二、墳神唯一は、恋心と空の関連性が分からないという。

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二、墳神唯一は、恋心と空の関連性が分からないという。

海士野 陸の場合。 部活で遅くなった帰り道だった。急いで走って駆け抜けるが、商店街に入る前の細い道を右に曲がるとしばらく街灯のない真っ暗な道が続く。  放棄畑というのか、昔お米を作っていた畑が今は雑草だらけになっていて、そこに街灯がないせいで真っ暗なんだ。 中学の時は不気味で、その場所だけ全力で駆けていた。夏はいいが、そろそろ秋になる。日が沈むのが早くなるから、自転車で通学しなきゃいけない。 そんなことを思って走っていたが、真っ暗な道で急に行き止まりにぶつかった。 壁があると気づくのに遅れてしまい、ぼよんっとまるでこんにゃくみたいな壁にぶつかってしまった。 道が工事中だったのか? 見上げると、黒い壁が道路をふさいでいる。空に届きそうな真っ暗な壁に、急に眩暈がした。 「どうした?」 足元がふらふらして今にも倒れそうだったのに、その声を聞いて体が軽くなった。 「墳神」 「道路の真ん中で突っ立ってどうした?」 マスクを顎まで外してる姿は、初めてみたかもしれない。 授業中でもマスクしているのに。懐中電灯で照らされて、目を少し閉じると、地面に向き直してくれた。が、俺がじっと見ていたら、少し困ったように首を傾げた。 「僕、菫おばあちゃんにタッパ返しに行きたいんだけど」 「あ、ああ。唯織の家な。俺が渡そうか?」 手に持っている紙袋を指さすと、墳神は首を振る。 「いや、普段会わない人にはなるべく会っておかないと。すぐ僕のこと消えちゃうんだ」 「そう?」 偶に変なことをつぶやくけど、それ以外は良いやつなので気にしないでおく。並んで歩いて空を見上げると月が見えた。 「さっき、道路の真ん中で止まってたけど、気分でも悪かった?」 「いや、なんか行き止まりの看板が――って」 看板どころか、いつも通りの道路だ。朝、通った時と何も変わってない。 「なんかさあ、さっき壁があったんだよ。ぼよんってはじき返されたし、見上げても真っ暗で月なんて見えなかったんだけどなあ」 「……壁」 墳神が唇を触りながら、ううんと唸った。 「あはは、おかしいよな。疲れてるのかも」 「いや……野襖ってやつかもしれない」 「のぶすま?」 「夜に、道を塞ぐ物の怪。壁塗りとか塗り壁とか、地域によって呼び名は違うんだけど、まあ通せんぼするんだ」 「まじか、おばけかよ!」 真面目な顔して墳神が言うと、本当にそんな気がしてくるから面白い。冗談も、表情を変えずに言うから逆に面白いのかな。 「いや、えっと、うん。多分、僕が彼女の家に行くのを塞いでたんだ。ごめんね、巻き込んじゃって」 「彼女? 唯織か? あいつ今は、何を言っても無駄だぜ。臍まげて、全然言うこと聞いてくれねえし……すげえ、冷たくなったし」 小学校時代は、夏休みに遊びに来るうるさい女って感じだった。 喧嘩したら、平気で殴ってくるような強くてはねっかえりのくせに、いつもひらひらしたワンピース着ていた。むかつくことの方が多かったけど、ふっと見ると長い髪とか、ふわふわ風に舞うスカートとか、笑う笑顔だとみると、負けてしまう。 なんか、空に消えてしまいそうな、うるさいくせに儚いとこがある。 でもまあ、転校してきてからは、そんな姿全く見せない。 授業以外は、図書室で一人本読んでたり、女子に話しかけられても愛想笑いで遠ざけてる。体育の時に、ボールが回ってこないようにはしっこに隠れるように立っているのとか見たとき、胸が苦しくなった。あいつはもっと、ボール独り占めして敵をガンガン当てて、高笑いしてるだろ。 「陸は、転校生と仲良しなんだね」 「え、あ、まあ、昔な。今は一緒に居たら変だろ?」 「なんで? 仲良しなら変じゃないよ」 懐中電灯で足元を照らしながら言うので、墳神の表情は分からなかったけど、こいつ、そういえば彼女とか浮ついた話聞いたことない。その手のことは鈍感なんだろう。 「今、俺が優しくしたら、あいつ、他の女たちから更に距離をとられるだろ」 「……ふうん。そうなのか」 分かったのか分かってないのか、読み取れない頷きにそこで会話は終わった。 「唯織、きついこと言うかもだけど、許してやってくれ。本当は転校したくなかったんだ」 「そうなの」 「けっこう親御さんと喧嘩したってうちの親が言っていた。親友と行きたかった高校に入学したばっかだったって。家出までして、転校したくないって暴れたらしいんだけどさ」 「じゃあ、転校させなきゃよかったのにね。かわいそうに」 ぽろっと何気なく言った言葉だったのだろう。それなのに、なぜか俺も胸が痛くなった。 あいつが、どんな気持ちで家出までして来たくなかったのか、何も話してくれない今、俺には全く分からないから。 「なるほど、でもそっか。天邪鬼も野襖も、そっか。彼女が来てからだね。そかそか」 一人でぶつぶつ言っている墳神は、どうしてだろう。 偶に知らない奴に見える。変わっていても、小学校からの顔なじみのはずなのに、全く知らない奴みたい。