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第四章
大大砲の一件以来、駛馬は乗り手の少年がすっかり意気消沈していて心配だった。例の崖へと向かう予定の時刻になっても、城から出てこない。止む無く『いななき』を上げて誘わなければならなかった。
駛馬の鳴き声を耳にして、気が乗らないながらも外へ出た。馬の出迎えと同時に、大きな荷が搬入されて来たのに出くわす。
使用人達が機敏に働き、包装を解くと感嘆の声が漏れた。ひとつ所だけでなく、あちらこちらからである。それは見た事もない程に豪奢な宝物の群れだった。杯や皿といった器から大きな花瓶まで、全て金箔で覆われていた。
立ち会いの父に尋ねると、山向こうの国からの贈呈品だと言う。
「何故こんな・・・そんなに深い交流がありましたっけ?」
率直に不思議だった。これに対して、父は何故か探る様に息子の顔色を伺っていた。
「向こうの王女としてはだ、その・・・婚礼の品のつもりではないかなと」
「またそんな。気が早過ぎではないですか?お会いした事もない、心根も知らない方との婚約なんて考えられません」
そんなセリフを吐いた少年の背を、駛馬が鼻先で突っついてきた。
(ああそうだよ。確かに遠くから見ただけの娘に恋してたけどさ・・・)
「お前がそう言うのではな・・・」と理解を示す父ではあるが、本音は違っている。
相手の国は見た通り豊かなのだ。これと関係が結べれば随分と助かる、何せ戦争のせいで経済がひっ迫しているのだ。裏腹な父の気持ちはひしひしと伝わっていた。だから少年も、頭ごなしに相手の申し出を断れずにいた。だがそもそもの疑問は残ったままだ。実際相手の王女とは一面識も無いのだ、言い寄られる謂れが思い当たらない。
結局この日は、荷物の運び込みやらお礼の書をしたためるやらに追われ、午前中の外出は出来なかった。
そして、時間はあっという間に過ぎる。夜が迫ってくると、知らず知らずに胸は高鳴り始める。『お祈りの夜に逢おう』と結んだ約束は、果たして叶うのだろうか?結局のところ、行ってみなければ分からないのだ。
(こっちが勝手に言い出した約束だし、おまけに相手は敵国の姫なんだ)
「どうせ来てくれる訳がない」そう何度も胸の奥で呟きながら、それでも気持ちは早ってならない。
平素より駛馬は厩に繋いでいない。夜も自由に走り回るのだが、少年が呼べばいつでも飛んで来てくれる。今夜少年に呼ばれた事を、駛馬を嬉しく思っていた。例え叶わぬ恋でも、なにもしないで諦めるのは親友らしくない。いつにも増して軽やかな脚取りで、あっという間に神殿へと辿り着く。もはや少年に引き返す選択肢は無かった。
少年の心は激しく揺れていた。彼女がいると信じたい気持ちと、いなくても仕方が無いという気持ち。
神殿に来るのは初めてで、正面以外に入る方法を知らない。固く閉ざされていると思えた扉がなんなく開いた。それでも、いやきっと昼間にお祈りに来た時に鍵をし忘れてしまったのだろうとどこかで思う。
中に入ると明かりが灯されていた。上へと続く螺旋階段に沿って燭台が並び、足元を照らしている。それでも、昼間でも暗いからロウソクは必要なはずだ。きっと消し忘れてしまったんだ・・・と思う。
頂上に至り扉を開く。再び夜空が広がる向こう側に、目的地である祠がぼんやりと輝きを発していた。それはまるで、少年を祝福する輝きに思えた。もはや彼の頭からネガティブな考えは消え去った。
(願いは叶った・・・間違いなく、僕を待ってくれている!)
