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私の中の空白
「ちっちゃい頃、魔法少女マジカルめっちゃ見てたよねー!」
「わかる!私ピュアシャインが一番好きだった!」
「俺は仮面ライダーだったなぁ」
「あーかっこよかったよな!変身ベルト持ってたわ」
がやがやと賑やかで明るい店内、香ばしい魚や肉の匂いと、安酒の香りが鼻をくすぐる。
薄い座布団の上で、足が痺れないように何度も座り直しては笑顔で相槌を打ち、酒を一口、また一口と流し込む。
大学生特有の青く、騒がしい飲み会が、私は嫌いではなかった。
お酒はあまり飲めないし、話の中心になるわけでもない。それでもその場にいるだけで、なんとなく同じ仲間になれた気がするからだ。
「真奈美は何見てた?」
「えっ」
「ちっちゃい頃のテレビ!魔法少女マジカル、誰推しだった?」
あーははは、と乾いた笑いを漏らす。
居るのは好きだけれども、話を振られるのは苦手だ。
何故なら。
「私、ちっちゃい頃の記憶、全然ないんだ〜。マジカルも見てたはずなんだけど、なんにも覚えてなくて…」
「えー!なにそれ!もしかして真奈美って意外と忘れっぽい感じ?」
「そうかも」
目の前の茶髪の明るい笑顔の彼女は、そうなんだーと笑った後、別のメンバーに話を振っていった。
正直、ほっとする。
半分は本当だが、半分は嘘だからだ。
私には小さい頃の記憶はほとんどない。
情報として、どの小学校に行って、どのテレビ番組を見て、どの本を読んで、どの塾に行ったか、は分かっている。
しかし、本当に小学校一年生くらいまでの記憶がカケラもないのだ。
魔法少女マジカルは確かに見ていた。母がよく言っていた、私にマジカルを見せておくと、とてもおとなしく画面に食いついて見ているので、楽に家事が出来た、と。
なので見ていたはずなのだ。
けれども、何も思い出せない。どんな話だったのか、どんなキャラクターがいたのか、一般常識以上のことは何も分からない。
では、もう半分の嘘とは何かって?
それは、魔法少女マジカル以外は見ていなかった、と言うことだ。
ただ小さい頃の記憶がないから、昔のアニメの話題が出来ないわけではない。
他のアニメは見させてもらえなかった。
だから、話しようがない。
未だに昔のアニメ談義で盛り上がっているサークルメンバーをぼんやりと見渡す。
茶髪の明るい笑顔の彼女、ワックスで髪を立てた楽しそうな彼、おっとりとした黒髪の眼鏡の彼女、穏やかそうににこにこと頷く短髪の彼。
皆とても楽しそうだ。
だから私はこの空気に溶け込む。
ここに溶け込んでいる間だけは、私も皆と同じになれるから。
ふと、膝元で振動を感じる。
目線をテーブルから下に落とすと、携帯に通知が一件。
ああ、夢の終わりがきた。
ゆっくりと通知を開くと、「美佐子」の文字。母だ。
『まだ飲み会終わらないの?もう帰って来なさい。パパが心配してる。』
『まだ終わらないよ、誰も帰ってないし、もうちょっと居てもいいでしょ?』
『もう終電近いのよ、いいから帰って来なさい』
はぁ。
深いため息を誰にも聞かれないように吐く。
楽しかった心に一気にカーテンが引かれたような気がした。
「ごめん、親が怒ってるから、私帰らなきゃ」
会話の途切れるタイミングを見計らって発言した言葉に、思ったよりも多くの顔がこちらを向いた。
「えー真奈美帰っちゃうの?」
「親御さんが怒ってるなら仕方ないね」
「気を付けて帰って」
うん、ごめんね、ありがとう。
そう言って、私は身支度をして素早く店を立ち去る。
出来るだけはやく立ち去りたい。
楽しい席を私なんかの存在で中断させるのは嫌だから。
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