なんというか、俺と墳神の間には大きな壁がある。さっきみたいに見えない壁が、はっきりとある。 「なあ、タッパぐらいなら俺が今度から預かるから」 「うん。でも僕、転校生と菫おばあちゃんに会いたいんだ」 大丈夫だよ、と言われたらそれ以上はもう言えない。 壁はある。どこか他人みたいにも思える。そしてこいつの横顔はたまに寂しく思える。 ちゃんとクラスの輪にいるし、休み時間は皆と楽しそうに輪に入って遊んでいるのに、……偶に寂しそうに笑う。こいつは気づいてるのかな。 「なあ、テニスって楽しいの?」 「楽しいよ。お前、部活してないなら入ろうぜ」 弱小だしチーム戦組めないし、近くに練習試合してくれる高校がないけど、自由にできて楽しい。 「放課後は家業の手伝いがあるからね」 「ああ、墳神神社な大変だな、って――おい」 唯織の庭を見ると、おばあちゃんが窓を開けて手を伸ばしていた。まだ足が動かせないのに危ない。 「何してんだよ。動きたいなら唯織が、おじさんかおばさんを頼らねえと」 「陸くん、おかえりなさい。風でてるてる坊主が寄ってしまってねえ」 「そんなこといいからさあ、あぶねえじゃん」 いつも縁側で日向ぼっこしてて、俺が帰ってくると『おかえりー』とのんびり微笑んでくれていたばあちゃん。座敷童みたいに、会えたらなんか嬉しい気持ちになってたのに。 最近は窓際のベットからこうやって庭を見ている姿を見ると、少し胸が痛む。 「あれ、てるてる坊主増えてますね」 「あらあら、唯一くんも、いらっしゃい」 「おはぎ、御馳走様でした。父と最後の一つの争奪戦してたら返すの遅くなりました」 敬語でタッパを渡していて、首をかしげる。いつぞや、まるで孫とおばあちゃんみたいに仲良く話していた気がしたんだけど。そういえば、こいつと唯織と俺って三人でよく遊んでいたのに、なんでさっき、唯織のこと転校生って距離がある言い方したんだ? 「ねえ、聞いてる?」 「あ? ごめん、聞いてない」 「この照るてる坊主はね、君の試合が雨にならないようにって作ってくれてるんだよ」「え、まじで?」 びっくりしてばあちゃんを見ると、嬉しそうに微笑んでいた。 「久しぶりに他校と試合できるって喜んでいたでしょう」 ふふふとばあちゃんが笑う。そうか、覚えていてくれたんか。菫おばあちゃんは、よく干された布団みたいなあったかい匂いがする小さくてぽてぽてした可愛いおばあちゃんだ。 一緒にいて、心が柔らかくなる。 「ねえ、おばあちゃん、この家、ネズミが――」 タイミングいいのか悪いのか、セーラー服のままの唯織が部屋に入ってきた。 そしてこっちを見て露骨に嫌そうな顔をする。俺ではなく、たぶん墳神にだろうけど、あからさまに眉の真ん中にしわを寄せて感じが悪い。 「まあいいか。ねえ、海士野、この家、ネズミが出るんだけど、ちょっと退治してよ」 「ネズミ?」 唯織が近づいてきて、両手に持った何かをみせてくれた。 それは、菫ばあちゃんが作っていたお手玉だ。鞠の描かれた赤い布が破れ、中身の小豆が出てきてしまっている。 「えー、ネズミとか俺は見たことねえけど」 「うちの神社は狸は出るけどネズミはみたことないなあ」 「すっげ、狸かよ」 「野生の鹿とか猿も庭に入ってくる」 ちょっと坂を上った神社だし、裏は森だから仕方ねえといえば仕方ねえのかな。 「ちょっと! 神社の話じゃなくて、今はうちの話!」 「ネズミなあ。でも二階は最近改装したんだろ、俺もこの家で見たことねえし」 「じゃあ誰がおばあちゃんのお手玉を噛んで、中身の小豆をもってっちゃうの」 ネズミじゃなかったら、小豆を食べるとしたら小鳥かな。それは俺も分からない。 「まあ土曜まで忙しいから、日曜にネズミがいるか探してやるよ」 「本当ね。約束してよ」 「僕も手伝っていいかな?」 にこにこと墳神が唯織に話しかけてる。あんなに煙たがられるのに唯織に優しく話しかけているのを見て、俺は少し嬉しくなってしまった。でも唯織は冷ややかだ。 「いやだ」 「おい、こら、唯織」 「唯織ちゃん」 「これ以上、私やおばあちゃんの周りをうろうろしないで」 唯織が言い捨てると、大きな音と共にドアを閉めて二階の方へ逃げて行った。 「あいつ、ほんっと変わったよな!」 「ごめんなさいね。陸くん」 菫ばあちゃんもおろおろし出すので、俺は笑ってガッツポーズをとっておいた。 「ああ、問題ないぜ。小さいころから唯織にはいっつもあんな調子でいじめられてたからな」 「唯一くんもよ。ごめんなさいね。あの子、この町に馴染もうとしてなくて」 「いいえ。僕は大丈夫だけど、この町を拒絶する彼女にはちょっと困るかなあ」 ふむ、と顎に手を置いた後、閃いたように目を見開き持っていたカバンからペンと紙を取り出した。 「それ、なに?」 「墳神神社は言霊を扱う神様を祀ってるだろ? 僕も少しなら言霊が使えるんだよね」 ノートに、印刷されたような美しい楷書の文字を書く。 俺にはなんて書いているのか分からなかったが、菫おばあちゃんは感心するようにため息を漏らしている。 「美しい文字には、力が込められてるって言われたら信じてしまいそうねえ」 「あはは。