てんてん金魚

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「優貴さん、金魚のことに詳しいですね」 「うん。美術部のレンタル金魚屋って、僕のことだから」 「そうだと思ってました」  優貴さんは、意味もなく、美術室の石膏像や、不思議な金魚のことを語ったわけじゃない。  あたしに「美しい謎」の、その先まで来て欲しいと望んでる。  もっと深いところへ潜って、“僕”のことを探して欲しいって。そう言ってるんだ。  あたしは、心臓が重く脈打つのを感じた。  これは、恋や恐怖によるものじゃない。  ただ、優貴さんの期待に応えなきゃいけない。彼の見せてくれた謎を、解決に導かなきゃいけないって、それを重圧に感じてるだけ。 「レンタル金魚屋のことを聞いて、あたし、ちょっと思い出したことがあるんです。セントラルパークの夏祭りで、毎年、金魚すくいコーナーにいた兄妹……。『俺んちの金魚だ』って言うのが口癖だった」  きらきらとした瞳の兄妹だった。 「もしかしたら……優貴さんは、そのお兄さんのほうじゃないかな、なんて思ってたんですけど」  あたしは今、上手に笑えてるだろうか。 「そうじゃないですよね? だって、相談所のプロフィール表に記載されていた家族構成は、『父、母、兄』でした。だとしたら、あなたはじゃない。優貴さんはーー」 「正解。千夏さんは、案外鋭いね。そう、僕は妹のほう。いや、と言ったほうが正しいかな」  そう聞くと、途端に女性らしく見えるのが不思議だ。でもやっぱり、優貴さんは男の人だった。 「性転換の手術をしたんだ。ずっと、自分の身体に違和感があったから。今は、身体も戸籍も男だよ」  トランスジェンダー。  昔から、心と身体の性別が一致しなかった。  身体は女性のものなのに、意識は女と男の狭間(はざま)を行き交うようで、けれど、次第に膨らみを増す乳房が邪魔だということだけは、はっきり分かった。  彼は淡々と話した。   「僕も、あのコメットみたいになりたかった。自分を守るために、体の色を変えられたら良かったのにって、何度も思ったよ」  何て言葉をかければいいのか分からない。  勇気のないあたしは、結局、唇を引き結んで、彼の言葉に耳を傾けることしかできない。 「今でこそ、こうやって平然と話してるけど。当時は相当悩んだし、苦しかった。両親とも衝突した。というか、僕が一方的に、イライラしてたのかな。美術室の石膏像に、カツラや髭、ネクタイをつけて、仮装させてみたのも僕。男と女の境目はどこにあるんだろうって、知りたくて。毎朝起きるたびに、涙が止まらなくなることもあったよ」  優貴さんは、溜息を吐いた。 「……それでね、ついにやっちゃったんだ、ガシャーンってね」 「ヴィーナス像を、壊しちゃったんですね」  完全には理解してあげられないかもしれないけど、想像はできる。  優貴さんは、借り物の器を前にして、めちゃくちゃにしてやりたくなったのだ。 「そうだよ。先生にこっぴどく叱られてさぁ。そんなんで、落ち込んでたら、能天気な文芸部の女子が現れた。誰のことか、もう分かるよね?」
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