29.何もかも飲み込む月食

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29.何もかも飲み込む月食

 ご飯をたくさん食べて、幸せになった。ぽかぽかと暖かくて、眠くなってくる。触れたアスティも温かいし、ご飯が詰まったお腹も温かい気がした。  あふっと欠伸をして、手で押さえる。僕は言われたことないけど、口の中を見せるのははしたないって聞いたの。歯を見せて笑ったり、欠伸の時に奥まで見えるのはいけないことなんでしょ? 「カイ、眠いの?」 「うん……」  寄り掛かって座ったアスティがふふっと笑う。少し目を開いたら、波が凄く遠くにあった。びっくりする。さっきは僕達のいるテントの近くにいたのに! 驚き過ぎて目が覚めたよ。 「アスティ、波があっちへ行った」 「引き潮と呼ぶの。一日に満ちて寄ってきたり、引いて離れたりするわ」  今は引いてる時間みたい。上を見たら、お月様がすごく大きかった。立派なお月様は二つあって、ひとつは銀色、もうひとつは金色なんだよ。今日は銀色の月が大きい。見上げた僕はぽかんと口を開けてたみたい。突かれて慌てて口を閉じた。 「貝殻みたいね」  柔らかく笑うアスティに「もう」と抱き着く。こういうのを許してくれたのは、お母さんとアスティだけ。僕は懐かしい気持ちと、鼻がつんとする感じに瞬きした。何でだろう、涙が出そうだった。引っ込んだけど。 「もう少ししたら、あの大きな銀月が消えちゃうのよ。それを見たら帰りましょうね」 「消えちゃう?」 「ええ。月食と言うの。その時間だけ暗くなるわ。星が良く見えるし、海にも星の光が現れるのは綺麗よ」  星に似た光? 海の中に見えるなんて、初めて知った。すごいな、アスティは僕より世界をたくさん知ってて、それを全部教えてくれる。どんどん覚えて賢くなるから、それまで待っててね。賢くなったらアスティの役に立つよう頑張るよ。心の中で約束した。  アスティの話した月が消える瞬間が見たくて、空を見上げる。夜の空は黒くて、よく見ると青っぽいの。でも紫とは違う。深くて暗い色だけど青。昼間が青だからかな。じっと見つめる先で、星が明るくなった気がする。 「カイ、こちらよ……ほら」  声をひそめたアスティに促されて、星から目を逸らすと空が暗かった。いつもより暗くて、僕の目が悪くなったのかと思う。でも銀月の形が縦長になってた。消えた分だけ暗くなったの? 「銀月は消えちゃうの。輪だけになって、また元に戻るのよ。時間がかかるからお茶を飲みましょうね」  この後半分になると言われても、まだ銀月は大きい。もうひとつの金月は、大きめの星みたいにぽつりと遠かった。目を戻した僕の前で、銀月が少しずつ小さくなって半分になる。このままアスティの言ってた通り消えちゃうなんて。  初めて見る縦長の銀月はさらに小さくなるけど、あれ? 真っすぐじゃないんだね。丸い月に丸い黒が乗ってるみたい。そう聞いたら、よく観察してると褒められた。だんだんと暗くなって、渡されたお茶に口を付けた。真っ暗になったら、僕の手もなくなりそう。  お茶を飲んで空を見上げ、またお茶を飲む。カップが温くなる頃、銀月は消えてしまった。どこにもない。真っ暗になったことが怖くて、カップを投げてアスティを探す。 「アスティ、アスティ」 「大丈夫、ほら触れてるわ」  伸ばした指先に、温かい手が触れる。アスティの手だった。すぐにわかるよ。手は柔らかくないし、傷跡がいくつか残ってる。手のひらはごつごつと硬い塊が入ってて、でも誰より優しく僕を撫でた。その手が頬に触れて、嬉しくて目を閉じて頬を寄せる。  目を閉じてるのに、外が明るくなるのがわかった。少し目を開けたら、海の中に光があって……アスティが僕を見ていた。大好き、アスティ。
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