こっちは、『小豆』って書いたんです。これをお手玉の隣に置いておいてください。彼らは今度からこっちを取りにくるでしょう。沢山書いておくから、無くなったらまた次の『小豆』を置いてください」 まるでお札のような効果なのに、ノートを八等分に破った紙に書かれた文字を二つに折って渡していく。そんなので効果があるのか不思議だったが、墳神が言うとなんだか信じられた。それに菫ばあちゃんが嬉しそうだし、言霊が宿ったお札をもらっているだけで気もちの持ちようが違うはずだ。 「あー、陸くんにも渡しておくよ」 「俺に? 俺は別にいらねえよ」 「さっきみたいに道路に大きな壁が現れた時の対策だよ。これをもって、深呼吸、もしくは近くで座って、深呼吸してほしい」 さらさらと書かれた紙を破って、俺の手に四つ折りにして持たせてくれた。 「なんて書いたんだ?」 「開いてもいいよ」 勿体ぶった言い方に、一瞬迷った。が、すぐに菫おばあちゃんが『そうだ』と叫んでうやむやにしてくれた。あまりこんなことを言ったら失礼だが、少し言霊とかお札とか俺はばかばかしいと思っていたから助かった。変に否定するのも墳神に悪いから、話を変えたすきに紙切れは胸ポケットに入れておく。 「墳神神社って、言霊で天災から守ってくれる神社でしょう。土曜の陸くんの試合の日も晴れにしてくれないかしら」 「ばあちゃん、いいよ。いっぺんに色々願っても効果ねえよ」 「欲張りかしらねえ」 おろおろするばあちゃんは、どこか小動物みたいで可愛い。こんなばあちゃんなら、俺の家の婆ちゃんだったら良かったのに。 「俺は神社でばあちゃんの足が早く良くなりますようにってお願いしたから、これ以上は願わねえよ。だから、雨でも仕方ねえし、晴れだったらばあちゃんのおかげだって思うよ」 な、って笑うとばあちゃんは嬉しそうに笑っていた。 「君は、綺麗な心を持っているね」 ばあちゃんに手を振って、家に帰ろうとしたら、ぽつりと落とされるように墳神に言われた。 「そうか?」 「うん。家族を大切にする心はきっと誰にもあると思う。けど成長するにつれ、恥ずかしくなって隠してしまうものだろ」 「そうか、なあ? まあ俺の家は、長男いっちばーん、だから。隣のばあちゃんの方が好きなのかもしれねえな」 あはは、と笑うと、唯織の家から何かが床に落ちる音が聞こえてきた。音が聞こえる場所からして、婆ちゃんではなく居間の方だと思う。 「――って言ってるでしょ」 「うるさい! 嘘だけは吐かないで!」 ――嘘だけは吐かないで。 唯織の言葉だけがはっきりと聞こえてきた。 「なあ、墳神」 「うん?」 「本当にお前が言霊を使えるとして、俺たちの言葉はどんなに力はないよな?」 「そうとは言えないけど、天災系まで操れる言霊なんてそうそうないんじゃないかな」 「じゃあ、あいつ、唯織が言った言葉も、効果はねえということだよな。こっち引っ越してきてから、言葉が刺々しくて誰かと喧嘩にならねえか心配なんだよな」 「……天邪鬼だとは思います。彼女」 クラスも違う墳神さえ、あいつのはねっかえり具合を把握しているとなると、同じクラスの奴らもきっと唯織のことをそんな風に思いはじめるんじゃないかな。 「確かに今は荒れてるけど、本当のあいつはもっと面白いやつなんだ。でも今のアイツは嫌な部分を前面に出してるだろ? ちょっと心配というか」  せっかくの高校時代をアイツが一人ですごすと思うと、なぜか辛くなる。そんな心配さえきっと今は煩わしいとしか思っていないだろうけど。 「君がずっとそばにいてあげれば彼女は少しは天邪鬼が逃げていくと思うよ。天邪鬼は君みたいなまっすぐな人間が苦手だから」 「男とずっとベタベタしたら益々孤立するじゃん。だめだめ。あーあ。面倒くせえね。じゃあな」 火との心配なんてしている場合でもないのに、と俺は苦笑しながら墳神に手を振って家に帰った。 「ただいまー」 「陸、そのままお風呂場よ」 「はいはい」 カレーのいい匂いがして、空腹を刺激してくる。兄貴にはお風呂場直行とか言わなかったくせに、この扱いだからな。農業大学に行った兄ちゃんは、父さんの蜜柑農業を継ぐらしく昔から、それはそれは昔から大事にされてきた。 兄ちゃんが誕生日にチョコレートのケーキが食べたいと言えば隣町で予約する。 俺も食べたいと言えば、『お兄ちゃんの時に食べたでしょ』と商店街のバターで甘ったるい白いケーキだ。跡取りの兄ちゃんが一番偉くて、俺はおまけらしい。 まあ自由にできてるからいいけど。将来蜜柑畑を継げとか言われたら、ださいし嫌だ。 『海士野の家の蜜柑が一番おいしいよね』 そういってうちの庭の蜜柑を、ワンピースの上に山盛りに摘んできて食べていた唯織がふと思い出された。両親がにいちゃんにつきっきりのおかげで、俺は放置されていたから、隣のばあちゃんと夏休みに来る唯織が好きだったのかもしれない。 楽しい思い出と言えば、隣の婆ちゃんと祭りに行ったとか、唯織とスイカ割りをしたとかそんな単純なことばかりだ。 唯織も親とあんなふうに喧嘩して、今、辛いんじゃないかなと思う。けど、聞いてもきっと素直に言ってくれない。