レンタル殺意

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 グサッ!  その音が鳴り、血飛沫が宙を舞う。俺の脳内イメージは完璧で軌道に乗ったナイフの先は確実に奴の心臓を貫く。思い描いていた音と浴びる憎き野郎の鮮血。殺意は確かに今もなお燃え盛る炎のように一切燃料切れすることなく俺の心で暴れ、悲しみや怖さなど余計な感情は全て狂う殺意によって覆われていく。 「さぁどうだ!後悔しても遅い……」  そう言いながら俺は眼を開けて奴の悲惨な痛みに悶える顔を見ようとした。しかし…… 「…………え」  刃の先は何と…… 「な、何で……何で……だよ」  にあった。ナイフのボディから服の上に滲んだ血液が広がっていく。心臓の鼓動が徐々に途切れ、途切れになって呼吸も儘ならなくなってきた。 「な、何で……何で……」  衝撃に俺はまともな思考が出来ず、後退りながら再度電柱の影に身を隠し、コンクリートに擦りながら地面に尻餅をつく。擦った軌跡に沿って俺の血が付着し、周囲が鉄の臭いに包まれた。 「確かに……俺……アイツに……」  刃は確かに出ていて、俺は刺した感触を覚えている。それがどういう訳か途中でナイフの刃が奴にではなく俺に向いて、俺の心臓に……。 「どうなってるぅ……何で俺は自分で自分をぁ?」  殺したいのは奴だった。殺意の感情も奴によるものだと今まで捉えて生きてきた。それなのに溢れたそれは奴ではなく俺自身を襲った。 「そうか……ハハ。分かったぞ。俺が本当に殺したかったのはアイツじゃなかった。……どうすっかなぁ……もう、あの爺さんの店に戻れないや」  死際になってようやく今までの自分でも気付けなかった、ずっと綻んでいた糸を理解した。でももう何もかも遅く、取り返しがつかない。感情を貸し出す感情屋……その店は確かに殺意の感情をレンタル出来た。あのチラシに書いてあったのは「その一歩踏み出せない気持ち(殺意)をレンタルさせていただきます!」と。そして俺が今まで留まっていた、迷っていた、その踏み出せない一歩はきっと警察に捕まる不安でも殺人を犯す事の躊躇いでもなかった。 「俺が殺したかったのはだったんだな」  力尽きる寸前、そう言い残し俺は一筋の涙を流しながらその人生を終えた。
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