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「…なんだそれ。これ以上膝枕をされたらもっと硬くなるって言いたいのか?」
冷静を保ちたくて、極力笑いに変えるような方向へ持っていきたかった。それなのに海野は納得のいかないような表情を隠さずにいて、ギクッとしてしまった。
「賀久」
「な、なんだよ」
「顔、真っ赤」
「…っ」
海野が俺の頬に手の甲を擦り付けた時に、自分が今してはいけない顔をしているんだと気付いた。
お前が変な事を言うからだろって軽く流すように言いたい。それなのに核心に触れるような海野の熱に言葉が詰まってしまう。
妙な雰囲気の中、自分の心臓の音が海野に伝わってしまうんじゃないかと思い、「気のせいだろ」と言いながら頬に触れる手を退かそうと手を伸ばした所で次は俺の手を掴み返してきた。
「賀久、初めて会った時の事を覚えてるか?」
「…え」
突然柔らかい表情になった海野は忘れもしない俺らが初対面の時の事を聞いてきた。
「覚えてないわけないだろ。誰かが追いかけられてる場面を目の当たりにしてるんだから」
「俺も忘れもしないよ。『この先行っても行き止まりですけど、もし良ければ俺ん家に逃げますか?』なんて声掛けられるなんて」
「…うん」
「賀久は俺の事を知らなくても助けてくれた。多分俺じゃなくて別の人間だったとしても同じことしてんだろうなって思った」
そう言いながら海野の握る手が少しだけ強くなった。
「俳優の仕事は大変と思っていた以上に大変で、毎日が目まぐるしくて、たまに本当の自分と俳優としての自分が分からなくなってた」
「…」
「周りは俺が俳優だから近づいてるって感じだった。でも俺が俺で居られると思えたのは賀久だけなんだ。むしろ本当の俺を引き戻してくれるような眩しい存在なんだよ」
真っ直ぐな熱い眼差しは役でもなく海野の本心だと直ぐに分かった。そして俺と似たような気持ちを海野は覚えてるんだと思うと胸の奥がギュッと掴まれるような感覚に襲われた。
「賀久はちゃんと“俺”を見てくれる。だから俺は同じように賀久を見ていたいと思ってる。賀久はどうだった?俺は賀久と居るだけで息抜きって言葉以上のものを貰ってる気がする」
そこまで聞いた途端、俺はソファから勢いよく立ち上がった。突然の行動に海野は「賀久?」と、不思議そうに俺へ声を掛けている。
「俺も海野と出会ってからお前との時間が一つの生き甲斐みたいになってた。だからバイトって言葉だけでお前との関係に名前を付けたくなかったし、成り立っていたとしても今じゃ金を貰うことすら抵抗に感じてる自分がいる」
そこまで言った後に俺の手を握っている海野の手を剥がした。
「だから俺は今日で息抜きのバイトを辞める。こんな気持ちでお前と一緒に居られない」
「…はっ?なんでそうなんの?」
まさかそんな事を言われると思ってなかったのか、海野はぽかんと口を開けて呆然としていた。
今なら分かる。俺が何度も海野に対してむず痒く感じていた気持ち。それは同性の友達のような相手に友達以上の気持ちを抱いてしまってはいけないと防御していたんだと思う。それでもこの感情は止めたくても止まらないもので、身体中がソワソワしていたんだ。だから俺は海野にこの気持ちがバレたらいけないと思った。
「俺はお前に対しての気持ちで迷惑をかけることになる。…だから、辞める。俺はお前を応援したい気持ちもあるんだから」
「はぁ?ちょっと待て、どういう事だよ。俺ら同じような気持ちなのに迷惑かけてんの?言ってる事が滅茶苦茶だぞ」
荷物を持って海野の部屋を飛び出そうとする俺を背後から肩を掴んできた。
もう一層のこと言ってしまおうと拳に力を入れた。
「だって俺、お前が好きなんだよ!それは、その、恋愛感情でな!それに気づいたんだよ!お前はそうじゃないだろ?友達として言ってくれてると思うけど、お前がお前で居られるんだったら、その気持ちを崩したくないだろ。それに俺、男だし…恋だの何だのって…クソ。言いたくなかったのに」
「そこで一人暴走してるお馬鹿さん」
「なんだよ!」
「俺がいつ友達だって言った?逆に俺が友達関係で止まる気は一切無いからな」
「…えっ」
驚きのあまり海野の方へ振り向くと、目の前に海野の美しい顔が近付いていた。そして唇に柔らかい感触が押し当てられていて、離れた時にキスをされてると分かった。
持っていた鞄を床に落とし、一瞬にして全身に血が巡り、頭からドカンと爆発しそうなくらいの熱で犯されているようだった。
あの海野にキスをされた。好きだと自覚したばかりの人にキスされた。
「な…なっ…今、なんて…ていうか、キス…したか?」
「あれ、分かんなかった?なら分かるまでキスするから」
「違う!違うって!分かったから!」
あまりの恥ずかしさにもう一度海野に背を向けるが、海野は遠慮なく背後から抱き締めてきた。
「彼女より賀久の方が良いってハッキリ言ったの忘れたのか?」
「そういうことかよ…てっきり恋より友情って意味だと思っただろ」
「あれは俺なりの口説きなんだけど」
「お前な…あんなの誰だって好きになるぞ。そんなのキスすら初めての男にしてんじゃないよ」
「…ずっと思ってたけど、あんまり可愛いこと連発しないでもらっていいか?賀久も男だから分かるだろ」
「かわ…!?」
耳元で甘く囁く海野の声に全身が硬直してしまうレベルだった。
「俺の事可愛いとか…ずっと思ってたけど趣味悪いって言われないか?」
「俺の好きな人を悪く言うなんて失礼だな」
「…っ、それ止めろ」
「なんで?照れてんの?」
「うるさい。慣れてなくて悪いな」
「賀久って本当に可愛いよな。それに初めてのキスが俺で死ぬほど嬉しい」
「それを止めろって言ってんだよ。…ていうか、これからどうするんだよ。お前史上最強のスキャンダルだぞ」
「週刊誌の連中を上手く巻けって言ったの賀久なのに」
「そ、そうだけど!」
「俺は賀久と離れる気は一切無いから、上手くやるしかないな。…そういうのはまた一緒に考えるか」
揶揄ってると思えば、急に優しい口調になる海野に気持ちを掻き乱される。くっそ、俺はコイツと出会って色んな感情を引き出されてる気がする。どうせ海野は慣れてんだろうな。いや、絶対慣れてる。
「で、賀久。いつになったら俺の方を向いてくれんの?どうせならさっき言ってくれた好きって言葉を俺の顔見て言って欲しいくらいなんだけど」
またこんな事を言いやがって。一線のようなものを超えてからの海野に俺は耐えられるのだろうか。
同い年だけど住む世界が違う俺らが出会って、まさかこんな事になるとは思わなかった。多分、お似合いとまではいかないと思う。あまりにも生き方が違いすぎる。それでも嫉妬したり、一緒に居たいと思えるような相手に出会ってしまうのは新たな幸せかもしれないと思った。
俺は意を決して海野の手を剥がし、熱くなった顔のまま海野の方へ振り向いた。
「り…おう」
「…え」
「理央」
好きと言ってと言われるほど恥ずかしいものは無いんだと思った。背後でデレデレと愛を注ごうとする海野に慣れてない俺が海野に愛を伝える方法は何だと考えた。
だから一度も呼んだことが無い下の名前で呼んだ後に、目を見開いている理央に不意打ちで俺から唇を奪うことが今の俺の精一杯だ。
END
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