頑なに心を閉ざしてしまっているのか、高校生にもなってただの隣の家の人間にそこまで話したいと思わないのかの、どちらかだと思う。 「ねえ、陸って転校生と仲がいいの?」 弱小テニス部の小さなコートで、草むしりをしていた時だった。 うちの高校は部活は強制じゃないし、強い部活もないので、半分以上が部活をしていない。テニス部なんて三学年で二十人しかいないし、一年なんて四人。 そこで唯一、一年の女子に入部している沙織が、草むしりしながら俺に近づいてきた。 「五歳ぐらいまで仲が良かったけど」 「五歳かあ」 はあ、とため息を吐くと、猫じゃらしの草を引っ張る。つるつると引っ張って、葉っぱだけが抜けていくので根元を掘り出した。 「どうしたん?」 「えー、だって。やっぱテニスだからさ。ペアが欲しいじゃん。あの子、運動神経よさそうだし」 「確かに、いいかもしれん。蜜柑の木に登ったりしてた」 「でも、うちらみたいに訛ってないやん? なんか都会ぶってて話しかけるなオーラあるけ、話しかけるの怖いわあ。絶対無視される」 ここで俺が、『行きたかった高校から無理やり転校させられた』と事情を話せば、都会からきた唯織が益々遠巻きにされるのは分かる。 「無視はせんやろうけど、もしかしたら俺らの言葉が訛ってて聞き取れねえのかもなあ」  まあ菫婆ちゃんと会話している時点で問題はないんだと思うけど。 「せやったら、やっぱ勧誘難しいやろ? 陸、この間マネージャー頼んで断られてたやん」 「唯織の家のばあちゃんが足が悪くて一人じゃ外出できんし、両親は仕事やけ唯織が世話や介助しよんからなあ」 「えー。可哀そう。親ができひんけって、高校生の自由がないんかあ。益々勧誘難しいなあ」 いや菫ばあちゃんの介助は、唯織は嫌ではなさそうやった。無理やりってわけではない。 でも俺はそれをどこまで言っていいのか分からなかった。 ぼーっと話を聞いていたら、テニス部のフェンスの向こうを横切る人物に目が映る。 それは、一人で本を読みながら歩いている墳神だった。携帯を弄りながらではなく、本というのが墳神らしい。 「あら、墳神くんや。格好いいなあ」 「格好いい……」 まあ確かに高校に入って身長伸びてるのはう羨ましい。俺は中学がピークだったのか、170センチで止まった。が、せめてあと五センチは伸びたい。 「知ってる? 墳神くんって巫女の血が強いけ、無意識に言霊使わないようにマスクしてるんやって」 「ああ天災や厄災を操る言霊ってやつか」  あの黒いマスクは、近くのスーパーやドラッグでは見たことないから不思議だったが、そういうことか。  神社とか寺はそんな迷信じみたことを、いまだに信じてるんだろうなあ。 電波が空を行きかって、メールやネットが当たり前な時代で言霊使うってか。不思議な話や。 「墳神くん、彼女居らんよなあ。どうやったらもっと仲良くなれるんやろうかねえ」 「普通に連絡先聞けばいいやん」 「そうやね。聞いてきてよ、陸」 まあた面倒くさいことを押し付けようとしてくる。俺がそんなことして何のメリットがあるというのか、不思議だ。 「おーい、墳神っ」 「陸くん、お疲れ様」 呑気に、やはり今日もマスクした墳神がこちらに寄ってきた。 「なあ、急なんだけど携帯持ってる?」 「あるよ」 「番号教えて。メッセージアプリでもいいけど」 「いいよ」 取り出して操作するけど、俺の方が今携帯を持っていないことに気が付いた。 「わりい。なんか紙に書いて」 「ちょっと待っててね」 「あのう、墳神くん、うちもええかな?」 俺に聞けとか言ってきたくせに、沙織がやってきた。特に嫌そうなそぶりもせず、頷くとラインのIDを書いた紙を渡してきた。 「紙は四つに破って処分してね」 「え、ああ、うん」 ノートを切れ端だと思うが、もらった紙の隅に星のマークが小さく書かれていた。 「この星のマークは何なん?」 沙織が聞くと、墳神は少し考えてから『おまじない』とだけ答えた。なのに、沙織も俺もなぜかすとんと納得してしまった。なんだろう、墳神の声が少しビブラードしているようにも感じた。 「あ、唯織ちゃん」 ちょうど靴箱で靴を履き替えている唯織が見えて、墳神はマスクを外して名前を呼んだ。 「じゃあ、またね」 俺たちに手を軽くふってから、逃げようと裏門から帰っていく唯織を、墳神は追いかけて行った。 「……転校生と墳神くん、仲良しなん?」 面白くなさそうな顔の沙織が、追いかけていく墳神を眺めた。 「俺と唯織と墳神、一緒に神社のお祭りとか行ってた、らしい」 らしい、と言うのは、墳神に言われるまで忘れていたからだ。なんでだろうか。 急に墳神とも思い出を思い出した。あいつが言うと思い出すんだけど、言わなかったらたぶん俺、忘れていたんだよなあ。 「それ、本当かな」 「なん?」 「墳神くん、今、転校生の前でマスク外したやん? 言霊使って、何かしようとしてるんやないの?」 「墳神が? なんで?」 本当に分からないから純粋にそう聞いたのに、沙織は面白くなさそうだ。 四つに織った紙きれをズボンのポケットに入れて、毟った草を集めているビニール袋に持っていく。 「なあ、なんで?」 「だから――墳神くんが操ってるんじゃない? 