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愛しのお膝元(人気俳優×貧乏平凡)
時計の秒針が一定に刻む音しか聞こえない静かな空間。
俺は今、貧乏な所為でテレビすら置いていない質素な部屋の中心で膝枕という名の行為をしている。膝枕をしているのは俺。そして膝枕をされているのは出会って一時間も経たない同い年の男。唯一の暇つぶしは開いた窓の外から遠くに見える満開の夜桜を眺めるだけだ。
それよりも何故男が男に膝枕してんだよって聞きたいと思う。それは俺が一番聞きたい。
着けていたマスクを顎下まで下ろした男は、躊躇なく俺の腹側へ顔を寄せるように寝返りをうった。安心しきった寝顔を晒す男の素顔は息を飲んでしまうほどの美形で、一重で鼻筋と無縁な自分の顔とは真逆だった。日本人離れしたような綺麗な顔をジッと眺め、足の痺れを回避しようと何度も足を組み返しても起きる気配の無い男の肩を盛大に揺さぶった。
「確か海野(うみの)って言ってたよな。…おい、海野。もういいだろ。そろそろ起きろよ」
「…」
「俺、腹減ったんだけど。名前しか知らない男の膝の上でよく爆睡できるよな」
「…」
「全然起きねぇ。息は…してるよな」
「…」
「もしかして名前が間違えてるとか。海野じゃなくて宇野の聞き間違いか?おい、宇野!」
「…海野で合ってる。悪い、聞いてて飽きない独り言は初めてだなと思って」
「うわっ!起きた。なんだよ、起きてるなら言えよ」
海野を怪訝そうに揺さぶりながら息をしているか安否確認をしていると、目尻にむけて長い睫毛がゆっくりと動いてくれた。綺麗な二重をしたアーモンド形の瞳が俺を真っ直ぐに捉える。寝起きで重そうな身体を起こしてくれたことで、やっと妙な緊張から解放された。
「眠りに入って四十分くらいか。こんなにスッキリした目覚めは久しぶりだ」
海野は着ていた制服のブレザーを整えながら家の時計を確認すると、何故そうなったのか答えを求めるように俺を凝視した。
「そんなの俺が聞きたい。何処でも寝れる奴なのかと思ってたけど違うのか」
「数年前から眠りが浅くなって悩んでたから余計に吃驚してる。硬い枕は嫌いなはずなんだけどな」
俺の太腿の具合をポンポンと手のひらで確かめる海野の口角には揶揄いが見えて、一気に眉間へ皺を寄せた。
「あっそうですか。四十分も寝てた奴がよく言うよ」
「あはは、そんな怒るなよ。褒めたつもりだ」
海野は目が眩みそうになるほどの美しさが際立つ笑顔を向けるが、思わず同性の俺でも見惚れそうだった。
どうせモテまくってんだろうな。あの南高(なんこう)の制服を着てるだけある。
南高とは南雅(なんが)高校の略で、南高は芸能関係に特化した学校だ。今では人気な芸能人が卒業してる高校でもあるらしい。ドラマなんて一切見ないどころか、家にテレビすら置いていない。というか貧乏すぎてテレビも持てない。とにかくスマホは持っていても流行りには疎い俺でも芸能業界の人達は海野の存在を黙っていないと思った。
それにしても一時間前と違って海野の顔色が良くなった気がする。一時間前に起きた出来事を先に切り出そうと思ったが、表情が緩んだ海野に釣られるように告げてしまった。
「体調悪いの少しでも治ったか?元々肌が白い所為か顔色が真っ青に見えて心配したけど、あんまり無理するなよ。息抜きも大事…って、余計なお世話か」
海野とは一時間前に出会ったばかりなのに疲労感が伝わるほどだった。顔立ちは月とスッポンと言ってもいいくらいだが、掛け持ちで毎日バイトに追われて疲れ切った時に鏡越しに見る自分のようだった。とはいえ、バイトを掛け持ちして休みすらない俺も人の事を言えるような立場では無いけど。
すると、見破られたと言わんばかりに目を見張った海野は太腿へ戻るように頭を預けてきた。またもや海野を膝枕する状況になった事に対して訝しげに下へと目線を向けた。
「おい、またかよ」
「なぁ、学校終わったらバイトとかしてんの?」
「なんだよ…突然」
「いいから」
「…一応バイト二個掛け持ちしてるけど、実は今日もう一つのバイト先が潰れると宣告されたところだ」
突如放課後の過ごし方を探り入れる海野に怪訝な顔を崩せないままバイト先の出来事を簡潔に伝えた。一番時給が良くて、良い人達に囲まれた働きやすい喫茶店が経営破綻したのが原因だ。
両親が一年前に事故で帰らぬ人となった時に人生とは予想すら出来ない事が待ち受けているんだと思い知った。その日から埋まることの無い傷と苦労人という肩書きを抱えながらバイト三昧の日々になった。本当ならバイトが一つ無くなったら探さなければ生活が更にキツくなる。焦った気持ちのまま帰宅した矢先に海野との予想外…いや、予想すら出来ない出会いがあった。
「そういう事か。なら良いバイト先紹介しようか?なんと一日で一万円貰える」
「そんな上手い話があるか。違法は勘弁だからな」
「それがあるんだな。それに膝枕は違法では無いだろ」
「えっ?膝枕だって?今してる膝枕のことか?」
高校生が出来るバイトを色々探していたからこそ一回出勤するだけで一万円なんて冗談だろと鼻で笑っていると、耳を疑う言葉に固まった。海野はニヤリと得意げに口角を上げ、俺の膝を指で突くようにさした。
「冗談なんかじゃなくて本気だけど」
「マジな話かよ…俺が今みたいに膝枕をするバイトってこと?」
「気に入ったからお互い得しかない提案ならどうかなって。それにさっき息抜きしろって言ったのは賀久(がく)だろ。だから俺に息抜きさせて」
何故か海野は俺の事を下の名前で呼び始めた。自然と割りこんできた距離の縮め方に不意をつかれるが、それよりも俺の太腿を枕にして見上げる真剣な表情の海野が眩しすぎて眉間に皺が寄ってしまうほどだ。
「…数分前に硬いのが嫌いって言った奴の言葉だとは思えないな」
「はは、根に持つタイプか。一万じゃ足りないなら上限無しで希望金額を出すけど」
「待て待て、ちょっと待て。怖いって。逆に冗談だと言えよ。一回一万って俺の今の時給と比べものにならないくらい良いんだけど。海野って…何者?とんでもない金持ちか?」
「ふっ、そんな所だな。大丈夫だよ。詐欺なんかじゃない。逆にもし俺が逃げるような真似しても…すぐ見つかる」
すぐ見つかる?どういう意味だ?
苦笑いを浮かべる海野の唐突すぎる提案と疑問が入り混じっていたはずなのに、「それはいつから出来るんだ」と、聞き返している自分がいた。
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