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第三章
愛娘に涙させてしまった事は、父王にとって一生の不覚であった。この失態を取り戻すにはやはり、後継者問題に決着を着けるしかない。
二人の皇子は、敵と向かい合う陣に身を置いている。強い日差しが落ちる夕刻を待って、父王自らが陣地へと出向く事とした。
幾人かの衛士をお供とし、どうしても心配だと言う愛娘を傍らに連れていた。
(ご高齢の父が戦場に行くなんて・・・)
それは至極真っ当な心配だったのだが、結局の所は取り越し苦労だった。父王は一度戦場に立つと、逆に生き生きとし始めた。そして陣営のテントに息子達を呼び出すと、ぎゃんぎゃんと説教から言い争いへと、水を得た魚の様だった。
日はとっぷりと暮れたというのに、まだまだ帰りそうに無い雰囲気。これは男達の問題なので、大人しく控えていたのだが、あまりに長い。乙女は、ついつい暇を持て余す事となってしまった。許しを得て、外を散策してみる事とした。戦場とは言え、何せ味方陣営なのだから危険は無い。
暗闇で戦闘は出来ないから、この時間では味方もテントに引き上げている。動いているのは乙女ただ一人だけだった。点々とした松明の明かりだけを頼りに、荒涼とした大地を歩く。夏だと言うのに、何か空気が薄っすら冷たく感じる。
暗闇の中から突然、巨大な兵器が姿を現した・・・と思えた。実際には、乙女が近づいたから視界に入ったのだが。
「これが、大大砲」
下から見上げるのは初めてで、その威圧感に思わず息を飲む。
錠の繋った鉄柵の為、これ以上は近づけない。遥かに鉄柵を、長い筒の部分が越えて姿を見せている。夜の中で、その影は天に真っ直ぐ砲口を向けてそびえ立っているかに見えた。
(ううん、真っ直ぐでは無いわ。ちょっと見には分からないけれど、僅かに斜めを向いている)
乙女は冷静に、鉄柵の隙間から構造を確認する。大まかに言って、鋼鉄製の長筒を、木製の台車で支えている。平地を選び、台車は大地にしっかりと固定されているが、杭を取り外せば横回転で可動する仕組みだ。台車と砲の接触部に縦型の歯車がある。鋼鉄製でハンドルを使って操作するのだが、これで角度を調節している。角度を変えれば着弾地点も思いのまま。広域に渡って射程を持つ強力な兵器なのだった。
(これをもうちょっと・・・)
兵器に興味など持たない筈の乙女が考えを巡らす。聡明で優しい少女は、じっと最善の方法を思案していた。夢中になっていて、ついつい自分が夜にたった一人でいる事実を失念していた。
思い出させてくれたのは、背後の岩陰からの物音だった。静寂が危険を知らせる味方となったのである。素早く自らも身を潜めつつ岩陰に近づき、そっと窪みから様子を伺った。全身が緊張に包まれる瞬間だった。
目に飛び込んで来たのは、白い馬の鼻先だった。ぐーっと迫って来たものだから、後ろに身体を逸らした拍子に尻もちを着いてしまった。
「きゃっ」
「あっごめん!大丈夫?」女の子の悲鳴に、つい反射的に飛び出してしまう間抜けな侵入者がいた。
少年は親友の白馬をなだめて、へたり込んだ乙女に手を差し伸べる。乙女もつい、警戒心を忘れて手を取ってしまう。
二人はここで初めて、海を跨がずに顔を見合わせ、互いに良く知った相手だと認識して驚き・・・そして、あまりの事に声を出すのも忘れて暫し見つめ合うのだった。
「あなっ」「きみはっ」言葉がぶつかってしまい、互いに頬を赤らめた。
恥じらいで顔から逸らした視線が、少年の手に握られた木槌を確認した。
「これは、違うよ!人に乱暴しようってんじゃないんだ」
慌てて木槌を背に隠し、少年は必死に弁明する。左手で前方の、例の天高き影を指差しする。
「あの大砲がさ、バンバンうるさい物だから壊してしまおうかなって」
「そんなんじゃ無理!」
先に乙女は大大砲の構造を確認して、全体が鋼鉄製であると認識していた。
「木槌と腕の方が先に砕けてしまうわ」
「そう・・・だよね」
少年はがっかりした様に呟く。その姿は少々頼りなく見えた。