空中回廊ですら、少年の一途な想いを阻むものでは有り得ない。微塵の躊躇も許さず駆け抜け、祠へと飛び込んだ。
結果として『息せき切って』到着した。この姿を晒しておいて、もう誰に言い訳する必要などないだろう。折しも愛の女神の聖域において、少年は全身全霊で愛を示した。
乙女にとって夜中に抜け出す事は至難の技であり、随分と覚悟が必要とされる行動だった。
寝所にまでは入ってこないまでも、随所に見張りの衛兵がいる。
ただ育ちが良いので、静かに歩くのには慣れていた。細っそりとした身体も、柱に隠れるのには便利だった。屋敷が広いのも好条件で、見廻りをするにしても十分に隙が生まれると言うものだった。
侍女達が利用する勝手口ならば見張りも薄い。こんな思い付きは、きっと悪い事だと自分を責める。折れそうになる気持ちを、少年との約束を守る義務感で支えた。あの夜の彼の奮闘ぶりは感動的だった。
(あんなに喜んでいたし、それに本当に大砲を黙らせてくれたんだもの)
勝手口から裏手へ出れば、もう神殿の姿を確認出来る。実は戦場よりよっぽど近い距離にある。戦場とは大分離れた海沿いのルートならば、誰かと出くわす心配はほぼ皆無と言えた。
夜に独りで出歩くのは勇気のいる事。乙女は改めて自らを奮い立たせて駆け出した。行き先が神殿なのがまた良かった。なにか女神に護られていると信じられて、恐怖に打ち勝つ事が出来た。
昼間とは違う黒い海と夜空。でも打ち寄せる波音は、静寂だからこそ耳触りが良い。そして満天の星空は目を見張る物だった。何故こんなにも夜を素敵だと思えるのか?少女から一歩を踏み出す前兆だと、未だ思い至らぬままだった。
目的地に着いてからの乙女は、実に理性的かつ合理的発想で行動する。
後で来る人がいるのだから鍵は開けておいて、足を踏み外しては危ないから階段の明かりを灯しておいて。ここまでは優等生っぽくできちんとした。すべき事をして、約束通りここで待つだけと満足していた。
けれども、祠でちょこんと座って初めて、ようやく自分の置かれた現状を見つめ直す時間を得た。
「だって、約束したから・・・」
言い訳じみた気持ちを口にしながら、どんどんと高まる心臓の鼓動に戸惑ってしまう。その時が訪れるまで、いざ少年が駆け込んでくる瞬間まで。乙女の気持ちは揺らぎ、自らに問い続けていた。
(私は何を望んでこうしているのだろう?)
不思議な事に、祠の中はほんのりとした光で満ちていた。白い床や柱その物が発光しているかの様に。
恐らくそれは女神の配慮というもの。若い恋人達を歓迎しているのだ。空には満天の星々、囁く様な波の音。恋人だけが紡ぎだす物語の、最上の舞台がそこにあった。
少年を見つめる乙女の瞳は熱く火照り、浮かんだ涙がきらきらと輝きを持たせる。斜めから入る光が瞳に星々を映し、その輝きの中心に少年を映した。
星々を背にした少年が、瞳の中で少しづつ大きくなり、ついに専有されんとした時・・・乙女は瞳を閉じた。
溢れた涙が熱く高揚した頬を流れ落ちる。けれど頬よりも唇が熱い。重ね合わせた唇が熱を帯びている。息を漏らした瞬間に、少年の舌を感じた。おずおずと自らの舌も絡める様に動かす。
胸に手を充てられた(・・・ああ、鼓動を聞かれてしまう・・・きっと服の上からでも伝わる程なのに、それなのに)ぱらりと身体に沿って衣服が落ちる感触がした。胸からお腹へ、腰へ太腿へ。
・・・服を失った部分がどうなっているか?考えたくない・・・考えてしまったら、そうしたら・・・
優しく身体を横たえらせてくれた。床は石の筈なのに、全然冷たくない。むしろ温かくて、柔らかくて、包み込まれるみたい。
ベットよりも心地いいけれど、シーツがある訳じゃない。自分を見つめる彼の瞳に、全裸身が映っていると思うと堪らなくなった。反射的に隠そうとした両腕を、静かに抑えられた。もう僅かな抵抗も敵わない身となってしまった。
「綺麗だよ」という彼の言葉が心の底から嬉しかった。
彼は全身で求めてきた。さっきの唇がそうであった様に、ぴったりと身体が隙間なく重なって。重なった部分は常に熱くて、その中でも特に指先と舌が触れる部分は火が付いた様で。
徐々に下へいってひとつところで留まった。そこは私の身体で一番繊細な部分で、同時に一番恥ずかしい部分で。そして彼にとっては一番興味がある部分みたい。息が吹きかかる間はずっと見られているんだわ。
続けざまに行為に至った。やっぱり指先と舌を主に使ってる。外側も内側も、それはもう丹念に愛撫してくれた。今度は身体中が痺れた。頭の先からつま先まで一瞬で走って、背中が仰け反ってしまう。
もう限界と思った時、彼も動きを止めた。良かった、ちょっと休憩するのね・・・それは私の勘違いだった。
いよいよ最後の交わりを成す時、彼はじっと私の顔を見つめた。唇が動いている・・・聞こえるけれど、頭に入ってこないなぁ。
理解も出来ていない癖に頷いてしまった。きっと、もう頭は役に立たないんだわ・・・身体に任せるしかないのね。
ある程度の痛みは覚悟しているつもりだった。でもまさか、こんなにも身体が縦に引き裂かれるみたいなんて。抵抗する手には力が入らない。ただ子供みたいにわんわん泣き叫ぶだけ。なんて惨めで可愛そうなんだろう。
