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バスルームから出ると、ウィルソン氏はさっきと変わらない体勢で寝転んていたが、スマートフォンと思われる振動音が彼のコートのポケットの中で鳴った。
しばらく放置したがブーブーと煩く鳴り続ける。もしかしたら彼の会社関係者か、あわよくば妻かもしれない。
俺は「失礼」と小さく言ってポケットに手を入れ、スマートフォンを取り出した。
画面には「ジュリア・ウィルソン」と表示されている。彼の妻……「GODISCO社」のもう一人の創始者で、実質の経営者であるミセスジュリア・ウィルソンに間違いない。
よし、事情を話せばすぐに迎えを寄越すだろう。
「ハロー?」
「パパ! パパ! どこ、パパ! 帰って来て!」
通話をタップして話し出した途端、耳をつんざく大音量のかん高い声。ただ、大人の女性のものでは無い。これは小さい女の子の声だ。
「パパ」と言うのだから、ウィルソン氏の娘なのだろう。
「あー、あのちょっと落ちつい……」
「パパ、パパどこ! パパ!」
駄目だ、こりゃ。
「パパは寝てる。なぁ、ママは? ママに代わってよ」
ミセス・ジュリアのスマートフォンからかけているのだから近くにはいるのだろう。だが、娘は一向にミセス・ジュリアに変わる様子が無かった。それどころか泣き出して「パパ」を連呼だ。
埒が開かない。
短気かつ子供が苦手な俺は通話を切る。するとすぐに着信。出ればやはりパニックになった娘だ。
母親はどうしてんだよ。ウィルソン氏と同じく酔っ払って寝てんのかよ。
仕方が無いのでまた通話を切り、サイレントモードにして放置することにした。
この寒空の下に放置しなかっただけ感謝してくれ。連絡が取れなくて問題が起きようが、あとは俺の責任じゃない。どちらにせよ本人がこの調子で電話に出れないんだから。
喧騒が過ぎたあとは軽い食事を済ませる。食べながら自分のスマートフォンを操作すると、涼介からトークアプリにメッセージが入っていた。
本條と金沢に旅行に行ったから写真送ります、とか。要らねーよ。
あ、でも楽しそう。本條、いい顔してんじゃん……でも、まだ健全な仲なんだよなぁ。こいつら。
旅行行って、露天付き個室を予約してエッチ無しとか、涼介ご愁傷さま。
「……う……」
涼介からの最後の写真をスクロールしたところで、後方からうめき声。振り返るとウィルソン氏がピクピクと身体を震わせていた。
彼に近づき、声をかける。
「大丈夫ですか? 水飲みます?」
「……あ……ん……ん?」
寝転んだまま頭を振り、目を細める。まだまだ酔いは覚めないだろうな。
「君……君は……」
「え? なに?」
なにか俺に言いたいのかと、顔を少し寄せた。その瞬間。
ウィルソン氏の腕が俺の背に伸びた。酔っているとは思えない力で身体を引き寄せられ、あっと言う間に床に倒される。
「ちょ……俺は強盗の類じゃない……えっ!?」
ウィルソン氏の腕に再び力が入り、胸の中に抱きしめられた。あまりの想定外な出来事に、俺は彼の腕の中で藻掻いた。
びくともしやしない。細身なのに筋肉が凄いんだ。胸板や腕が硬い。
「……済まない。体温を貸してくれ。とても寒いんだ……」
呟くような小さな声。
「寒いって……毛布をもう一枚貸すから腕をどけてくれ」
「人の肌の方が暖かい」
「はぁ? なに甘えたこと……わ、やめっ、なにすんだ……」
驚いたのは当然だ。ウィルソン氏の唇が俺の額に落ち、鼻筋や頬を辿り、終い目には首筋を吸い出したのだ。
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