自分以外に転校生が心を開かないようにとかさ」 「……くだらん」 「なによー!」 墳神がそんなやつじゃないのも、唯織がそんな流される奴じゃないのも知ってるからくだらねえと思ったんだよ。 あーあ。草むしりとか怠い上に面白いこともなくて退屈だ。手だって土と引っ張った草のせいで緑色の汁が付いて汚いし、最悪だった。 あの二人は、仲良く帰ったのだろうか。唯織が一方的に冷たくして、帰らなかったんだろうか。どっちであっても、なぜか胸が苦しかった。 そのまま草むしりのあと、小石拾いをし、地面を平らに整えてから部活が終わった。 ゴミ袋八個分の草と石を見たら、面倒だった分達成感がでて気持ちがいい。明日は練習試合のために一日練習できるのも楽しみだ。ようやく一日が楽しめた直後、それは起こったけれど。 「……おい、まじかよ」 災難その一。 乗ってきた自転車のパンク。 災難その二。 自転車のライトが突然消える。 災難その三。 目の前に広がる大きな壁。 「墳神が言っていた壁だ。まじかよ」 自転車を押しても、壁はにゅるんとバウンドして跳ね返してきた。 どうなってるんだ。田舎道のど真ん中に突如現れる大きな壁。見上げると、夜空の月を覆い隠し空さえも飲み込んでしまいそうな壁だった。 なぜ、この壁は俺を阻むのか。なぜいきなり現れるようになったのか。そしてこの壁は、いったいどこから来るのか。不思議と恐怖とかは沸き起こってこない。 がさごそと学ランのポケットに入れていた墳神の書いた札を取り出して大きく深呼吸した。 すると紙が俺の手から突然、バチンと静電気が起こるように飛び上がり離れた。 ひらひらと紙が舞う。その紙から微かに煙草のような煙の臭いが漂う。 「……あれ」 手のひらを気にして下を見て、そしてすぐに見上げたはずなのに。 真っ暗な空に月が見え、あの壁が消えてしまっていたのだった。 紙は、役目を終えたようにひらひらと地面に落ちる前に全部消えてしまった。 すげえ。これが、墳神の言霊の力なのかな。 あれは、人間の力でどうにかできる類のものではなくて、だから言霊で消してくれたのかな。 すげえ。スーパーヒーローみたいだ。どこか一線引いてるような、同じ世界に居ながら距離が遠いなって思っていたけど、こんなふうに俺にはない力があるからなのかな。 「おい、そこでボサッとしてなにしてんだ?」 「え……兄ちゃん?」 軽トラの前のライトがチカチカと俺を照らす。 窓から顔を出したのは、大学に行っているはずの兄ちゃんだった。 「学校は?」 「ああ、農業系の大学は田植えの時期とか申請したら休ませてくれんだよ。うちの蜜柑、そろそろ出荷の消毒準備しなきゃいけんやろ?」 兄ちゃんは、タバコのにおいを漂わせ、顎に髭なんて生やしておっさん臭い雰囲気で少し驚いた。 「なんや、自転車ぱんくしとるんか?」 軽々と軽トラの後ろに自転車を乗せると、俺の方を見た。 「直してやるけ、乗りな」 「うん」 兄ちゃんとは6歳離れているせいか、喧嘩はしたことないが、一緒に遊んだこともほぼなかった。なので、なんだか大学行ってしばらく会わないでいると、よそよそしい態度になってしまう。 「お前、なんか変やなかったか?」 「え、なに?」 「道路の真ん中で、通れんみたいに立ち止まって」 「ああ、ライトが壊れて確認してたんよ」 咄嗟に壁のことは言えなかった。言っても兄ちゃんに信じてもらえるかというと、全然自信がない。 「真ん中は危ないでよ」 「うん」 「シートベルト、しとけよ。母さんうるさいよ」 「うん」 たった数百メートルを軽トラでのろのろ運転する。なんだ。あの壁、もしかして俺にだけ通せんぼしとったんかな。 「お兄ちゃん、おかえりなさい」 家の門の前で、母さんが手を振っている。当たり前だが、俺が部活でこの時間に帰ってきても絶対にこんな風に待ったりしたことはないのに。 「途中でパンクしちょった陸拾った」 「ご苦労様。お風呂入る? お寿司取ったよ」 たまに農作業の手伝いに帰ってくるだけの兄ちゃんに、寿司か。この目に見える差はいかがなもんかな。 「風呂はいいで。これ、発注しとった消毒のやつ」 「ありがとう。ほれ、陸はそのままお風呂入っといで」 「はいはいはーい」 そこまで俺に手抜きして、両方自分が産んだんやないんかい。作るのも手抜きしたんかいな、と突っ込みを入れたくなる。 まあ分かりやすいぐらい、長男に甘い家だからこそ俺は放任されてるからいいんだろうな。 シャワーを浴びて風呂から出ると、寿司の桶がテーブルに並んであった。寿司と兄ちゃんの好きなからあげと、サラダとかお吸い物とか。俺にはおかずとご飯と漬物か納豆なのに、雲泥の差ってやつかな。しかも兄ちゃんの桶だけ特上寿司のやつで、雲丹とイクラが入っていた。 「ねえ、おいなりさん作りすぎたから、隣の唯織ちゃんの家に持って行ってくれない?」 「は? 今?」 「今よ。あんたもこの前、おはぎ貰ってたでしょ」 貰ったし五個中三個食べたのは俺だ。だけど、持っていくなら風呂入る前にしてほしいよな。せっかく風呂でさっぱりしたのに、絶対に蚊に刺される。裏のドアからのほうが庭をまたいで行くので近い。が、菫ばあちゃんが足を骨折してから庭は草だらけだ。 