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「今日は寝ないのか?」
「必ずしも膝枕して寝るってわけじゃないだろ。だから賀久の時間を買ってるってことにしたい」
「でも忙しいだろ。今の内に台詞の練習したりしても俺は構わないけど」
「そういう練習は一人じゃないとダメなタイプ。今日は話したい気分」
「…そんなもんか。なら俺が早速一目置くかどうか見分けてやろうか?俺がお題出すから、演技してくれよ」
どうせなら少しでも有意義な時間を過ごした方がいいだろと思い、ゲーム感覚で提案してみた。「俺だけが恥ずかしいゲームだな」と、海野が珍しく困惑したように浮かべる苦笑いに少しだけ楽しくなった。
「恋愛モノだろ?じゃあ…失恋は?例えば恋が叶うことの無い相手に最後に掛ける一言とか」
海野とは無縁そうな失恋を選んでみた。最後に観た記憶に残っているドラマのシーンを思い出し、役で経験済みなのかは分からないが、無茶振りに対応出来るのか試してみたかった。
「そんな無茶振りしてくる奴初めてなんだけど」
「そういう役は今まであったのか?」
どうしても生で役を見たい俺が諦める気配の無いことを見兼ねたのか、軽く溜息を吐きながら海野が身体を起こしたことで太腿から体温が引いていった。
「実は初めて選ばれた役がヒロインに片思いしてて結局叶わない男だった。ならその時のシーン再現してやるから、目逸らさずに少しの動きも逃すなよ。賀久がヒロイン役な」
「は!?俺が?」
まさかの展開に耳を疑う俺に身体を向き合わせ、海野と目を合わせた瞬間に時が止まった。悲しさは表情だけでなく揺れる瞳の奥深くからも伝わってきて、無茶振りに狼狽える様子は一切無い。一瞬にして俳優のスイッチを入れた海野の口角が優しく上がったのが見えたが、優しいだけじゃなく寂しさや悲しさの所為で無理に笑みを作っているって事まで伝わってきた。
「…もう、こんなことはしない。これで最後。でもあんたが幸せでいられるように願う事だけは許してくれ」
海野は俺の背に手を回すと、優しく抱き締めながら囁いた。別人だと思うくらい切なげに鼓膜を揺らす声色だけでなく、微かに震えも混じっていた。そして次に離したくないと言わんばかりに一瞬だけ強く抱き締めると、直ぐに距離を取るように俺の肩を押し離した。
目の前で海野が絶妙に切なく笑みを浮かべる姿に衝撃で言葉も出なかった。それに気づいた瞬間、自分の心臓の音が全力疾走した後のように速まっていた。素早い切り替えと素晴らしい演技力は本当に自分がヒロインの女の子になったんじゃないかと錯覚するほど引き込まれる演技だった。
「こんな感じだけど、どうだった?ていうか…なんつー顔してんだよ」
そしてまた一瞬にして海野が戻ってきた事で現実に引き戻されるが、鳥肌を収めるように両腕を摩りながら極限に目を見開いた。
「いや、だって…俺は更にお前のファンに殺されるかもしれない原因を作ったな」
「それって褒め言葉?」
「贅沢な事をさせたって褒めてんだよ!場の空気も海野の役の入り方も一瞬にして変わったし、そのドラマ見た事ないけど切なさとか悲しさが痛いくらい伝わってきて、どんなキャラなのか想像つくくらい表情とか声とか俺でも分かるくらい細かかった。吃驚して声も出なかった。…すげぇ」
「へぇ、嬉しいこと言ってくれるな」
「だから初対面の時に顔色悪かったの納得だわ。想像つかないくらいの努力で神経使ってんじゃないか?お前みたいな人間こそ早死にしないか心配なる」
怪訝な表情のまま伝えると、海野は何故か一瞬だけ驚くように目を丸くした後に微笑を浮かべた。
「賀久は優しいんだな。でも俺は簡単に死なない」
「そんなの分かんねぇだろ。それに結局のところ息抜きは正解だったりするかもしれないが、問題はその内容だよ。こんな男の膝枕の何が良いのか分からん」
俺達が得する関係だったとしても、自分の太腿に他人が枕代わりにしている姿が見慣れることはあるのだろうか。顰めるように視線を海野へ向けると、下から同じように目を向ける海野とバチッと目があった。何故か穴が空きそうなほどの眼差しで俺を見ると、ニコッと口角を上げた。
「こんな男っていうか、賀久の膝枕だから良いんだろうな。それより足は痛くないか?」
「だ…大丈夫」
まだ先程の役を続けているのか?と思わせるくらいの発言に、ギョッとしながらむず痒くなってしまった。
「お前って趣味が悪いって言われない?」と、聞こうとしたが、この膝枕を大層気に入ったように微笑みながら一瞬だけ頬擦りしたように見えて、むず痒さだけでなく喉の奥でグッと詰まる感覚のせいで言葉を飲み込んでしまった。それは不快感とは違って妙な違和感だ。
そしてこの時に演技や見た目だけじゃなくて、コイツは中身も良いんだと気付いた。今日の給料も律儀に前払いしてくれたり、なんだかんだ足は痛くないかって確認する辺りも人の事を見ている。
男にそんな事を言われても嬉しくないと思いつつ、誰かに自分が認められたような気がして少しだけ嬉しかった。ただ、同性としては男の敵と言っていい相手だ。とは言っても俺なんかが同じ土俵にすら立てないのは分かっている。
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