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第八章
一昼夜を明け、少年は駛馬を飛ばした。見知らぬ森の獣道を走破して進む。
目指すは山向こうの国だ。ルミフィーユに何が起こっているのか、鍵となるのは彼女だけだった。
それなりの正装を身に纏えば、それなりとなるもの。王女レクエアは威厳ある面持ちで、玉座から見下ろしてくる。
「よくもまあ、私の前に顔を出せたものだな」
やはり怒りは当然の事。覚悟した上で少年はひざまづく。
「どの様な罰でも甘んじてお受け致します」
「うむ・・・」しかし王女はやや頬を赤らめる「しかし罰を執行するには、罪状を明らかにせねばならぬしな。いや、あの時のアレは・・・少々軽率な行いであったと反省している。君が逃げてくれて良かった」
こうして昼間に対面してみると、大分印象が変わった。落ち着きと理性を感じさせる。
「と言う訳で不問に伏す。それで、今日赴いた用向きは何だ?」
この問いに対し、少年は僅かならぬ不安を抱かずにいられない。彼女の態度が豹変してしまう恐れがある。
「はい、『贈り物』の件です。貴方が巫女から聞いたという・・・」
「ああ、そんな話したな。あの辺りからどうにもおかしくなってしまったのだった」
「その後紆余曲折あったのですが、神殿の祠から見つけ出しました」
「なに!?本当にあったのか?」レクエアが玉座より身を乗り出した。
(やはりまずいか!)緊張が走った。(まさかこの場で、先の夜の様な事態にならないとは思うが)
だが心配した事態には至らない。レクエアは乗り出した身体を玉座に戻し、深く背にもたれかかる。
「そうか、巫女達は嘘を言っていなかったのだな。君は目にしたのかい?」
「とても美しい物でした。正しく女神の権威に敵う、奇跡の一品です」
「なるほどな。良かったら今度見せてくれ」意外な程にあっさりとした反応だ。
「あの・・・貴方も『贈り物』にご執心だったのでは?」
拍子抜けして逆に聞いてしまった。対するレクエアもうやむやな返答をする。
「うん、確かに、そうだったんだが・・・何故だろうな。憑き物が落ちた様にすっきりしてしまった。君が祓ってくれたのかもな」
(いや違う。『祓った』のでは無く『移った』のだ。彼女から僕へ。そして今はルミフィーユへと)
「『贈り物』について詳しく知りたいのであれば、巫女を訪ねてみるのが良かろう」
レクエアは快く、現在の巫女の居場所を教えてくれた。基本的には気の良い姉御肌の王女様なのだ。
馬を置いて、案内役の男の子に付いて山を登ってゆく。人里離れた自然の中にひっそりと庵が佇んでいた。途中に木の洞を利用した小さな祠があった。巫女は神殿を離れても今なお、女神への祈りを欠かさずにいるのだと言う。
簡素な女神像の他に、蝶・鳩・イルカをモチーフとした手彫りの置物が納められていた。
「どれもアプロディーテ様の御使いとされる動物達です」
案内役の男の子が教えてくれた。神殿の下働きとして勤め、巫女と共に移住して来たと言う話だった。
「巫女様はお歳ですので、お話はなるべく短くお願いします」
随分と巫女を思い遣っているらしい。男の子は心配そうな顔をしながら、二人の会話を邪魔せぬ様に外へ出て行った。
老婆の巫女は安楽椅子を揺らしながら、見知らぬ皇子へと敬意を込めてお辞儀をする。皇子ユークリウスもまた敬意を持つが、『短く』と念押しされた事も有り、直ぐに本題へと入った。
「正直に申し上げます。私は神殿の祠に侵入して、奉納品を盗み出しました。恋人への贈り物としたかったのです」
恥を捨て、少年は自らの行いを白状した。そこには乙女を救いたいという切実な想いがあった。話を静かに伺う巫女は、憤るでも恐れおののくでもない。ただ事実だけをたんたんと受け止めていた。
「そうですか。あれを手にされた方がいらっしゃるのですね」
「はい、それで彼女はすっかり人が変わってしまった。あれは、一体どういった出自を持つ物なのですか?」
巫女はやはりたんたんと、己の知る伝承を語り始めた。
「そもそもは、女神によるご自身の娘御への『贈り物』です。それはそれはご立派な婚儀が執り行われたと申します。そのはずでしょう、人の王と女神の娘御が血縁を結ばれる最初の儀式なのです。この歴史的な折に際し。女神は最上の品をご用意されたのです。
女神はその権威を掛け、あらゆる美しさを詰め込みました。見る者誰もが、その輝きの虜とされるであろう魅了の力を与えました」
聞いている内に、少年の頭はぼうっとし始めた。本当に『話を聞くだけでやばい』品物なのだと思い知った。
「一度でも身に着けた者は、美しさと威厳に満ち満ち、この上もない高揚感に包まれる。誰もがかしづくのが当たり前となる状況に陶酔してゆく。あらゆる願いを、望みを、欲を満たさずにはいられない。女神の魅力を身に受けた以上、何かを『堪える』事など思いもつかないのですから」