風呂上がりに草だらけの庭を横切るのが嫌で、普通に門から出ていく。すると俺と唯織の家の前に、またしても大きな壁が現れた。 「……まじかよ」 触っても、少し柔らかいこんにゃくみたいな触り心地で、気持ち悪い。が、しまった。墳神がくれた言霊の紙はポケットに入れたままで今は持っていない。面倒だから家に一旦帰ろうと踵を返す。この現象、いつになったら解消するんだろうか。 「おばあちゃん以外、大嫌い!」 家に入ろうとしていた俺と反対に、唯織の家の玄関が大きく開いてアイツが飛び出してきた。 「唯織っ」 「海士野」 「お前の家にお稲荷さん、持っていこうとしたんだけど」 「今は来ない方がいいよ。話にならん、クソ野郎ばかり」  ふんっと鼻と目を赤くして暴言を吐く唯織が、ひどくか弱い女の子に見えた。 慣れない土地で友達とも離れて、親ともうまくいかないなんてなんか寂しい。 「お前、ご飯食べた?」 「食べてない」 「うちの母ちゃんの稲荷ずし食う?」 手に持っている風呂敷を上にあげると、少し唇を尖らせてから頷いた。 「おばあちゃんの部屋に行こう」 「あー……いやあ、それがなんか俺、道路が塞がっててさ。お前取りに来てくれない?」 自分でも言っていて、頭がおかしい人みたいになってしまったが、唯織は一瞬首をかしげてから門から道路へ出る。すでに俺には壁で、唯織が見えない。 「ここ、壁が見えないか?」 ペタペタと壁を触ると、唯織が『なんかここ、足が動かなくなる!』と驚いた声を上げた。 「壁は見えないけど、こっから海士野の家にいけない!」 「だろ!? おかしいやろ? 全然動けないんや」 俺には黒い壁が見えるけど、唯織からは俺の顔は見えているのだろうか。 「あんね、海士野」 急に唯織の声のトーンが低くなった。 「どうしたん?」 「おばあちゃんの部屋のお手玉、中の小豆が食べられることはなくなったんよ」 「良かったやん」 「代わりに隣に置いてあった『小豆』って書かれた紙がまるでかじられた様に破れてるの。信じられる?」 墳神の書いた紙が、まるで小豆のように食べられるということか。あいつ、本当すげえ。 「信じられる、かな。俺、今、目の前で壁に道を塞がれてるからよ」 「海士野にも見えるの。……私、小さなネズミぐらいの小鬼がね、小豆って書いた紙を食べてるのが見えたんだ。頭がおかしくなったのかと思った」 いつもなら俺が話しかけても、露骨に嫌そうな顔をするくせに、今日は食い入るように話しかけてくる。小鬼が見える自分が、本当に嫌だったのかもしれないし不安だったのかもしれない。 「お前、今ちょっと心細いんだろ」 「……なによ、急に」 「素直な唯織の方が、唯織っぽいからさ。お前、普通にしてたら可愛いじゃん」 「……馬鹿じゃないの」 ふわりと風が吹いて、壁がゆっくり消えていく。目の前には茹でタコみたいな唯織の姿があった。率直な感想だったのだけど、唯織の顔が赤くなる。そのまま急に横を向いたと思うと、両手を出してきた。 「稲荷ずしだけ寄こしたら帰りなさいよ」 「お前、今褒めたばっかなのにその態度!」 「仕方ないじゃない!」 急に大声を出したかと思うと、唯織の目に大粒の涙が浮かんだ。 「仕方ないじゃない。だって、だって、私の思い通りになに一つできていないのに。こんな田舎で、楽しく過ごすなんて親が絶対に『ほらな』って馬鹿にする。ただの反抗期だって笑い飛ばす。私は、――私は本気で悔しいし苦しい」 「でもさ、親に見せつけるために、お前が不幸になるのは俺は嫌だよ」 夏休みとか長期休暇で会っていた唯織は、もっと笑っていたし幸せそうだった。 今みたいにつまらなさそうじゃない。今みたいに親のせいにして、天邪鬼みたいに思ってもない言葉で周りを攻撃したりしない。 「苦しいよ。……でもどうしていいのか、分からない」 俺みたいに割り切ればいいのに。親が長男を大事にするのは当たり前だし、扱いの差はあれどその分自由だし。自分に与えられたアイテムや環境や装備は少なくても、少ない方が評価を気にせず自由が得られるのに。 「あ、俺が聞いてやるよ」 「はあ!?」 「なんでそこまで一人娘を苦しませるんだって、聞いてやる聞いてやる。おばさんたちもどうせ意地になってるんだろ」 唯織の手を取って玄関に向かう。唯織は混乱していて言われるがまま歩いていたがすぐに手を離した。 「なんで、バカ! 馬鹿、バカ! 海士野の馬鹿!」 「ええー? だって理不尽だろ。すっきりしよう」 俺が親に『なんで兄ちゃんだけ特上寿司で、俺が並なのか』そんなくだらない質問をしたところで親はあきれるだけだろう。本気で答えてくれるか分からねえ。 でも唯織と唯織の両親はもう少し話し合う必要があるというか、話し合えそうな悩みなんじゃねえのかなって思ったんだ。 「本気でやめて!」 「……じゃあ、このままでいいの?」 偏屈な性格になってしまった唯織を目の前に、俺は玄関のドアノブを握りしめた。 力でなら、唯織は俺を止められない。けど、唯織が本当のことを言うなら、俺は止める。 「私の言葉なんて、どうせ誰にも聞いてもらえない。