余裕なんて無い! しっかりと目標を決めて、計画を立てて……最短で効率よく『月刊ピュアラブ』でデビューしなきゃ! それくらいできなきゃ、ただでさえ競争の激しい漫画業界では生き残っていけない……!!)
しかし、すぐにはアイディアが浮かんでこない。
あたしが得意な漫画は学園が舞台の青春ラブコメで、とにかくキュン度の高いやつだ。かわいいドジっ子ヒロインが、『俺様』だったり『クール系』だったりするイケメン男子に恋をして、そのカッコよさにキュンキュンするのだ。
実際、恋愛コメディは人気があるし、SNSでもその手のジャンルの漫画には大量のコメントがつく。だから流行は外していないと思う。
(でも、何故か受賞できないんだよね。流行は外してないのに……何でだろう? 流行に染まりすぎて逆に個性がなくなってるとか? 『月刊ピュアラブ』でもラブコメの連載は何本かあるわけだし、どれだけ原稿の完成度が高くてもプロの漫画家に勝てるわけない。『ラブコメはウチにもあるんで』って判断されたら元も子もないよね。でも、流行からズレたことをしたらしたで、『こいつ何も分かってない』とか『流行も分析できない奴』とか思われるかもしれないし……ああもう、どうすりゃいいの!?)
考えれば考えるほど頭がグルグルして、袋小路に迷い込んでしまう。立夏や蒼ちゃんのことといい、成瀬杏のことといい、いろいろとショックなことが重なったせいか、ぜんぜん集中できない。
ついつい手がスマホに伸びてしまう。見たってロクなことはない……そう分かっていても成瀬杏のことが気になって、彼女のツイッターを検索してしまった。さっそく、それらしきアカウントが見つかる。
(あ……もうツイッター開設してるんだ。さすが……プロになるんだったら作品の宣伝もしなきゃだしね)
ちなみにあたしはまだツイッターをやっていない。学校があるし、暇な時間があるならツイートより漫画を描くことに当てたいというのが理由だ。
真っ先に目に入ったのは、かわいい猫のイラストのアイコン。成瀬杏のツイッターには受賞の喜びが溢れていた。友人や知人らしきアカウントや、フォロワーからの祝福コメントもいっぱいだ。中には読者らしきフォロワーのコメントも並んでいる。
『すごく面白かったです! それぞれのキャラクターの雰囲気が良き』
『絵がメチャ好みだった。連載されるといいですね!』
『キャラどうしの関係性が超エモい。これはおすすめ!』
「うわあ……すごい注目されてる。もはやプロ並みじゃん……」
成瀬杏のツイートをスクロールしながら読んでいく。どうやら『月刊ピュアラブ』の編集者と打ち合わせもしたらしい。たくさんアドバイスをもらえて、褒めてもらった有意義な時間だったという。彼女のツイートの端々から希望に満ちているのが伝わってくる。
(いいな……あたしも早くデビューしたい。このまま今のやり方を続けて、本当に漫画家になれるのかな……)
努力はしているつもり。でも漫画家を目指すなら、みんな当然のようにやっていることだ。
今より上の段階に進むために具体的に何をすればいいのか。それが分からない。
ネームはコンスタントに切るようにしているし、絵やコマ割りの練習や勉強も欠かさない。流行りのキャラ絵や設定だって研究しているし、人気漫画――特に少女漫画は新刊チェックを欠かさない。おかげであたしはいつも金欠だ。
もちろん原稿もいくつも完成させてきた。中学の時、投稿を始めてから『月刊ピュアラブ』に出した漫画だけでも十本近くはある。二、三ヶ月に一本は必ず作品を仕上げて、賞に応募してきたのだ。
友だちと遊ぶ時間を削り、予習や宿題はできるだけ学校で済ませるようにし、寝る時間すら惜しんできた。時間を切り詰めに切り詰め、全力で漫画づくりに没頭してきたのだ。
それでも戦績はかろうじて最終選考通過……それがあたしの現実だ。
今回の月例賞でデビューとなった成瀬杏とくらべても、とても努力に見合った結果が出ているとは言い難い。
(漫画の道具も増やしたいけどお金ないし、でも漫画を描かなきゃいけないからバイトもあんまり入れられない。夢を追うってホント大変だな……。あれもこれも制限だらけで、おまけにできることも時間も限られてる。早く大人になりたい……それまでに絶対に結果を出さなきゃ!)
あたしは自分自身を励ました。そうだ、こんなことで落ち込んでなんかいられない。結果が出ないなら、がむしゃらに努力しなきゃ。
あたしだってまだデビューできる可能性は十分にあるんだから。
いや、同世代の成瀬杏がデビューできたんだから、あたしだって頑張ればきっと道が拓けるはずだ。
ここで諦めちゃダメ……そう自分に言い聞かせながら雑誌を閉じた。
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