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「ソクラテスがさ、ディオティマの言葉を借りて言ってたじゃん。願望と愛は万人に共通なもので、全ての人が永久に所有することを願うんだって。時代も生まれた国も違うけど、俺達も同じだろ。幸せを永遠にしたいからちょっと無理して頑張ることもあるし、間違えたらやり直す。本條はちゃんとわかってんじゃん。涼介と永遠でいたいから、悩みつつもそう行動したんだろ。涼介にもちゃんと届くよ」  宮前はベッドサイドの棚に立てかけてある「饗宴」の本に手を伸ばし、ぱらぱらと早めくりした。  ──なあ、覚えてるか? 幼い頃はわからなかった本の内容が、大人になればわかるかな? って本條(おまえ)が言ったんだ……もうわかってるよ、本條は。幸せを諦めていた本條が、幸せを続ける為に動いたんだぜ? 「行為を身体が拒否することに苦しむな。自分を責めるな。でもさ、ちょっとだけ涼介に伝えてやれよ。押さえつけられるのが怖いんだって。涼介は若いし経験が無いから身体が先走るの当たり前なんだ。でも、言えばわかってくれる奴だろ?」  長くメッセージを続けてひと呼吸置くと、ちょうど開から返信が来た。 「全部、言わなくてもいいかな。余計に気にしないかな」 「しないよ。涼介はもう本條をまるごと受け止めてんの、良く知ってるだろ。手繋いでさ、気持ちを伝え合ったらいいよ」  ──昔、俺達がそうしたように。本條と手を繋ぎ心を通わせる相手は今、涼介だから…… 「わかった。ありがとう」  開から再び返信が入る。文字だけでも、開の表情が緩んだのが宮前にはわかる。きっと今、開の部屋にもある「饗宴」を、同じようにめくっているだろう。  だから、最後にちょっとだけ揶揄っメッセージを送信する。 「万が一涼介がわからないやつなら捨てろ捨てろ。俺が横浜に帰ってずっと一緒にいてやるから」  返事はすぐだろうとスマートフォンを見つめたまま待った。予想通り、すぐに返信は来た。 「良く言うよ。宮前はもう婚約者がいるくせに」  くすっ、と笑いが漏れる。 「だから、万が一だって。ならないってわかってるから言ってんじゃん。涼介を離すなよ」 「うん、ありがとう。このあと涼くんに電話するよ。夜中にごめんね。おやすみ、宮前」  そして、開からのメッセージは途切れた。  宮前は安堵の息を吐いてスマートフォンと本を棚に戻す。  時刻は午前三時前。  今日は付き合って一年過ぎになる恋人と、恋人の六歳になる娘とニューアムステルダム劇場に行く約束をしている。そのあとはチルドレンズ ミュージアムにも。  育児放棄されて育った宮前は子供が大の苦手だったが、愛する男の娘との関係を築く為に慣れない世話や遊び相手に奮闘した。今では娘はすっかり宮前に懐き、自分でも驚いているがマミー代わりが充分務まるほどだ。じき、同性婚を果たし、永住権取得に向けても動くつもりでいる。  人間は幸せになる為に努力できるし、続けているとそれが苦ではなくなる。宮前がそうして変わったように、開も涼介もきっと、形は違っても互いの幸せの形をみつけて、永遠のものにするだろう。  宮前はようやく訪れた静寂をお供にして、ベッドに身体を沈めて目を閉じた。
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