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「開さん、ただいま! 帰ってきたよ!」
靴を並べもせず乱雑に脱ぎ散らかし、雨で濡れた体のままリビングに入る。
「涼くん!?」
中では椅子から立ち上がったばかりであろう開が、面食らった表情で涼介の姿を確認した。
「涼くん、どうして……」
涼介は開に最後まで言わさなかった。呆け気味の開に体をぶつけ、腕を巻きつける。
「ごめんね。考え無しで出ていったりして。開さん、戸惑ったよね」
年下らしい甘えるような声なのに、開には涼介の言葉も、抱きしめる手も自分を慰めてくれる大人のものに感じられた。
開の薄い体躯をすっぽりと包む逞しさになった涼介の胸は暖かい。全速力で戻って来たのが伝わる心臓の鼓動は心地良い。
開は涼介の背に手を回し、濡れて湿ったシャツごと抱きしめ返した。
「雨……降ってたんだね。涼くん、帰って来てくれてありがとう。雨の中、ただいまって、僕のところに帰って来てくれてありがとう」
鼻の奥がツンとして、開の胸の中に熱いものがこみ上げる。
十八の時、心を焦がして帰りを待った亮輔は開の元には帰らなかった。でも涼介が今、開の元に戻り「ただいま」を言ってくれた。
「うん。俺はなにがあっても開さんの元に戻るよ。ずーっとずっとそばにいる。信じて。たまにやらかしちゃうこともあるだろうけど、俺は開さんから離れないから。……だから開さんも約束して?」
「?」
「俺に負い目を感じないで。俺が年下だからとか、男が恋愛対象じゃなかったからだとか、俺が……その、やりたい盛りの年齢だろうとか、そんなのいいから。これは俺がそうしたくてしてるんだ。俺が開さんといたいから、開さんを離せないから……だから、開さん、もう二度と悩んだりせずに俺と一緒にいて」
目尻に皺を作って見つめてくれる涼介に、より胸が熱くなる。
これまでずっと、まっすぐで幸せな「普通以上の」生活をして来ただろう涼介。日常の所作から育ちの良さが滲み出ている。周囲から愛され、ひとつの不自由もなく育って来たことが誰の目から見てもわかる。
その涼介が、多数の壁を厭わず開を選び、帰る場所にした。
開の心の中で、夕焼けの画が描かれた傘が開く。
涼介から与えられる鷹揚な愛情によって開かれた開の決意の傘。骨組みがしっかりした、激しい風雨にも絶対に負けない強い傘だ。
「涼くん」
開は涼介の頬を両手で挟んだ。軽くつま先立ちをして、そのまま唇を寄せる。
「ん……」
涼介の声がくぐもる。
薄いのに柔らかい開の唇と舌に翻弄される。ちゅる、と舌を吸われるとたまらなく吸い付き返したい気持ちになり、開を抱き留めている腕に力をこめたくなった。
だが、心の端に残る理性がそれを遮る。
──我慢、我慢だ。がっついたら怖がられる。我慢……あ、やば。なんか来た、これ、俺……。駄目だ、我慢、我慢。せっかく開さんがキスしてくれてるのに……。
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