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それから一時間くらいの海野の息抜きの時間は体感十分くらいだった。こんなに気が張らないバイトは初めてだ。それなのに本当に一万円も貰えた。そして海野との会話は想像よりも楽しいという感情に近い。久しぶりに友達と遊んでいるような感覚は正解だった。気恥ずかしくて言えなかったが、時間が早く感じたのも超絶気が合うというほどでは無いが、良い友達になれるんじゃないかとも思った。
でも一つ引っ掛かって気になった事がある。あの得体の知れないむず痒さが襲ってきた事だ。俺を気に入っていると思わせる時に少しだけ気まずさを感じてしまう。
…俺が膝枕するから良いって。
居心地が悪いとは違って、言葉で言い表すのが難しい。それでもバイトの時に感じていた早く帰りたいなんて事は一度も感じなかった。
そんな不思議な気持ちを抱えたまま週に二回くらいのペースで一時間くらいバイトをしている。場所は海野の家だったり、俺が忙しかったりすると海野が気遣って家まで来てくれるようにもなった。その時に父と母の写真に手まで合わせてくれる海野の後ろ姿に胸打たれるものがあった。
それだけじゃなく、俺が初めに腹が減ったと言っていた事を覚えていたらしく、貧乏人とは無縁の宅配サービスを注文してくれていた。流石にそれは申し訳ないからいいと断りを入れたが、「これは賄いだから。それに俺も一緒に食べたいんだけど」なんて言われてしまったら、素直に感謝を伝える事しか出来なかった。
海野とは色んな話をした。前に追いかけてきた週刊誌の連中を海野はちゃっかり写真に収めていたらしい。事務所に写真を見せながら相談したところ、事務所の訴えで問題視されるほどニュースで注目を浴びていた。そのお陰で前よりは過激な追い掛けは無くなったらしいが、居なくなることは無いと海野は不愉快そうに眉を寄せていた。人気が高ければ高いほど付き物だなんて皮肉な話だ。
あとは海野は家でお父さんとお母さんと住んでいて、東北に年の離れたお兄さんが働いている。家族とは割と仲が良いらしい。ペットは飼って無いけど犬が好きだと言っていた。それから俺は嘘だと一度は疑ったが、彼女は本気で居ないと言う。芸能業界で働いている人間は口では居ないと言っているだけだと思っていたが、海野はそんな暇すら無いらしい。
「本当に彼女が居たら賀久じゃなくて彼女にしてもらいたいだろ。でも俺は賀久が良い」
そして今日もコイツは膝枕をされながら綺麗な顔を俺に向け、いつも通りソワソワするようなむず痒い発言を連発する。本当にそれだけを止めて欲しいくらいだ。全身に走る違和感を落ち着かせるように軽く咳払いした。
海野と一緒に居て思うのは、長年の親友に間違われてもおかしくないくらい距離が縮まった気がする。慣れというのは怖くて、何で男が男に膝枕をしなきゃいけないんだという気持ちが無くなり、海野ならいいかって思っている。なんだか海野と同じような気持ちになっている気がした。
海野とは顔を合わせれば今日一日の出来事の話をしたり、沈黙でも居心地が良いと思えるようになってしまった。父と母に対して心の穴は相変わらず埋まらないが、海野と会話を交わしている時だけは意識が海野に行くお陰なのか、その楽しさで癒されている。貧乏で余裕の無い生活から以前生活していた気持ちで居られるような…自分らしく生きれている気がする。だからこそ今の悩みは海野から金を貰っていることが罪悪感が生まれてしまった。そういう関係なのに、変な話だ。
「彼女居ないって、クラスの女子達にとっては朗報だな」
「クラスの女子だけ?」
「だけってなんだ。日本中のお前のファンも込みにしろって嫌味か?」
「違うって。賀久はどうなんだよ」
「え、俺?俺は別に…」
海野は俺の前髪に手を伸ばし、横に流した。まるで俺の表情が見たいと言っているようだったが、その行為も擽ったくて手を掴んで降ろしながら考えた。
海野に彼女が出来る。彼女が出来ると言う事は海野との時間が無くなって、正直寂しいという気持ちになる。でもあんなに俺が良いって言っていたクセに他の奴に目を向けるなんて…え?
その考えに別の違和感を覚えた。友達として寂しいと思っていたのに、海野の彼女候補にモヤッとした気持ちになった。それに気付いた瞬間、嫌なくらい心臓の鼓動が速くなる。この気持ちを言葉に表すなら、きっと“嫉妬”に近い。友達として?いや、生きてきて友達という存在にこんな気持ちを抱いた事は無い。
「別に…ちょっと寂しいくらいだろ。お前が幸せならそれで良いんじゃないか。けど週刊誌の連中には上手く巻けよ」
「そうだな。上手くやる」
頭の中が混乱した所為で海野が以前言っていた役に似た台詞で逃れても、海野は変わらず笑みを浮かべていた。
心臓の音が煩い。今すぐ頭を冷やしたい。気のせいだ。それは違う。今は生きる事に盲目になっていても、貧乏になる前なんて可愛い女の子が居たら目で追いかけてただろ。きっと仲良くなりすぎたんだ。少しでも気を紛らわしたくて、今すぐに別の話題に変えたくなった。
「…なぁ、海野。今日は学校どうだった?」
「んー、普通かな。同じクラスの某有名な事務所に入った奴がアイドルグループを結成する事が出来たって喜んでた」
「……そんなの俺の学校じゃ聞けない内容だけどな」
いつもなら俺から目を話さない海野の視線が痛くて、誤魔化すように見慣れた海野の部屋を見渡す。果たして俺はいつも通りに振るまえているんだろうか。
「賀久は今日どうだった?」
「そういえばクラスの奴が膝枕について話してて、されたい派と逆にしたい派でプチ論争になってた」
「はは、そんなの彼女相手ならどっちでも最高だろ」
「確かにな。あ、その時にお前が俺の膝枕気に入ってるから、もしかして寝心地が良いんじゃないかって思って友達に…」
クラスの男子連中は割と仲が良い。その話になったのは本当の事だから話す内容があって少し安心したが、話しの途中で海野が急に起き上がった所為で遮断された。驚いた弾みで部屋に向けて視線を海野の表情へ戻すと、見た事の無いくらい険しい顔付きをしていた。
「賀久が俺とのことは話せないって言ってたから気にしてなかったけど…もしかして俺以外に膝枕した?」
「え。寝心地を確かめてもらおうと思ったけど、友達がお前の膝枕なんてされなくても硬いだろって逆に拒否されたってオチだけど…別に海野と会ってる事は話してないぞ。何かごめん」
「違う、賀久が謝る必要は無い。ただ、俺以外にするのはダメだ」
俺が必死に弁解する中、海野の言い分に動揺してしまうくら心臓が高鳴った。俺には海野が友達に嫉妬しているように聞こえた。
何でお前がそんな事を言うんだよ。勘違いしそうになるだろうが。
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