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番外編 受付嬢たちの乱・前
チラッと酒場を見て、ふぅと小さくため息をつく。何度目のため息だろうか。別にニゲルのことを疑っているわけじゃないが、目に入ると、ついため息が漏れてしまう。
古代遺跡で三つ目の太古の富が見つかったからか、昼夜問わず古代遺跡に向かう冒険者が増えてきた。近隣の街からやって来る流れの冒険者もますます増え、ギルドも酒場も連日賑わっている。日中に魔獣討伐の依頼を受ける冒険者も急増し、毎日忙しいのだとサザリーが話していた。
そんななか日中の業務をこなしてきたアイクは、一週間前からリィナに代わって夜間業務に就いている。大きなギルドと違いしっかりした新人研修はないが、昼夜両方の業務を経験してはじめて一人前になるのはここでも同じだ。そのための手助けができるのは俺もうれしく、忙しくも充実した日々を送っていた。
(仕事のほうは、いいんだけどね)
アイクの成長を確認しながら仕事をするのは大変ながらも充実している。それに一生懸命業務をこなしているアイクの姿に刺激され、俺自身も改めて初心に返って仕事に取り組むことができた。
そう、酒場での光景さえ目に入らなければ、すこぶる満足できる毎日なのだ。
見ればまたため息が漏れるとわかっているのに、つい酒場のほうへと視線が向いてしまう。
夜の九時を回ったからか、大勢の冒険者たちが酒を飲み大声で話をしていた。見慣れた顔も多いが、三分の一くらいは流れの冒険者だろう。以前なら目をつけていたかもしれない逞しい剣士や拳闘士たちだけでなく、肉感的な女性の冒険者や華奢な魔術士たちもいる。
別にそれが珍しいわけじゃない。ただ、彼女たちがやたらと密着しているのが気になって仕方がなかった。
(いまなんて、両腕とも巨乳にくっつかれてるし)
これでもかと胸を強調する普段着を着た女性が二人、ニゲルの両脇に陣取り胸を押しつけていた。周りの声が大きくて話が聞こえないから近づいている、ということなのだろう。
(それにしては、くっつきすぎじゃないかな)
それに何度も上半身を動かし、腕に胸を擦りつけているように見える。そのうち下半身も擦りつけ始めるんじゃないかと下世話なことまで考えてしまった。
(ニゲルのせいじゃないって、わかってるけど)
ニゲルからくっついているわけではないし、積極的に女性たちのいる席に行ったわけでもない。酒場に現れた途端に女性たちに腕を引かれ、有無を言わさず座らされたのを見ているから状況はわかっている。……それでも。
(もう少し、抵抗するくらいしてもいいんじゃないかな)
されるがままにしか見えないニゲルに、またため息が漏れてしまった。
もう三日もの間、こういう光景を見続けている。以前も女性たちに言い寄られることが多かったが、ここまであからさまなのは久しぶりだ。それはきっと彼女たちが流れの冒険者だからだろう。
(街の人たちは、俺たちが恋人だって知ってるから)
だから、ニゲルに言い寄る人たちはいない。俺に声をかけてくる男たちもいなくなった。しかし、初めて街を訪れる冒険者は俺たちの関係を知らない。
以前よりも流れの冒険者が増えたからか、こうした光景をたびたび目にするようになり、そのたびにため息が漏れた。
「ハァ」
不意に隣から小さなため息が聞こえてきた。見ると、アイクが眉尻を下げながら酒場のほうを見ている。視線を追えば、ニゲルよりギルドに近い席に座るヒューゲルさんが女性たちに囲まれ密着されている姿があった。
「ヒューゲルさんもか」
「え? あ、す、すみません! 仕事中なのに、ボーッとして」
「大丈夫だよ。受付に用事がある人はいないみたいだし」
「……すみません」
しゅんとしたアイクの肩をポンと叩き、ヒューゲルさんのほうを見る。
ヒューゲルさんの周りにいる女性たちも、ニゲルに密着している人たちと似たり寄ったりだ。肉感的な体つきで、それを全面に押し出した服を着ている。
二人がそういう女性たちに人気があるのはよくわかる。
ヒューゲルさんはゴールドランクの剣士らしく逞しい体つきで、サウザンドルインズでもあまり見かけないくらい大柄で目立つ。それに容姿も整っているし大人の色気もある。さらに貴族出身らしい所作は乱雑な冒険者の中にあっては目立つだろうし、女性がそういう一面に惹かれるだろうことも予想できた。
ニゲルだってヒューゲルさんほどではないものの鍛えられた肉体で、若くしてシルバーランクになった経歴を持つ。笑うと童顔に見える整った顔立ちは年上の女性たちには堪らないだろうし、敬語で話す姿にも惹かれるに違いない。十四歳の頃から女性たちと関係を持っていたからか、普段から女性たちの扱いに手慣れている言動もいいのだろう。
そうだ、とにかく二人は女性にモテる要素が詰まっている。
それだけじゃなく、男性にも魅力的に映るらしい。夜の酒場では女性陣に取り囲まれているが、日中は華奢な男性魔術士やブロンズランクの若者たちに熱心に声をかけられているのだと聞いた。
