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こんな気持ちになったのは初めてだ。
気が付けば彼女のことを目で追っていて、彼女を見ているだけで心が落ち着く。
モノクロのぼくの世界で、彼女だけが色付いている。
彼女と出会ったのは二年の始業式の日だった。
ぼくは寝坊して、雨と桜が降るなか、全力疾走していた。
青から赤に変わりかける信号めがけて走るスピードを上げた時だった。信号が点滅し始めて、前を歩く彼女は止まった。
急いでいる様子はまったくなかった。一ミリも動かないその後ろ姿にぼくは惹かれた。
結局、ぼくらは二人揃って遅刻した。先生に注意されている時の彼女は眉毛一つ動かさなかった。
そして、ぼくは彼女と同じクラスになることができた。それから、ぼくは、彼女が『ロボットの三田さん』と呼ばれていることを知った。
表情筋がまったく動かない。喜怒哀楽、感情がないと三田さんは言われている。口を開くのは授業中、先生に当てられた時だけ。
綺麗な顔立ちなのに、愛想がない。喋らない。笑わない。泣きもしない。
三田さんはみんなに気味悪がられていた。
それでもぼくは、三田さんが好きだった。
好きなところはたくさんある。
美人で肌は綺麗なのに、髪の毛はくせっけなところ。雨の日に三田さんの髪が爆発していた。目が茶色っぽいところ。猫背なところ。指が綺麗で細長いところ。歯並びが綺麗すぎないところ。そばかすがあるところ。身長が百六十センチぴったりなところ。愛想笑いしないところ。自分を貫いているところ。授業が始まると一礼するところ。字が綺麗なところ。ノートが見やすくまとめられているところ。勝負ごとで一度目は本気で相手するのに、最終的には花を持たせてあげるところ。だれかが傘を忘れたら、貸してあげるんじゃなくて一緒に濡れるところ。食事中に髪の毛を触らないところ。ご飯一粒残さないところ。五限目の国語の授業でも寝ないところ。あくびをする時、口が大きく開くところ。誰が相手でも態度が変わらないところ。地図が読めないところ。すこしだけ音痴なところ。泳ぐのが苦手なところ。球技以外の競技はほとんどできないところ。理科と数学の授業でちょっとだけ顔をしかめるところ。あ、空を眺める時の横顔もすごく好きだ。
「・・・・・・どうして好きなのか分からないところばかりだけど。たくさん見られてるんだね、わたし。」
ぼくが勇気を出して告白したのに、顔色一つ変えないところも好きだ。表情は変わらない。目はぼくと合っているはずなのに、どこか視線が合わない。声に感情はこもっていない。
頼み事を断らない、断れないところも好きだ。喋ったことのないぼくの呼び出しにも応じてくれた。
「だって、すごく好きなんだ。三田さんのことが大好きなんだよ、ぼく。」
自分で言っていて恥ずかしくなるような台詞を聞いても、三田さんは顔を赤らめない。
「付き合ってほしい、ってこと?」
「あわよくば、ね。嫌な思いはさせない、と思うよ!」
「・・・・・・なら、ごめんなさい。応えられないです。」
三田さんが目を閉じた。
三田さんはすごく儚い人だと思う。手の届かない遠いところにいる人。無理に掴もうとしたら、消えてしまうような人。
「どうして?」
「・・・・・・わたしが喋りも笑いもしない理由、分かる?」
「うーん、分かんないなあ。」
どれだけ三田さんを見ていても、分からないことはある。
三田さんはどうして喋らないのだろうか。笑ってくれないのだろうか。
理由は気になるけど、無理に聞こうとは思わない。
三田さんがテキトーな人ではないことは、分かってる。簡単に喋ったり笑ったりしないところを含めて、ぼくは三田さんを好きになった。
「面倒、なの。」
「・・・・・・面倒?」
「うん。疲れる。面倒くさい。つまらないのに笑って、誰かといないと怖いから、誰かを傷付ける。口は災いの元、って言うでしょ。一人でいる方が楽だって気づいた。感情を出さない方が楽だって知った。そうしていたら、笑い方を忘れた。」
三田さんがため息を吐く。
彼女がこんなに喋っているところをぼくは初めて見た。校内にいる人は見たことがないだろう。ぼくが、初めてだ。
なんだか感動してしまう。澄んでいる綺麗な声もぼくは好きだ。
「なるほど。なるほど。」
「だから、だれかと付き合うってことも面倒くさいことなの。ごめんなさい。わたしじゃなくても、素敵な人はいっぱいいるから。」
「ぼくにとって一番素敵な人は、三田さんなんだよ。」
本心だ、本当だ、嘘じゃない。
けど、この言葉はきっと三田さんには響いていない。けど、ぼくはめげない。
「初めて、こんな気持ちが芽生えたんだ。だから―――」
「他の人だったら、一緒に笑い合って、時に傷付け合うことができる。同じものを見て体験して、感動することができる。わたしだったら、それができない。瀬田くんは素敵な人と素敵なことをしたらいい。瀬田くんが笑う時、隣にいるのはわたしじゃない。」
人の話は最後までちゃんと聞く三田さんが、ぼくの話を遮った。
完全な拒絶だ。なんだか少しだけ、いやだいぶ胸が痛い。
「三田さん、好きだよ。大好きなんだ。」
繰り返してみても、三田さんは反応してくれない。
「ぼくが、三田さんに笑い方を教えるから。だから、お願い。恋人じゃなくていい、友達になってほしい。」
「人間関係はこの世で一番複雑で面倒なのよ。もう話しかけないで。その気持ちもいつか忘れるから。」
「そんなことない。」
「じゃあ、その芽が花を咲かせる前に、わたしが摘んであげる。」
人が傷付くとき、人が怒るとき、人が泣くとき、顔をしかめて泣きそうになる三田さんが、ぼくは愛おしい。
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