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思い出のハンバーグ
ゴールデンウィークを過ぎ中旬頃になると、爽やかに吹いていた春の風は少し熱を帯び気温を上昇させていた。スーツの上着とネクタイはオフィスに置いたまま、シャツの袖を少し捲り首元のボタンを1つ開け、澄み切った青空の下に出る。
お昼のランチ時、自社ビルからすぐ近くのこじんまりとした食堂に、楓は千堂を連れ店に入る。店内は相変わらず、作業服を着たおじさん達が食事をしていた。
「菊池が言っていた食堂ってここか?」
「はい。ここのハンバーグ定食が美味しいんですよ」
店内の客はまだ少なく、楓と千堂は空いているテーブルに向かい合わせで座った。ほどなく、三角巾を被ったおばさんがトレーに水の入ったグラスを2つとおしぼり2つ乗せ、楓達の元にやって来る。
「いらっしゃい。ご注文は?」
そう言って2人の前にグラスとおしぼりを置き、注文を訊いた。
「ハンバーグ定食を2つ」
楓が注文すると、おばさんは「ハンバーグ定食を2つね」と確認し厨房へ入り元気よく注文を伝えた。
「ほんと菊池はハンバーグ好きだよな」
「ふふっ、好きですねぇ。美味しいじゃないですか」
「まぁな。で、彼女がここを教えてくれたって事は、彼女もハンバーグが好きなのか?」
「好きですけど、教えてくれたその日は、から揚げ定食を食べてましたね」
「ははっ、ハンバーグじゃないのかよ」
「彼女はきっとメニューの事より、俺が翔の事で落ち込んでいるのを心配していたんです。立て続けにあんな事があったから…」
「ほんといい子だよな。いつもお前の心配をしていただろ?」
「はい…。あの時、彼女が嬉しそうに笑った笑顔が、キラキラと輝いていて、俺はそんな彼女に惹かれたんです」
その時、三角巾を被ったおばさんが1つトレーを持って来た。
「はいっ! おまちどうさまっ!」
元気にそう言ってトレーを持ち、2人の顔を見る。楓が手で千堂をさすと、おばさんは千堂の前にトレーを置き、すぐにもう1つのトレーを厨房に取りに行き、楓の前に置いた。
「ごゆっくりね」
勘定表をくるくると丸め筒に入れて、立ち去る。
2人で「いただきます」と言って食べ始めると、千堂は「美味い」と言って喜び、楓はあの時と変わらない味に舌鼓を打ちながら、最愛の彼女である芹沢 麻央の事を考えていた。
彼女と出会い、この食堂で恋に落ちるまで、楓はいくつも恋をした。淡い恋、つらい恋、もどかしく、切なく、苦しい恋。
そして今、キラキラと輝く楽しく幸せな恋に辿りついた。
愛しい君へつづく恋を、今、想い出す。
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