だが、次に顔を上げ見上げる先に大大砲を捕らえる時、その瞳は熱く燃え滾る様だった。
「みんなが怖がっているんだ。何時攻撃が始まるかも知れない・・・その恐怖の象徴があれなんだ」
思わず見惚れてしまう。乗馬して危ない遊びに興じている時よりも、もっと心をくすぐる魅力を垣間見た。
彼は敵国の人間。『みんな』とは敵国の国民・・・重々理解していた、けれど平和を望む心に敵も味方もないのだ。
(想いは同じなのね)
胸に温かい物を感じさせるこの少年に、乙女は信頼を感じた。男性として惹かれている気持ちには、まだ蓋をしているが。
「さっきね、ちょっと考えついた事があるの」
乙女の発想はこうだ。まず馬車に荷物を繋いで運ぶ為の、鉤爪が付いたロープを用意する。これは鋼鉄の弾を運ぶのに必要な物だから、陣営内で直ぐに見つけられた。鉤爪を高く放り投げ、大大砲の砲口に引っ掛ける。下からロープを引っ張って、砲台の角度を変える。
「完全に真上を向かせるの。そうすれば、明日の正午に撃った弾が落ちてきて、自らを破壊してしまうわ」
「名案だ!」喜々として少年は鉤爪を振り回し始める。
何度かトライしてみる。しかし暗闇で目標が定まらなかったり、いざ狙い通りでも鋼鉄同士が弾き合ったりでうまくいかない。
だんだんと、乙女は自分の考えが浅はかだったかと思えて、あからさまに不安な表情を浮かべ始める。けれど少年の方は、不安なんてどこ吹く風。ポジティブで、何事も思い通りになるイメージしか湧かないのが長所だ。
「心配いらない。こうゆうのは得意なんだ、大分コツも捉えてきた頃合いだしね」
(やっぱり快活な笑顔が素敵だなっ)と状況も忘れて、もう何度目かのぽーっと見惚れていた時だった。すっかり油断していたものだから、少年がこんな約束を持ち掛けてきたのに反応出来なかった。
「うまくいったら、今度のお祈りの夜に、神殿の祠で待ち合わせしよう。いいね?」
返事をする前に鉤爪が引っ掛かってしまった。どうやら少年はこの瞬間に、120%の力を発揮したらしい。
「やった!!」
念願叶えた少年の喜びようは凄かった。当初の目的を忘れ、ご褒美を頂けるものと信じて疑わない無邪気さがあった。
乙女としては複雑な表情だ。こんなに喜ばれてしまっては無碍に出来ず・・・困ってしまう。
しかし、少年は些か軽率と言うしかない。静寂を破って大声を出しては、人に気付かれて然るべしだ。二人の騎馬が闇から姿を現した。どうやら陣営のテントの方から向かってきた様だった。
とっさに乙女を伴って岩陰に隠れ息を潜める。少年は反射的に、先程の木槌を強く握りしめるのだった。
固く緊張して震える拳を、柔らかく温かい両手が包み込んだ。
「大丈夫よ。あなたは隠れていて」
乙女は岩陰を廻って、少年がいるのとは反対側から、騎馬の前にタタッと飛び出した。
「ルミフィーユ!どうした!?」
一人の騎馬が大きな声を出す。もう一方はボソボソと何か言った様だが聞き取れなかった。
大大砲の砲口からは鉤爪のロープが下に垂れている・・・これを兄弟に悟られる訳にはいかない。
「不審者がいたわ!私と顔を合わせたら、大急ぎで逃げていったの!」
これを聞いては、兄のマカローンは突発的に行動せずにはいられない。お付きの兵を伴い、考え無しにすっ飛んで行ってしまった。
残った弟のタルトンは、兄の後姿を冷ややかに眺める。そしてボソボソとではあるが、私見を語り始めた。
乙女としては、ここからが大変だと緊張させられる場面であった。
「姉さんと出くわして、敵が逃げるかなぁ?勇んで捕虜にしようとするんじゃない?」
「私が名乗ったら恐れを為した様子だったわ」
「それ逆でしょ。敵国の姫と知ったら、どうあっても捕まえたい筈なんじゃない?」
反論出来なかった。ここでおし黙ってはまずいと分かっているのに。
そんな姉の不審な振る舞いに対し、しかし弟はこれ以上問い詰める事をしなかった。
「まあいいや。父さんの言いつけで姉さんを探しに来ただけだからね」
まるでどうでも良いと言わんばかり。こうゆう無関心な所がある弟だ、やはり国を任せられるとは考えにくい。