だからと言ってニゲルのことを疑ったりはしていない。隣で眉尻を下げているアイクも、ヒューゲルさんを疑ったりはしていないだろう。
それでも女性たちに囲まれ必要以上に密着されているのを見ると、どうしても気になって視線が向いてしまう。そうして目にすれば、今度は胸の奥がもやもやしてしまうのだ。もやもやを消化しようとすると、今度は勝手にため息が漏れる。それをこの三日ほどくり返していた。
「恋人がモテすぎるって、ちょっと困るよね」
「……はい」
「別に疑ったりはしないんだけどさ」
「僕も、ちゃんと信じてます」
「うん、わかってる。でも、ああいうのを見てしまうと、……ねぇ」
「……もっと、はっきり断ってくれてもいいのにって、思ってしまって……」
少し俯いたアイクが「僕、嫌な奴ですね」とつぶやいた。
「それなら、俺だって似たようなことを思うよ? 恋人がいるんだって、はっきり言えばいいのにって」
「ハイネさんも?」
「見ていていい気持ちはしないからね。でも、それを口に出すのもなぁって」
「……はい。疑っているんだって、フロインに思われたくないし」
ニゲルなら「そんなことを言うハイネさんもかわいい」なんて言いそうだなと思ったが、そう言われるのも癪だから口にしたくない。
「これも、モテる人を恋人に持つことの弊害なのかな」
「そう、ですね……」
人に好かれるのは悪いことじゃないし、恋人はモテるんだと自慢してもいいくらいだ。しかし恋愛初心者の俺にそう思うことは難しく、日々もやもやが募ってしまう。
(考えたところで、どうしようもないか)
それにニゲルが俺を好きだというのは間違いないのだから、グダグダ思う必要もない。それでも気になってしまうのが恋なんだと無理やり納得し、「明日貼り出す依頼書をまとめようか」とアイクに声をかけた。
++++
ニゲルが女性たちに熱烈に密着される様子を見てから一週間が経った。
救いなのは、流れの冒険者は一カ所に留まらないことで、巨乳を擦りつけていた女性たちは二日前にサウザンドルインズを旅立った。その後も相変わらずモテるニゲルだが、あれから過剰なまでに密着されている姿は見ていない。
ヒューゲルさんに言い寄っていた女性たちも次の街へ向かったようで、アイクの表情も明るさを取り戻していた。
「モテる恋人を持つって、大変なんだな」
そんなことを思いながら道具屋が並ぶ通りを抜け、ギルドへの近道になっている路地に入る。
今日は馴染みの道具屋で腹の薬を買うため、一緒に部屋を出たニゲルとは途中で別れた。ニゲルは一緒に行くと昨夜から言っていたが、買うものがものだっただけに嫌だと突っぱねた。
「さすがに、この薬を一緒に買うのはな」
抱えた紙袋を覗き込み、苦笑する。
袋いっぱいに入っているのは、主に男性が服用する腹部専用の回復薬だ。効能は痛みや下している状態を緩和し、素早く正常な状態へと戻すこと。だからといってただの腹の薬ではなく、ベッドで受ける側の男が必要とするものだった。
以前は、この薬にこれほどお世話になることはなかった。大抵は指で掻き出せば大丈夫だったし、シャワーで洗い流せば問題なかった。
しかしニゲルとスるようになってからは、ほぼ必須の回復薬になっている。
「あんな奥に毎回出すんだから、掻き出しきれないんだよね」
奥深くに残ってしまうせいで、たまに腹痛を起こす。俺が回復魔術を使えれば薬は必要ないのだろうが、残念ながら傷を塞ぐことはできても治癒はできない。そうなると回復薬に頼らざるを得ないわけで、部屋に常備するようになった。
「まぁ、回復魔術も万能じゃないみたいだけど」
今回、紙袋いっぱいに買ったのはアイクに渡す分もあるからだ。自力で回復魔術を使ってもどうしようもないときがあると相談され、それならと俺が普段使っている回復薬を勧めることにした。
それにしても、回復魔術が得意なアイクにもどうにもできないときがあるなんて、ヒューゲルさんってそんな感じだったかな、と過去を思い起こす。……いや、俺はそんな目にあったことはない。ということは、ヒューゲルさんも恋人に対してはすごいってことか。
そこまで思い出し、慌てて頭を振った。たしかに過去に関係を持っていた相手ではあるが、ベッドでのことを思い出すのはよくない。
もう一度頭を振ったところで、道の先でボソボソと話す声が聞こえてきた。
ここは細い路地で、賑わいのある表通りと違って人通りが少なく、使うのは付近の住人か階段の上り下りを苦だと思わない人くらいだ。俺はもっぱらギルドへの近道として使っているが、日中でも誰かとすれ違うことはほとんどなかった。
そんな路地で人の話し声がするなんて珍しいなと思いながら、角を曲がろうと一歩踏み出し、咄嗟に足を戻した。
曲がり角の先にある、アーチ型の小さな橋の手前の階段に二人分の人影が見える。小柄なほうは誰かわからないが、もう一方は絶対に見間違えない人物だった。
(こんなところに、どうしてニゲルが?)