なら言わない方が楽」 「……俺が言ってみて無理ならその考えでいいと思うよ」 玄関を開けると、唯織は驚いて俺から手を振り払い、菫ばあちゃんの部屋に入っていった。 「おじゃましまーす」 リビングに行くと、お皿を片づけている唯織のおばちゃんとソファに座って新聞を読んでいるおじさんがいた。この二人は唯織を菫おばあちゃんに夏休み預けると、さっさと仕事に行っていたのであまり俺はかかわりが少ない。うちの親と仲がいいみたいだけど。 「あら、陸くん。いらっしゃい。お茶でいい?」 「ああ、大丈夫です。稲荷ずし、届けに来たんで。で、唯織に渡してます」 「まあ、ありがとう」 俺がこんな時間に来ても嫌な顔しないから、そこまで悪い人ではないと思うんだけどなあ。 「それに唯織が泣いてたから、泣かせないでって言いに来ただけだし」 俺の発言に、おばちゃんも固まったし新聞をめくる音が止まった。 「なんで唯織の意思を無視してここにきて、一番つらいのは唯織なんに、唯織を泣かすのか、子どもの俺に分かるように言って」 リビングの入り口で手を組んで、率直に聞いてしまった。やべえな。親に怒られるなと分かっていたんだけど、聞かないわけにはいかなかった。 「ここには、唯織が納得して引っ越してきたわけじゃないよな」 答えないということは、俺が言っている通りなのかもしれない。気まずげに下を向くおばさん。唯織に少し似ていて、少し疲れた顔をしている。 「唯織が荒れてるのは、気持ちを受け止めてもらえなかったからだろ」 「菫おばあちゃんが」 言葉を遮るように、おばさんは苦しげに言う。 「もうあまり長くなくて」 「は!?」 「手術も頑なに断るから、あと少しの時間、後悔させないようにそばに居させてあげたいし。もしかしたら、菫おばあちゃんも気が変わってくれるでしょう」 頭を金づちで何度も何度も殴られた。いや今も殴られている。 菫ばあちゃんが、長くない? 「……生意気にすんません」 その言葉は俺もあまり聞きたくなかった。どこが悪いのかとか聞きたいのに、言葉は出なかった。菫ばあちゃんと一緒に居させてあげたい、けど真実は言えない。 唯織の両親は、彼らなりに悩んだ末の行動だったということか。 「唯織のこと行ってきます」 菫ばあちゃんの部屋に行くと、唯織の嗚咽が聞こえてきた。 「ううっ 稲荷ずし、美味しい。ううっ 美味しいよぉ」 「そうかい、そうかい。ばあちゃんの御萩とどっちがおいしいかい」 「おばあちゃんのおはぎだよ!」 即答する癖に、唯織は稲荷を食べ続けているようだった。開いたドアから、唯織がちゃんとテーブルに稲荷を置いて、両手に一個ずつ持って食べているのが見えた。 菫おばあちゃんも、温かい目で見ている。のに、俺は部屋に入るのをためらった。 ぴょんぴょんと、ノミのように何かが唯織の肩で動いていたからだ。目を凝らしても、早すぎて見えない。 「入りますよー」 「海士野っ」 「ちょっと、失礼」 テニスの時と一緒だ。ボールを追う感覚で、動き回るそれを目で追う。そして動きを覚えたので、手を出して捕まえた。 「何!?」 「いや、虫がいた」 片手で握るように捕まえたのに、なんだか手ごたえがない。 柔らかいし、ビニール袋を掴んだようなカサカサと音が鳴る程度で、厚みが感じられなかった。手を開いて中を見ると、黒い影がサッと動いて部屋の隅に逃げて行った。 追いかけようとして、目で追ったものを見て目を見開く。 頭が体より少し大きくてバランスの悪い、赤い――鬼だ。 まるで鬼のような角が一本、頭から生えていた。あれは、虫じゃなくて小さな鬼。 小さな鬼が、唯織の周りを飛んでいたんだ。 「唯織!」 さっきの壁のように、唯織とも目に見えたものを共有しようとしていたのに、菫おばあちゃんが『しっ』と俺を諭した。 「菫ばあちゃん?」 「だめよ。だめ。泣いてるおんなのこの扱いが違うよ」 ウインクされた。いや、俺は泣いている唯織を慰めるとか話しかけるつもりではなく、小鬼がいたってつたえたかっただけなんだ。 捕まえた手の中を開けてみる。すると粉々に割れた小豆が一粒でてきただけだった。 唯織が家出してまで来たくなかったこの町。田舎くさくてコンビニは一件しかないけど、大型トラック用の駐車場がやけに大きくて、田んぼの方が多い町。  町まで電車で一時間、バスで二時間近く。町内会の集まりが多くて親は文句ばっかりだけど、収穫時期には手を取り合って皆で協力してる。  唯織が住んでいた都会とはきっとかけ離れているとは思う。だから拒絶してしまうのも。  だけど、本当のお前はもっと面白くて良い奴じゃん。なんで愛想笑いで距離取って誰とも関わらないようにしてるんだ。 「墳神いますか」  テニスの帰りに、家に帰らず墳神神社へ向かった。  もやもやしたからだ。  唯織のこと、小豆のこと、壁のこと。  でも墳神がくれた紙一枚で解決できたから。  墳神はジャージ姿に黒のマスクで、箒を手に神社の隅っこに座っていた。  おばさんが笑顔で案内してくれたので、どうみてもサボっている様子だったが怒っていない様子。  うちの親も兄がこんな姿で座ってても怒らないで水筒とか渡すけど、俺がこんな姿だったら頭叩いてそう。 