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親の葬儀で後悔しないために決めておいたこと
2017年、祖母が他界したときにわかったことがある。残された者は、必ず後悔するということ。身近にいた者は特に。
正直私は祖母について、裁縫の腕は尊敬していたが、性格については「陰」の気質が強かったため、あまり好きではなかった(私と似た性格とも言える)。
それでも介護度がつき始めた頃から、母と二人で祖母のトイレの介助をしたし、要介護になってからはシモの世話もした。
とっても大好きな祖母で、だけど何もすることができずに逝ってしまった――というのなら、きっと後悔は大きいだろう。
だけどそんなに好きではなくて、でも最後はちゃんと介護に関わったのだから、祖母が亡くなったとき、きっと私は後悔なんてせずに清々しく送ることができるだろう。そう思っていた。
だけど――
払いのときだったか、私は、涙を止められずに大泣きしていた。
和尚さんが生前の祖母の話を語っていたときだった。ものすごい物語があったわけではない。和尚さんが見た、ごく普通の、ありふれた祖母の日常のお話だった。
なのになぜか涙がこみあげ、崩れ落ちるように私は泣いた。気がつけば母も、私と同じくらい大泣きしている。
祖母のことで、こんなに泣くとは思わなかった。
多分、私たちの中で勝手に、亡くなった祖母の魂を高みに上げてしまうのだろう。
生きて口をきいていたときは、俗世のあれやこれやにまみれていて、お互いにいろんな感情が湧く。でも亡くなると、祖母から俗っぽいものが削ぎ落とされる。無に近い、高尚な存在となってしまうのだ。
魂があるとかないとかの話ではなく、残された私たちが、勝手にそう感じてしまう。
祖母との高低差が開いていくたびに、私には後悔や自己嫌悪、負い目のようなものが積もってゆく。たとえどんなに「介護した!」と言いきれたとしても。
このときに私は知ったのだ。
「残された者は、必ず後悔する」と。
*
祖母のときでこうなのだから、両親のときには、さらに心乱されることになるだろう。
以来私は、親の葬儀で――後悔は絶対してしまうだろうが――なるべく後悔しないための行動を取るようになる。
まず両親からの「スマホに関する面倒くさい質問」に対して、懇切丁寧に対応することにした。
それと実家の話題は、他県で暮らす姉にもLINEでいちいち伝えるようにした。何かあったとき、ドタバタの中で最初から説明するのは大変だから。事前に情報は共有しておいた方がいいだろうと。ただそれだけのこと。
例えばこんな話。
「お父さん、耳鼻科からの補聴器サンプル着けてみてとてもいいのだが。買うとなると、いいやつは60万するみたいで。お父さん悩んでる」
父は溶接などをやっていたせいか、片方の耳が難聴だった。
他にも、
「自粛飽きてきたなー。お母さん、外食したいなーって言い始めてる。お父さんも、牛丼食べたいって言ってる」
こんな感じで、実家の雰囲気が丸わかりの状態を心がけた。
このあとすぐ、姉夫婦から「補聴器補助金」と称してお金が送られた。それと冷凍の牛丼具も。なんか催促したみたいで申し訳ないと思いつつ、みんなでありがたく牛丼をいただいた。父も、気兼ねなく気に入った補聴器を買うことができたようだ。
それから、午前・午後と必ず両親の様子を見ることにした。夏場は熱中症が心配だし、溶接や農業機械で事故が起こらないとも限らない。年齢も七十を超えている。突然倒れることだってありえるから。
特に父は、血小板過多の持病があり、脳梗塞になりやすい。私が一緒に暮らしているからには、早期発見・救急搬送は任せておけと意気込んでいた。
なのに結局、父を脳梗塞で逝かせてしまった。
後悔しないために、と心がけてきたのに。
あのとき――
母と二人、折に触れて後悔の涙が出る。
あのとき、もう始まっていたのかもしれない。
あのとき、病院へ連れていけば助かったかもしれない。
あのとき、あのとき――
後悔の念が、重く、大きく、私にのしかかる。
そんなとき、姉が言った。
「私はさ、和珪ちゃんから補聴器迷ってるって聞いて、足しになればとお金を送り、牛丼食べたいって聞いて、冷凍だけど送った。和珪ちゃんのおかげで、最後の親孝行ができたと思ってる。
これをさ、じゃあ今度ねとか言ってそのままにしていたら、悔やんでも悔やみきれないことになっていたと。
そしてこんな日常のちょっとした会話を私に教えてくれて、親孝行が叶ったのは、和珪ちゃんが実家に戻ってきてくれたからだと思ってる。グスン」
四十九日を前にセンチメンタルなのですグスン、と姉の言葉は続く。この日は四十九日の前日だった。
姉のおかげで、私も実家に戻ってきて本当に良かったと思うことができたグスン。
「お母さんとはあと何回会えるかな。まさかお父さんが0回だとは思わなかったよ」
姉はさらりと語るが、父が逝ったあともまめに仏花やお菓子を送り続けてくれている。一年以上経った今でもそれは変わらない。
父の最期に立ち会えなかったこと。父の葬儀に来れなかったこと。そういうご時世だったから仕方がないとはいえ、姉は大いに葛藤し、大いに悔しかったことだろう。
その後私も、変わらず家の様子を伝え続けている。母は、
「やだー、あんだってすぐお姉ちゃんに言うんだからー」
と嫌がるが。
悪いけど私は、これからも姉には筒抜けでいかせてもらう。何かあったとき、今度こそは、姉たちにも存分に関わってもらうつもりだから。
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