一人で旅に出たかった

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 九月に休暇を取って一人でアイスランドに来ている、  この時期は極夜でも白夜でもないから、昼には観光を、夜にはオーロラを楽しめる。  昼に首都レイキャビクをうろうろして観光を満喫した私は、魚のスープの夕食を摂った後、バスツアーに参加して暗いところまで連れて行かれている。  アイスランドは全土がオーロラベルトに含まれているのでどこにいてもオーロラを観測できるが、自然現象であるからして必ず見られると言う保証があるわけではない。この国に滞在する十日の間に見られればラッキーと思っておく。  オーロラ観察スポットに到着した。運良く晴れ。このまま運良くオーロラが現れてくれるといいのだが。真っ暗で街明かりは僅かしか届かないが、月明かりが辺りを照らす。  昼間に買った暖かいロパペイサというセーターの上にもこもこと上着を二枚着て、毛布を羽織って、毛糸の帽子を目深にかぶって、首周りはマフラーでぐるぐる巻きにする。寒いのは苦手だ。  一人でそうやってじっとしていると、隣の人が英語で話しかけてきた。 「こんばんは。オーロラ楽しみね」 「こんばんは。そうですね」 「あなたはどうしてアイスランドへ来たの?」 「……たった一人で遠くまで来てみたかったから」 「それは素敵ね! 私も一人旅が大好きなの。あなたもよく一人で海外旅行をするの?」 「いえ、これが初めてです」 「いいわね!」  そんなにいいものでもない。  うつ病を患って何もできない時期があった。ただただ死にたかった。何も食べず何も考えず布団に横たわっていた。その時に夢を見た。誰も私のことを知らない、言葉もろくに通じない、本当に何にも知らない場所で、一人で旅をする夢を。夢の中の私は困り果てて立ち尽くしていたし、寂しくてしょうがなかったけれど、本当に久しぶりに、わくわくするような冒険心を楽しんでもいた。はっと目が覚めた時、生きてみようと思った。この夢を正夢にしてみたかった。 「この旅は自分へのプレゼントなんです。病気が治ったので」  私は気づいたら口にしていた。  その人は大袈裟なリアクションをした。 「素晴らしいわ。あなたは頑張ったのね」 「そうかもしれません」 「ねえ、お友達になりましょうよ。知らない人と出会えるのも一人旅の醍醐味よ」 「あ……はい」 「これが私のSNSアカウント」  その人はミトンを外してスマホを操作した。 「きゃっ、寒い。あなたも急いで登録して!」 「はっ、はい」  私は凍るような風が吹き付ける中、手袋を外してスマホを出した。SNSアカウントをフォローする。 「これでよし。後でいつでも連絡が取れるわね! 仲良くしましょう」 「よろしくおねがいします」  まさか、一人旅で友達ができるとは思っていなかった。誰も私を知らないところに行こうとしたのに、知り合いができて、友情が芽生えてしまった。何だか暖かい気持ちがした。  今私は、夢の中で見たように、一人ぼっちで困り果ててはいなかった。想像以上に幸せで、寂しくなどなかった。  私たちは話をした。出身国のこと。家族のこと。仕事のこと。趣味のこと。今回の旅で行きたい場所のこと。  真っ暗な心に明かりが灯る。  そうしているうちに夜が更ける。オーロラはまだ現れない。今晩中に現れるかも分からない。のんびり待ちながら、持ってきた暖かい飲み物を啜る。  私はオーロラを見にきたんじゃなくて、この時間を堪能するために来たのかもしれない。それでもいい。冷たい空気が肺に入る。人々は静かに上を向いて待つ。ゆったりと流れる時間。星空。隣には友達。 「あ」  その人は空を指差した。 「何か緑色のものが見えるわよ」 「オーロラですね」  きゃーっ、とその人は興奮気味に手を叩いて、私の背中も叩いた。私は背中を叩き返しながら、黙って目を見開いて、極北の夜空の芸術を眺めていた。 おわり
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