「どうしたの、陸くん」 「なんかお前に会えば解決しそうな気がして来ちゃったぜ」  普段、語尾に『ぜ』なんて使わないくせに、格好付けてそう言うと、墳神は微笑んでくれた。 「そっか。嬉しい」  墳神はどこか遠くを見ていたのに、急に俺に微笑んできた。これがモテない俺とモテる墳神の差か。ミステリアスというか浮世離れというか。どこか俺と違う次元に生きている感じ。 「で、何があったの」 「あ、壁。昨日も壁が現れてさ、お前がくれた紙が電磁波放って焼き消えたんだよ」 「ああ。また野襖が現れたんだね。沢山紙を渡すよ」  ノート頂戴って言われたから素直に国語のノートを渡した。落書きだらけで笑われたけど、墳神はどこか楽しそうだった。 「もしかして墳神ってさ」  沢山書いて貰っている間、暇すぎて墳神を見る。観察とでも言うのかな。 「なに?」 「物の怪とか見えちゃう体質?」 「前にもそう言ったけど、寄せ付けちゃうかもね」  スラスラと楷書で書いていく文字の先を見つつ、モヤモヤが増えていく。 「俺は信じてなかったけど見ちゃったしな。やっぱ墳神は唯織に何か取り憑いているから構ってるの?」  スラスラと書いていた文字が止まった。 「うん。彼女は俺のこと知らないから。免疫がないし、墳神神社の加護が今までなかったから」 「そっかぁ…・・・」  菫ばあちゃんが言ってた御利益ってやつか。俺は目に見えない物は信じないタイプだけど、物の怪って奴を目で見てしまったから仕方ない。 「加護が済んだら、どうしたらいいかな。あいつ、お前みたいにモテる奴に近づかれたら女子に反感買いそうじゃん。友達作れなくなったらなあ」 「それって俺に彼女に近づくなって事?」  直球ストレートに言われたが、それもそれでなんだか違うような気がした。 「でも墳神しか唯織のこと見てくれない気もするんだよなあ」  誰も転校生のあいつのこともう気にしてない。教室の一部になってるみたい。それもモヤモヤするのかもしれない。 「彼女はそういうとこ、俺に似てる」 「は? 墳神と!?」  似てない。唯織は意地っ張りで頑固で、気が強くてそして少し悲しい。自由は全部奪われて、望まない此処にやってきて、言葉は何一つ力を持ってない。  墳神は友達が沢山いる。柔軟で柔らかくて優しい性格。言霊を使って物の怪から守れる。 「似てるよ。俺のことは皆、忘れちゃうからさ」 「忘れる?」 「ん。陸くんも俺のこと忘れちゃう。何回も。もう何回も彼女の気持ちを体験してる。悲しいよ。どうする、陸くん」  ーー君と俺の思い出も記憶も、俺が言霊で作り上げたものだったら。  どうする? 「分からねえけど、俺は結構記憶力悪いんだ。唯織にも、適当な記憶で話しかけたことあるし。だから思い出より今の墳神のことを考えるよ」  俺の頭の悪い反応に、流石のおおらかな墳神も目を丸くした。 「そう。今の俺ってどんな感じ」 「明日には消えちゃいそうだから、しっかり掴んでやらないといけねえな、放っておけないな、って感じ」  どやっと答えると、墳神はマスクが苦しくなるぐらい爆笑していた。 「俺も陸くん大好きだわ。また仲良くして」 「またってなんだよ。俺はいつでも仲良しだろ」  馬鹿言うなって伝えると、墳神は少し悲しそうに微笑んだ。 「神無月って言うだろ。日本中の神様が伊勢神宮にいって神様がいなくなるの」 「ああ、なんか学校で習った。伊勢神宮だけ神在月って言うとか」 「そしたら俺も加護がもらえないから。消えちゃうんだよな」  クスクス笑った墳神は、ノートを閉じると俺に渡してきた。 「はい。これ一枚ずつ持ち歩いて。野襖ぐらいは寄せ付けないから」 「あ、ああ」 「寂しがり屋の天邪鬼と俺の加護がない彼女の近くに居る限りは、寄せ付けちゃうけど」  寄せ付けると言うけど、目に見えないんだから問題ないんじゃないのか。  それとも今後、墳神がそばにいるならば加護によって消えていくのかな。 「なんかお前って損してねえ? 大丈夫?」 「うーん。わからない。そんなこと言うの陸くんだけだったし」  クスクス笑った後、また寂しそうに墳神は笑った。 「でも消えても、また陸くんとは友達になりたい」 「当たり前じゃん。俺らはもうこの町で生まれた時から友達じゃんよ。これ、ありがとうな」  墳神はきっと今、寂しいんだ。そして悲しい。  いや、もしかしてずっとどこか寂しくてどこか悲しいんだ。  その消えてしまうっていう意味が俺にはよく分からねえけど。  俺たちに理解されない部分に、悲しいとか寂しいが詰まっていて、俺はそれを本人から聞いたのに同じ立場で分かってあげられないんだ。分かってあげられないなら、墳神の願い通り俺はずっと友達でいてあげようと思ったんだ。  その夜も大きな野襖が俺の道を阻んだ。  それは、俺を唯織の家に進めさせないように通せんぼしているように見えた。  だが、墳神がくれた言霊の紙をちぎってかざして、追い払った。  俺は唯織も墳神も友達だ。遠ざけたり、悲しい気持ちにはさせない。  それがもやもやした中で唯一見つけた答えだった。
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