こめかみをぐっと抑えて、冷静な判断力を取り戻そうとする。全ての答えが見えかけていた。
「その結果、恐ろしい出来事が幾つも起きました。例えば『贈り物』を受け継いだテーバイの王家は、七つの門の戦争の後滅びを迎えたのです」
「ハ・・・『ハルモニアの首飾り』!」
震える声を絞り少年が出した答えに対して、巫女は安らかに微笑む。
「そうです。幾重の年月を経ても、人々の口沙汰に登らぬ事はありませんね」
よもや、噂に名高い神具の一品がこの地に流れてきていようとは。予想を遥かに越えた事実に、少年の身体は打ち震えた。
「私はとんでもない事を・・・女神の怒りに触れ、呪いを受けてしまったのか」
「いえ、それは違いますよ」巫女は相変わらず、たんたんとしている。
「しかし、現にルミフィーユは・・・」
「ルミフィーユさんは女神の思い通りになっているのです。こう、手の平で踊る人形の様な感じでしょうか。そもそもですが、女神が人を呪うなんて事ありはしないのです。人間の倫理観などとは遠く離れた場所においでの方なのですから」
「それは・・・つまり、どうゆう事なのでしょう?」
「いいですか、貴方は女神に導かれて祠に行き、女神の言葉に従って『贈り物』を手にした。それは即ち、女神の『思し召し』に従ったという事なのです。決して罰を受けるような悪しき行いではありませんよ」
巫女の言葉に救われた気はした。盗人として罪悪感に脅える必要なないんだと知った。同時に尚更訳が分からなくなった。これが罰でないのなら、何故にこんなにも苦しまなければならないのか?
「貴方達は思い違いをされています。女神のなさる行いが常に正しく、人々への善意に満ちている・・・と考えているならば、それは勝手な都合の良い解釈と言わざるを得ません」
「え?」
「実際の女神は人と同じ感情をお持ちです。いつもいつも清廉潔白では疲れてしまいますから、時には悪戯もなさいます。
若い恋人達が、自らの統べる愛という力によって、苦しみ藻掻く。女神にとってこれ程の愉悦はないのです。悲恋ならば悲恋な程に面白いのです。貴方達が辿り着く結末を、とても楽しみに観覧されてらっしゃるのです」
最後に巫女は皇子に謝罪をするのだった。
「申し訳ございません。『贈り物』を扱うのは、私共の様な欲望から縁遠い老人に限るとして継承してきましたのに。僅かでも欲望を抱く人が接っすれば、増幅して抑えられなくなってしまう。本来ならば噂話すら漏らすべきでは無かった」
とても残念そうに、いつまでも巫女は俯いている。余程疲れさせてしまったと感じ、少年は退出する事とした。扉を開けると男の子が控えていた。巫女と同じように深く俯いて、光る涙を零している。
理由を尋ねると、とても申し訳なさそうにユークリウスを見上げた。
「僕のせいなんです。僕がレクエア様に話してしまった。こちらの国で、巫女様を受け入れて貰う為に必要だと思って。
巫女様には叱られました。どの様な悲劇が巻き起こるか知れないって。事実、貴方と恋人を不幸に陥れてしまった。」
自責の念に駆られる男の子に対し、しかし見知らぬ国の皇子は、温情溢れる態度で接するのだった。
「いや、君のせいでは無い。これは私とルミフィーユと・・・そして女神の問題なんだ」
山を下り、一言挨拶を述べる為に立ち寄ると、レクエアが血相を変えて飛び出してきた。
「早く戻れ!君の国が攻撃を受けている!!」
戦争の傷跡は領土内の各地で見られた。大砲の流れ弾が、城を囲む自然を破壊し、巻き起こった炎が燃やしている
城壁の直ぐそこまで敵軍は侵攻を進めている。少年が辿り着いた時には、裏門でも小競り合いが始まっていた。止む無く一旦戻って距離を取り、勢いよく駛馬を飛ばした。何とか敵兵の頭を飛び越えて入城する事に成功する。
城壁内は辛うじて戦火が及んではいない。しかし、傷ついた兵士達が次々と運び込まれる惨状だった。
馴染みの門兵も怪我をして治療を受けていた。少年は身体を気遣いつつ、何が起きたかを聞いた。
「正午のラッパが鳴り響くと同時に、雄叫びが起こりました。それを合図として、侵攻が始まったのです。先制攻撃として、投石と大砲の弾が雨あられと降りました。武器の絶対数では奴らの方が勝っています。
突然の事態にこちらが右往左往するのを見計らい、敵国の重装歩兵が隊列を成して境界線を破りました。まるで雪崩の様な勢いに圧倒され、我が軍は城までの撤退を余儀なくされたのです」
門兵はその時の様子を、脅えた表情で必死に訴える。
「奴らは狂気に捉われています。どんなに薙ぎ払おうとも、退くという事を知りません。実際、戦死者は奴らの側の方が多い。なのに全く怯むことなく、ただ口々に勝利を叫んで襲い掛かってくるのです」
(狂気!?まさかそれも『首飾り』の影響なのか?国全体を巻き込む程の力があるのか?)
