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 ニューヨークの冬は厳しい。マイナス十度以下になる日も珍しくなく、ブリザードで非常事態宣言が発令されたり、どこかで誰かが凍死したと言う、ニュースにもならない話を良く耳にする。  ちなみに今夜はマイナス一五度。大雪が降る長野育ちの俺でも、体感にしてマイナスニ十度くらいに感じる寒さ。  ──そして、また、ここに一人、凍死しかけの人間が転がっている。   「おーい、おっさん。死ぬぞー? なぁ、寝覚めが悪いから他に行ってくんない?」  ニューヨーク、アッパーウエストサイド生活も二年目。  少しは慣れた英語で、片手にウィスキーの瓶を持って階段に寝そべっている男に声をかける。  いつもならスルーだ。誰が野垂れ死にしようが構ったりしないのがこの街の常識だ。  ただ今日は仕方ない。俺が住んでいる、会社の借り上げの部屋がこの階段を昇った先にあるもんだから通して貰わなきゃ暖かい部屋で落ち着けない。なにより明日の朝死体を跨いで仕事に出るのはごめんだ。 「おいってば。せめて階段の隅に寄ってよ」  悪いとは思いつつ、防寒ブーツを履いた足で足先をつつく。  暗くてわからなかったが、よく見りゃ上等の革靴を履いているじゃないか。コートもハイブランドものだ。    ──ホームレスやスパニッシュハーレムから流れて来た酔っぱらいではなく、この辺りの住人?   事件や事故なんかの雰囲気は感じないが、ここまで身なりの良い人間が転んでいるのは珍しくて、逆に気になってしまった。 「なぁ、大丈夫なのか?」  肩に手をかけて体を仰向けにする。見えたのは老いた褐色の肌ではなく、白人のアルコールが回った赤い肌。それも、まだ三十代前半くらいの。 「……ん? あんた……」  嘘だろ。ダークブロンドの髪はだらしなく伸びて無精髭も生えているけれと、この顔は良く覚えている。    ニューヨークに来たばかりの頃、俺が入ったジュエリーブランドの新作お披露目パーティーに、来賓として来ていたユニコーン企業「GODISCO」の創始者の一人……。 「ジェイデン・ウィルソン……!?」 「ん、あ、あ……?」  返事をしたのかは定かではない。だがウィルソン氏と思われる男は確かに俺の呼びかけに反応した。 「めっちゃくちゃ重……」  ウィルソン氏をなんとか肩で担ぎ、室内の床に放り投げる。俺は一七〇センチに満たない身長だし身体に肉が付かない体質だから、一八五センチはゆうに超えている骨太アメリカ人男性を抱えるのは一苦労だ。 「あの細っこい本條でもきつかったのに。ったく……」  コキコキと鳴りそうな肩を回して部屋を暖める。ウィルソン氏は床で寝そべったまま動かない。  どうすっかな。酒臭いし、上等とは言え服は寝転んでいたせいで結構汚れてる。会社が借りてくれてるアパートメントは広くはなくて、ベッドも大きいのは置いてない。一緒に寝るのは却下だな。  それに、しゃんとしてる時は、なんとかって言うハリウッドスターに似た深い蒼の瞳の甘いマスクが好みのタイプではあったけど、彼には妻がいる。たとえゲイだったとしてもパートナーがいる時点でベッドを共有するのは論外だ。  俺が着ていたダウンコートをかけてやり、膝掛けに使っている毛布もかけてやる。暖房温度は高めにしたし、これで大丈夫だろう。  俺はウィルソン氏を部屋に残し、シャワーを浴びにバスルームに入った。 *ユニコーン企業 評価額が10億ドルを超える未上場のスタートアップ企業
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