背中しか見えない小柄な人は、服装からして黒手袋の魔術士だろう。身振り手振りで何かを必死に話しているようだが、ニゲルのほうは、ただジッと相手を見下ろしているだけだ。
パーティに誘われているにしては、ニゲルの態度がおかしい。小柄な人物が少し声を荒げたおかげで若い男だということがわかった。
(何か揉め事とか?)
それなら仲裁に入ったほうがいいだろうかと思いながら見ていると、小柄な男が突然ニゲルに抱きついた。
「え?」
少し離れたところから見ても、ぎゅうっと力任せに抱きついているのがわかる。身長が違うからかニゲルの肩あたりに頭がある男は、額をぐりぐりと押しつけているようにも見えた。
俺は、踵を返してその場を後にした。覗き見るものじゃないと思ったのもあるが、どうしようもなく胸の奥がざわざわして居た堪れなくなったのだ。
ニゲルがあの男とどうこうなると思っていなくても、胸がざわざわ騒ぐのを止められない。このままでは今夜の仕事に差し障りが出そうだと思い、少し遠回りをしてギルドへ向かうことにした。
歩いていれば少しは気持ちも落ち着くだろう……、そう思っていたのに、結局ざわざわした気持ちのままギルドのドアを開けることになった。
「……え?」
開けたドアの先に広がる光景に、思わず足を止めてしまった。
ギルドと酒場のちょうど境目くらいのところに、軽装備を身につけたヒューゲルさんが立っている。ただ、立っていたのはヒューゲルさんだけではなかった。
すぐそばにはあまり見かけない白手袋の魔術士が立っていて、両腕をヒューゲルさんの首に巻きつけ背伸びをしている。横顔から白手袋が男だとわかったが、その唇は間違いなくヒューゲルさんの唇にくっついていた。
「え? どういうこと?」
熱烈なキスをしているように見える二人の奥には、目を見開いたアイクの姿があった。驚きのあまり動けないのだろう。まるで時間が止まっているかのように、濃い碧眼は瞬きすらしていない。
「……っ、やめないか!」
「えぇ~、ちょっとくらい、いいじゃないれすか~」
白手袋は相当酔っているようで呂律が回っていない。ヒューゲルさんが体を離そうにもべったりと寄りかかったままで、自力では立てないようにも見えた。それがヒューゲルさんにもわかったらしく、白手袋の男の腰をひょいと右腕で抱えてギルドを出て行った。
(なんだか、荷物を抱えるみたいな感じだったけど……)
小脇に抱えているのが人でなければ、本当に荷物を運んでいるように見えた。
呆気に取られていたのは俺だけじゃなかったらしく、ヒューゲルさんたちが出ていくと途端に酒場が騒がしくなった。あちこちで白手袋を非難する声を上げているのは、ヒューゲルさんとアイクの関係を知っている馴染みの冒険者たちだろう。野次を飛ばしおもしろがっているのは、流れの冒険者に違いない。
そんななかアイクはそっとドアから視線を外し、受付台の奥へと入って行った。ちらりと見えた横顔から泣いていないことはわかったが、眉尻は下がり何か考えているようにも見える。
「嫌なことって重なるものだな」
少し前に見たニゲルのことを思い出し、ハァとため息が漏れた。
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