2人が本棚に入れています
本棚に追加
暖かかく騒がしい店内を通り抜け、思ったよりも重いドアを押して潜り抜ける。
大学からほど近い繁華街のど真ん中の居酒屋から出た大通りには、まだ沢山の人がいる。
寄り添い歩くカップルや、居酒屋の客引き、道で二次会の相談をしている若者達。
皆楽しそうだ。
店の中とは違い、風が吹いて少し肌寒い大通りを、人の間の縫うようにして早歩きで進む。
帰るのなら、はやく帰ろう。
そう思って、鞄を肩にかけ直し、横断歩道で信号を待つ。
夢から醒めるのは一瞬だなぁ。
いつも、夢から醒めるのは決まって、母からの連絡だ。
楽しいデートの帰りも、友達との女子会終わりも、サークルの飲み会も、遊園地の帰りも。
余韻なんてものを味わう暇がないくらい一瞬に、冷める。夜遅く帰ることは我が家にとって罪だから。
「お姉さん、今帰りですか?」
正直天を仰ぎたくなる。夜の繁華街、終電間際に女一人。そりゃそうだよね。
「そうですけど」
「いやぁお姉さん、すっごく美人だから声掛けちゃった!これから少し時間ある?」
「今から帰るところなんで」
「ちょっとだけでいいからさ。時間ない?俺お姉さんみたいな綺麗な人と一度でいいからお話ししてみたかったんだよね!ほら、あそこのカフェでコーヒー飲むだけでいいからさ」
目の前で一生懸命に話す、目線が同じくらいの高さの金髪。柄物のシャツからのぞく銀のチェーンが街灯にキラキラと反射している。
「すみません、急ぐので」
信号が青になった瞬間振り払うように大股で駅への道を進める。
残念そうな声で、ほんとに美人だよー!と背後からかかる声を聞きながら、私は駅への階段を下った。
まだ優しい人で良かった。夜中の繁華街を一人で歩くなんて碌なものじゃない。
自宅へと向かう電車の椅子で縮こまって目を瞑る。
寒くはなかったが、上着を抱き寄せるようにきつく握りしめた。
これなら朝まで皆で居酒屋にいたほうがよっぽど安全じゃないか。
怖くない人で良かった。
「ただいま」
家の中はまだ明るい。時刻は12時半を回っていた。
返事はない。
これは怒ってるパターンだな。
すぐに察した私は出来るだけ足早にテレビのついているリビングを通り抜け、自室に鞄を置いて着替える。
そのまま下着を持ってお風呂場に向かって、少し汗ばんだ下着を外す。
「遅いじゃない」
脱衣所の開いた扉の前に母が現れる。
出来るだけ顔を合わせないように下着を脱ぐようにした。
「しょうがないじゃない、飲み会だったんだから」
「なんで今どきの飲み会ってこんなに遅くまでやるのかしら?私の頃は飲み会なんでなかったのに」
「知らないよ、うちの大学では皆飲み会やってる」
「それにしても遅すぎるわよ、危ないじゃない」
「皆で一緒に居酒屋にいるだけだから大丈夫だよ」
「大丈夫だなんて誰がわかるのよ、危ないかもしれないじゃない」
それ以上の返事はしない。
風呂場のドアを閉めて、会話を遮断させる。
母の顔を見なくても不機嫌なことは分かった。ふん、と鼻を鳴らす癖、じっとこちらを見つめて何かを言おうとする気配。
母の機嫌はいつでも手に取るように分かった。機嫌の理由は分からないけれども。
今まで21年生きてきて、母の対策はある程度心得ている。
沢山言い返したいことはあるけれど、あまり言い返してはいけない。言い返せば返すほど、母の語気は増し、鼻息は荒くなり、声は荒く大きくなっていく。
だからある程度言い返して、これ以上は無意味だと思ったら、それから先は無言を貫く。それが一番。
私の、小さい頃の空白は二度と埋まらない。
無くしてしまったパズルのピースは戻らない。
私が何故、小さい頃の記憶を無くしたのか、自分でもよくわからない。多分、脳が不必要な記憶だから容量確保のために削除したんだろう。そうとでも思わないと説明がつかなかった。
小さい頃のアニメの話か。
湯船に浸りながら私は記憶がある一番昔のころを思い出しながら、ふぅと息を吐いた。
アニメの話題についていけなかったのは今日が初めてじゃない。
小学校でクラスメイト達がアニメやドラマ、アイドルの話で毎日盛り上がっているのを私は聞いていた。
私は勿論参加しない。
だって見られなかったから。分からないから。
その点、今日は良かった。話題に入れなくても、仲間外れだからと虐められたりしない。
小学校の頃は酷かったなぁ、と心に暗い闇が宿るのを感じながら目を開ける。
過去に戻れる能力があったとしても、どの過去にも戻りたくない。
せめて言うなら母のお腹の中だろう。
ほとんどない昔の記憶の中の、僅かに思い出せる破片達は、辛く悲しい思い出ばかりだから。
最初のコメントを投稿しよう!