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「本当はね、いいことばかりじゃなかった。辛くて苦しくて、あの頃の記憶が頭を掠めると息苦しくなる。時が経ってもう大丈夫だと一度は思えたのに、やっぱり無かったことにはならなくて。でも……そんな情けない僕を悲しい気持ちごと受け入れてくれる涼くんがいるから、楽しいこともあったんだ、って思い出せたんだよ」
最後には表情を和らげる開を見て、涼介は開の手を強く握って自身も体重を開に預ける。
「そっか……うん。開さん、俺さ、前も言ったけど、悲しいとかしんどいって経験がなくて、なのになに言ってんだって思うけど、あったことって無くなんないんだよね。記憶は薄れたりするけど、楽しいのも辛いのも、衝撃的だったことほどずっと心に残ってるよね」
頷いた開に、涼介も頷き返した。そして続ける。
「だからさ、開さんのも俺のもはんぶんこ! 過去のこともこれからのことも、楽しいのも辛いのも嬉しいのも面白いのも……全部全部はんぶんこしよう! 月並みだけどさ、そうしたら嬉しさは倍に、辛さは半分になる気がするよね」
どこまでも明るく純粋な笑顔が開の胸に染みる。年齢も、生きてきた道も全く違うこの青年に出会えた奇跡に感謝をしたくなる。
亮輔と似ていると思うことに罪悪感を感じた時もあった。けれど、そうじゃなければ四年前に涼介の履歴書に目を留めなかったかもしれない。出会えるチャンスを逃したかもしれない。
亮輔に出会えたのも。
東京から長野に移らなければ出会えなかった。
長野に移ったことも。
東京でのことが無ければ行かなかった。
やはりどれもが繋がっている。嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、焦がれたこと。出会いと別れ。それら全てがあって今、涼介と肩を寄せている。
二人、身体の重みを支え合って立っている。
──これからも、ずっと。傍らに涼くんがいて、歩いていく道を「はんぶんこ」にして支え合っていく。
重みが愛しい。
涼介が心を全部受けとめてくれるように、開も涼介全て受けとめたい。
「涼くん、早く帰ろ?」
「うん? うん」
外ではすぐに手繋ぎを解いてしまう開が、しっかりと手を取って涼介を引っ張って行く。いつもとは違う逞しい開の背中にときめいたりして、涼介は今夜「約束」が叶う予感に胸を高鳴らせた。
「……ん? 雨?」
早足で進んで、マンションまであと少しのところでぽつぽつと雨が降り出し、涼介は空を仰いだ。
「本当だ。僕ってやっぱり雨男なんだよね。なにかしようとすると決まって雨だ」
信号待ちで立ち止まるとその僅かな時間にも雨足が強くなり、開の顔が「ごめんね」と言いたげな表情になる。
涼介は雨を頭に受けながらふふ、と笑い返した。
「開さん、俺は開さんと雨に濡れるのは好きだから全然平気。帰ったら拭いてくれるでしょ? ……それより、なにかしようとするとって、今からなにをする予定なの?」
涼介が繋いだ手をぶんぶん振りながら聞く。子供のような仕草をしているのに、大人びた余裕のある表情をしていた。
途端に開の顔は真っ赤に染まる。
「そ、それは……! あ、信号、信号変わったよ。ほら、早く行こう」
開は耳まで真っ赤にして、涼介の手を再び引っ張って小さく駆け出した。
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