・・・あれ?さっきまでそう思っていたのに・・・何だか別の感覚へと変わっちゃった。
きっとそれはハシタナイ行為・・・そう思うから必死で口を塞いでいた。でも耐え切れなくなって、大きな声をあげてしまった。
それから先は、もう何も考えられない。ただ彼に合わせて身体を動かして、やりやすいようにって。そう、なにせ彼だって初めてなんだから、私が手伝ってあげなきゃ。さっき痛くしたのも許してあげよう。
もっと彼の存在を感じたい。もっと身体の奥まで、隅々まで満たされたい。ああ、これが私の望みだったんだわ・・・
二人が愛し合った場所は、愛の女神の聖域だった。それは罪深行いだろうか?むしろ、女神に捧ぐ最も聖なる祈りだったのかも知れない。
いつまでも二人は抱き合っていた。お互いの身体で愛を確かめあった後も、幸せに浸っていた。
(もう今更言葉なんて必要ないかもしれないけれど)それでも少年は、どうしても乙女に伝えたかった。
「君の瞳は永遠の星の海を映す。綺麗で大好きだ」
そんなロマンティックなセリフを言われては、嬉しくなって抱きついてしまう。愛の言葉と一緒に名前を呼んで欲しいと思った。
「あのね・・・私ルミフィーユ」恥らいながら自己紹介をした。
少年はドキリとした。既に承知してはいたが、あまりにも正直に自身の名を明かしてくれるのだと驚いた。
「僕は・・・バーンだ」少年の方は嘘を言った。本当の名を告げたら、関係が終わってしまう恐れがあったからだ。
「まあ、随分と変わったお名前ね」
「ははっ馬の名前みたいだろ?それよりも今後の話をしないか?」
二人の関係を続ける為の提案だった。お祈りに来た時に手を振るから、今夜もOKなら手を振り返すという決め事だった。乙女は少々恥ずかしく感じて顔を赤らめた。けれど恋人に逢いたい気持ちに嘘はつけずに了承した。
その後、二人の密会は続けられた。何度目かの時に、ふと少年は口にした。
「いつも振り返してくれるよね」
それは『愛されてる』という嬉しさ半分、自慢半分の軽い言葉だった。けれど乙女は、過敏に反応した。
「だから恥ずかしくて嫌だって言ったわ。いつでも求めてるみたいに思われて・・・」
またもや乙女は顔を真っ赤にして、あの星々を映す瞳に涙を浮かべた。
「求めてるのは僕の方だよ。ほら、いつも慌てて服を脱ぐからくしゃくしゃになってるし」
白い床の上に、乙女の服は綺麗に畳まれている。反して少年のは脱ぎ捨てられて丸まっていた。
「あら、本当ね」
皺だらけの擦り切れた衣服を見て、乙女はある思い付きをした。
そうとは知らずに少年は必死で弁解を繰り返していたが、考え事に夢中で聞こえなくなっていた。
(織物はあんまり得意じゃないけど、ちょっと時間を掛ければ出来るわ。きっと)
新たな計画に乙女心をときめかす。少女っぽい幸せは、しかしそう長くは続かなかった。
デートの後はいつもこっそりと勝手口から寝所へ戻る。何回か繰り返してるけど、問題が起きた事はないので油断していた。暗がりの中、気配すら感じさせずに入り込んでいる者がいた。寝巻に着替える為に服を脱ごうとした時に、月明かりが教えてくれた。
危うく悲鳴をあげてしまう寸前で、それがタルトンだと分かった。我が弟ながら、本当に気味が悪い。
「いくら弟でも許さないわ!出て行って!」
真っ当な言い分なのだが、何せ相手が悪い。取り合う島も与えずに、用件だけをぶつぶつ言い始める。
「衛士に迷惑を掛けてはまずいんじゃない?ザッハトルクに相談されたんだ。彼は随分と悩んだ様子だったね」
乙女はみるみる青ざめた。まさか気付かれていたとは夢にも思わなかった。
衛士ザッハトルクは神殿をはじめとする外出時、また夜の見張りも含めて、ほぼ専属の護衛係と言って良い。ここ数日も常に顔を合わせていたと言うのに、そんな素振りはカケラすら見せていなかった。
そして実は夜も・・・勿論今夜も・・・それとなく尾行していた。いやらしく探っていたのではなく、それだけ心配だったのだ。反省せざるを得ない。自分の身勝手な振る舞いに、信頼する衛士を巻き込んでしまっていたなんて。
「僕に言ったのは正解じゃない?父さんでは心労を掛けてしまうし、兄さんは無駄に大騒ぎするから」
「・・・黙っていてくれるの?」
「家族の間で揉め事はごめんだからね。姉さんはさ、今まで通りの優等生のいい子でいてくれないかな~」
「分かったわ。約束する」他に選択肢は用意されていない。
ルミフィーユには、姫君としての立場がある。衛士の目があろうとなかろうと、行動は弁えなければならない。それからというもの、乙女は屋敷に閉じ籠った。密会は勿論、神殿への祈りにすら姿を見せなくなってしまった。
崖の上で、少年はがっくりと肩を落とした。彼の立場で思い当たる事と言えば、夜の出来事だけしかない。自分のほんの軽い一言がルミフィーユを怒らせたと思い込み、ただただ後悔するのみだった。
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