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「いや、その……」
口ごもる涼介に、マスターはふっ、と鼻を鳴らして笑った。そして、カウンター越しに腕を伸ばして開の肩を包む。
「ご覧の通り、名前を呼び捨てにする仲ですよ……なぁ、開?」
あ! と涼介が声にならない声を出すのと、開が「もう、吉田!」と顔を赤くしてマスターの手から逃れたのは同時だった。
瞬間で、随分前に宮前と交した会話が脳内を走る。
"口コミで広がるように吉田さんにももう声かけてるから"
"吉田さんて誰?"
"吉田さんは……行きつけのバーのマスター……だよ"
──ああ、あれは、宮前さんがHowtoを完成させた時だ。
あの時「吉田さん」のことを話す宮前と開に妙な間があったのは覚えているが、空気を読んで追求はしなかった。
「それって……まさか二人は付き合ってたとかってことですか!?」
──だからマスターはやけに馴れ馴れしいし、開さんは顔を赤らめて……? いつ? 亮輔さんより前? 中学の時とか!?
「ち、違うよ。涼くん、なに言ってるの!」
「あはははははは」
開の否定と吉田の大笑いは同時だった。周囲の客は何事かとカウンター席に振り返っている。
吉田は笑いすぎて目の端に浮かんだ涙を拭きながら答えた。
「違いますよ。俺達は中学の頃の同きゅ……」
「吉田は僕の初めての親友だよ」
言い終わる前に開の声がかぶった。
吉田の動きがぴたりと止まる。
「吉田がいたから今の自分に気づけたし……喧嘩もしたけど、吉田は今でも大切な親友なんだ……わっ、なに? 吉田!?」
動きを止めていた吉田が、突然に開の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「喧嘩ってなんだよ。お前ってほんとにお人好しの甘ちゃんだな。昔から変わってない」
「またそんなふうに馬鹿にして。僕だって成長してるんだから」
心外だとばかりに、開は髪を混ぜ続ける吉田に反論する。吉田は手を止めて、最後に開の背をぽん、と叩いた。
「はいはい。そうだな。ここに恋人を連れて来るようになったんだもんな」
吉田が涼介を見て、二人の中学生みたいなやり取りに呆気に取られていた涼介の背が伸びる。
「そんな二人を親友第一号が祝福するよ。待ってな」
吉田は潤んたままの目を一度瞬き鼻をひと啜りすると、いくつかの材料を選んでシェーカを振った。
薄い琥珀色のクリーミーなカクテルが開と涼介の前に並べられる。
「プリンセスメアリー。イギリスのメアリー女王の結婚を祝福する意味で作られたカクテルだ。二人の未来にも祝福を」
カクテルは甘いのに後味がスッキリとしていて、開と涼介を心地よく酔わせた。
「開さんは楽しい中学時代を過ごしたんだね」
バーからの帰り道、涼介に言われた開は立ち止まって口をつぐんだ。
吉田とじゃれ合った日々。中学に入ってから仲良くなった阿部や平松、原田もいた──突然の裏切りと凌辱は長いあいだ開の心を苦しめている。
それでも。
「開さん?」
「……うん。とても楽しかった。でもそれを思い出せたのは涼くんのおかげだよ。ありがとう」
「え、俺?」
「うん。涼くんが僕をまるごと受け入れてくれるから……」
開の手が伸びて涼介の手に絡む。
肩も触れ、開の重みが左半身にかかる。
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