「そして奴らは『あれ』を使うつもりです!偵察兵が、弾を詰め込むのを確認しています!」
次に響き渡った爆音はそれまでの比では無かった。大地を巻き上げる程の衝撃が襲った。見ると城壁の3分の1が崩れ去っていた。立ち込める粉塵の向こう側に、天を衝く恐ろしい影が現れた。
「大大砲!馬鹿な味方の兵も犠牲になるぞ!!」
全くお構いなしだった。続く第二射が崩れた城壁の合間を狙って放たれた。目標は王城に相違ない。寸前に駛馬で駆けだしたが、砲弾の速度に敵う訳は無く、悠々と追い抜かれてしまう。
二度目の轟音と衝撃。駛馬ごと弾き飛ばされそうになりながら必死で駆けた。煙の先に王城が見えて来た。直撃を受けた城は天守が吹っ飛び、建物全体が今にも崩壊する危険に瀕していた。
瓦礫の下敷きを免れ、逃げ惑う人々の最中に、父の姿を見つけ少年は安堵する。日頃から王でありながら天守に籠らず、平地で民の様子を眺める習わしが命を救ったのである。
それでも腰を散々に痛め肝を冷やされた。恨みがましさを露わにし、息子に隣国への悪態をつく。続けざまに、懐に収めていた一通の手紙を取り出したかと思うと、地面に叩きつけた。
「忌々しい奴らめ!おまけにこんな書状を送りつけてきおった!」
地面で広がり、文面が目に入った『降服の証として、皇子を差し出せ』と言う内容だった。
「どうやら歳こいた王なんざ眼中にも無いのだな。だが安心しろ、お前を差し出すくらいなら、国が滅びるまで抵抗してやる」
父の気持ちを嬉しく感じる程に、少年の胸はぎりぎりと締め付けられる。
何故ならば、書面の差出人として『ルミフィーユ』とサインが明記されていたからだ。
「父上、そうでは無いのです。これは国同士の争いなんかでは無く、原因は私にあるのです。この身を差し出して、償いをしなければならない・・・女神に対しても示しを付けなければ納まりはしない」
「女神?何を言っているのだ?」理解が出来ずに狼狽える父を使用人に託す。
そして少年は一人、城から外へ向けてふらふらと歩き出した。既に城壁を越え、敵兵が多数侵入していた。
否が応でも破壊された惨状が目に入る。いつも通った道端に広がる景色は見る影もなくなった。町も畑も果樹園も人々が暮らしをなした家々も、大好きだった景色が破壊と殺戮に蹂躙されてしまった。止むことの無い悲しみの全てが、自らの行いに端を発している。少年の心は引き裂かれんばかりだった。
「大変だ!大大砲がまた動き出したぞ!!」
偵察兵が戻り大声で警告をして回っていた。呼応してあちらこちらから絶望の悲鳴が起こった。
愕然とする気持ちを必死に支えて、少年は崩れた城壁によじ登ってあの巨大な影を探した。大大砲はゆっくりと横回転し、同時に歯車により角度が上げて更に上空へと砲口を向けた。
明らかに城から標的を変えていた。その矛先は、少年がその日辿った道の先へと向けられたのである。
ある記憶が思い起こされた。そう、乙女と抱き合っていた夜に、ふと他愛もない話題として口にしていた。
『山向こうの国の王女に言い寄られて困っているんだ』
(それをルミフィーユは憶えていた!大大砲の射程は、山向こうの国まで届くというのか!!)
堪らずに少年は叫んだ。大大砲へ・・・いや、それを操る者へと届けとばかりに。
「もう沢山だ!!もう止めてくれ!!」
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