(でも助かったわ。どうかあの人が無事に家へと帰れますように)
今出来るのは願う事だけだった。乙女は意識的に、少年の隠れる岩陰を一瞥もせずに、テントへと連れて行かれる。
遠目を活かし、乙女の去った方角を確認する。更に大人数が控えている最中に、敵国の王が威風を持って存在していた。一団は直行で敵国内、恐らくは屋敷へ向けて出発した。ちなみに、どこぞへ走り去ったもう一人の騎馬を待つつもりは無いらしい。
それからもう暫く堪えて、闇が一層深くなるまで待った。本当に虫の息さえ聞こえそうな静寂が舞い降りていた。
先程の轍を踏まない様に、そうっと岩陰から出ると素早く大大砲の真下へと走った。垂れ下がるロープを掴み、しっかりと鉤爪が引っ掛かっているか引いてみる。どうやら大丈夫の様だが、長筒の向きを変える為には歯車を動かさなければならない。腕力だけでどうにかなる仕事ではない。
ロープは十分な長さを下に残していた。ある程度のたるみを持たせた上で、身体にグルグル巻きにした。あとはやはり駛馬が頼りだ。瞬発力を以って、歯車を可動させられるかに全てが掛かっている。
勢いよく走らせると、ロープがピンと伸びて逆方向に引っ張られる。身体に巻いたロープがぎりぎりと食い込むのを堪えた。
抵抗する大大砲との戦いは、何とか少年と駛馬に軍配が上がった。鈍い音が歯車の可動を教えてくれた。真下から見上げる限りに置いては、計画はうまくいった様だ。
最後の仕事として、駛馬を跳ねらせて証拠の鉤爪を外す。元あった場所にしまって、ようやく安堵の溜息をつく。
「さあ帰ろうバーン」
目的を果たしたと言うのに、少年は浮かない表情を見せる。胸の内にまで、夜の静寂が入り込んでしまったかの様に寂し気だった。
安全と言える自国内に入ると、駛馬の脚を緩めた。その脚音が、心配と慰めの気持ちを顕している。
「言われなくても分かっているよ・・・」
少年は気持ちに答えて、タテガミを撫でる。その仕草にもやるせなさが滲んでいた。
「てっきりさ、神殿の巫女見習いか何かだろうと思ってたんだ。熱心に掃除してたし・・・普通やらないだろ?王族の娘がさ」
敵国の王とその息子の顔は知っていた。姫君の名も、耳にした事があったと思い出していた。
「あの娘がルミフィーユ・・・さすがに無理だろうな。縁が無かったと思うより他ないのかな」
すっかり傷心状態の少年は、そもそもの計画の顛末に興味を失ってしまっていた。その為、翌日の正午になって大大砲が発射される時も別に見に行かなかった。反対に乙女は気になっていたが、やはり見には行けない。これから先は、彼女が後で侍女達から聞いた話だ。
翌正午、大大砲を打ち鳴らす張本人であるマカローンは、意気揚揚と発射を指示する。間近で轟音を聞くのが日々の日課となっていて、ほぼ真下で目を閉じて余韻に浸っていた。
いつもであれば、そろそろ着弾して地面を揺らす頃合い。ところが様子が違い、周囲が騒然とし始めた。衛兵達の声が其々に危険を叫び、ぶつかり合いながら逃げ惑う音を響かせている。明らかに非常事態が起きたのだ。何事かと目を開き、天を仰ぐ。遠くへ飛んで行ってる筈の鋼鉄の塊が、頭上で太陽を遮り影を落としていた。
さすがに大大砲に直撃とまではいかなかったが、弾は随分と近くに落下して地面に大きな窪みを作った。固定していた台車が傾き、あわや倒れる寸前だ。技術兵達が総出で修復に駆け回る事態となった。
そして威勢ばかりが良い皇子は、悲鳴を上げて慌てふためき、這いつくばって逃げ回った。命ばかりは何とか助かったが、存分に肝を冷やされた。ぞおっとした彼は、自らの行いを悔い改めるより他なかった。
こうしてマカローンの威勢はすっかり削がれてしまい、大大砲はこの日を境に鳴りを潜めた。
「では、代わりにラッパを吹いては如何でしょう。正午は音楽でお知らせするのが良いと思います」
姫君の意見は即採用となり、正午には気持ちの良い演奏が行われる事となったのである。
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