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第四話 ドリーム・クラッシャー
漫研の部長は大原という二年生だ。男子生徒で、西田先輩とはそれほど仲が良いわけじゃない。一緒にいるところや話しているところはあまり見たことが無いし、見るからに優しくて誠実そうだ。
大原部長なら西田先輩に注意くらいはしてくれるかもしれない。
ところが、その期待も大きく裏切られることとなったのだった。
「西田先輩を注意してください。あたしの言葉には耳を貸さないし、それどころか嫌がらせをしてくるんです。いくら相手が先輩でも納得できません! そもそも漫研で漫画を描かせてもらえないって、おかしくないですか!?」
第二美術室に接している廊下で、西田先輩たちには悟られないよう注意しながら、あたしは大原部長に訴えた。
ところが、あたしの訴えを聞いた大原部長は心の底から面倒くさそうに顔をしかめ、投げやりに答えるのだった。
「……別にいいんじゃないか? 西田が少々やり過ぎなのは事実だけど、漫画なんて本気になるようなものでもないし、そんな怒るほどのことじゃないだろ。どうしても漫画が描きたければ家で描けばいいんじゃないか?」
「確かに部員の全員が漫画を描く必要は無いかもしれません。でも……せめて活動中は漫画を読むとか、漫画研究部としての活動は他にもいろいろあるじゃないですか!」
「はあ? 何でそんなことしなきゃならないんだよ……そんなの読みたい奴が勝手に読めばいいじゃん。漫画なんて所詮、子どもの読み物っていうか……どれも似たり寄ったりでつまらないし、くだらないものばかり。少なくとも僕はわざわざ貴重な時間割いてまで漫画を読もうとは思わない」
「でも、それじゃ漫研の存在する意味が……!」
「……っていうかさ。結城さんって漫画家を目指してるんだっけ? 余計なお世話かもしれないけど、結城さんもいつまでも漫画家になりたいなんて子どもっぽいこと言ってないで、そろそろ現実を見た方がいいんじゃない? もう高校生なんだからさ」
あたしは絶句した。
そういう風に考える人が世の中にいることは知っている。うんざりするくらい知っている。
漫画家をはじめとするクリエイターは、成功すれば「天才」とか「才能」とか持てはやされるけれど、そうでない―――いわゆる底辺のクリエイターは遊び半分に絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を作ったり、「好きなこと」だけしている人たちというイメージだ。
それに漫画が好きじゃない、まったく興味がないという人も世の中には存在する。漫画を目指すあたしにとって辛辣な意見が、世の中には溢れていることは理解しているつもりだった。
でも、大原部長は漫画研究部の部長で、少なくとも漫画が好きだから漫研にいるんだと思っていた。
そう思ってたのに―――あたしは思わず声を荒げていた。
「それ……どういう意味ですか? 漫画家になる夢は子どもっぽくて現実的じゃないって、どうして決めつけるんですか!?」
「だって普通はさ、みんな大学へ進学したり就職したりする道を選ぶだろ。漫画家で食っていける奴も中にはいるけど、そうでない奴の方がずっと多い……厳しい世界なんだよ。漫画を描いて飯を食おうだなんて、世の中を舐めすぎだっての。それよりは資格でも取って、まっとうに働くことを考えた方が、結城さんにとってもいいんじゃない?」
大原先輩の言い分を聞けば聞くほど痛感させられる。
確かに漫研で一番ひどいのは西田先輩だ。けれど、大原部長にも漫画に対する情熱はまったくない。彼にとって漫画はただの『遊び』や『暇つぶし』で、本気になるような対象ではないのだ。
そういえば大原部長は漫研でいつもスマホをいじってる。たぶん、アプリゲームをしてるんだと思う。
(別に……一緒に漫画家を目指して欲しいわけじゃない。ただみんなで文化祭の漫画文集を作ったり、漫画の感想を言い合ったり、短編漫画を持ち寄って見せ合ったり……そういう普通の漫研の活動がしたいだけなのに……!!)
西田先輩や大原部長を見ていると、あたしの希望はとても叶いそうにない。
二人に共通しているのは、今のぬるま湯のような空気の漂う漫研をどうにかしたいなどと欠片も思ってないことだ。
放課後に広々とした漫研の部室でダラダラ時間を潰して過ごしたい。それが二人の本音なのだ。漫画のことも部のことも後輩のことも、これっぽっちも考えていない。
それに気づいたあたしは、がっくりと脱力してしまった。
彼らがあたしとは違う考え方を持っているだけなら、話し合って妥協点を探ることもできただろう。でも、まったくやる気が無く、現状を維持したいだけの人たちとは、そもそも話し合いすら成立しない。
これ以上、大原部長に何かを訴えたところで事態が好転するとは思えない。
こぶしを握り締めるあたしを見て、大原先輩は迷惑そうに顔をしかめて手を振った。
「あー、そんなに睨むなって。俺が言ったのはあくまで一般論だよ、一般論!」
どうにか「……分かりました。もういいです」とだけ答えると、あたしはその場を後にした。
どうして……どうしてそこまで言われなきゃならないの?
腹が立って悔しくて、あたしは苛々しながら帰路についた。
漫画家になるのが厳しい道だということは、あたし自身、よく理解しているつもりだ。才能が必要だし、運だって必要だ。
それでも、少しでも夢を叶えようと必死で努力してきた。
家に帰ったら漫画を描いて、学校の宿題はほとんど休憩時間に終わらせ、家には持ち帰らないようにしている。
授業中も暇さえあれば漫画のネタを考えているし、少なくとも二か月に一作は漫画を仕上げて月例賞に投稿するようにしている。
だからと言って、自分が特別なことをしているつもりは無い。夢を叶えるためにやるべきことをやっているだけだ。
大学に進学するため勉強するのと同じように。スポーツ選手を目指す子が日々、練習するのと同じように。あたしは漫画家になるために漫画を描いているだけ。
それなのに……漫画家を目指すってそんなに恥ずかしいことなのだろうか。
どうして漫画家になりたいというだけで、西田先輩にいじめられなきゃいけないんだろう。漫画家なんて目指したところで無駄だなんて……どうして大原部長に面と向かって説教されなきゃならないんだろう。
性質が悪いのは、大原部長には何も悪気が無いことだ。しかし、彼の言葉はあたしの心を思いっきり串刺しにし、ズタズタに斬り刻んだ。
(でも……あれがあの人たちの本音なんだ。あの人たちには、あたしが世の中を知らない馬鹿みたいに見えてるんだ。いくらあたしが本気で漫画家を目指していると言っても、『ちょっと絵が上手いくらいで自惚れているだけ』にしか見えていない。だから平気であたしを見下してくるんだ……)
いろいろなことが腑に落ちると同時に、お互いの間の溝が埋めようもないほど深いのだと思い知る。根本的に考え方が相容れないから、理解し合うなんてたぶん無理だろう。
(あたしが妥協して漫研に馴染む努力をしないなら……できないなら―――出ていくしかない)
実際、あたしも漫研にうんざりし始めていた。我慢して漫研に居続けるメリットなんてあるだろうか。あんなグダグダしている漫研に通うくらいだったら家で一人、漫画を描くほうがよほど有意義だ。
昔の漫研ならともかく、今の漫研に入部する価値なんてない。
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