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人はなぜ、ものを捨てるのだろう。
捨てるという行為は、いったい何なのか。
明らかに不要なものは捨てるべきだ。
家の中を清潔に保つため、あるいは心の平穏のために、日々処分していく必要がある。
しかし人は、大切にしていたものを、目の前から消してしまいたくなる時がある。
自発的に、あるいは衝動的に、捨てることによって、しがらみから逃れようとする。
好きではじめた仕事、親兄弟との絆、叶わない恋や夢ーー。
翌週の火曜日、ボロアパート前のゴミ集積所には、リクくんだけがいた。
いつもと違いパジャマ姿で、短い手足を振りながら、こちらへ駆けてくる。
母親はどこへ行った?
なぜ一緒にいないんだ。
出てこられない事情でもあるのか。
例えば、病気や怪我、まさか自殺なんてことはないだろうな。「捨てたい」と言ったのは、彼女自身のことだったのではーー。
私は車のドアを開けて飛び降りると、収集車を誘導するのも忘れ、リクくんの前に立った。
その小さな両腕を掴み、問いただす。
「ママはどこだ? 近くにいるか」
リクくんは私の気迫に驚いて、泣きそうに顔を歪めた。彼にとって、顔見知り程度の男は、“こわいもの”でしかないに違いない。
精いっぱい身をよじって、逃れようとする。
「ままぁ! まーまぁ!」
リクくんが走り出した。行き先は自宅のようだ。ということは、母親は家にいるのか。
「樋渡さぁん! 家ん中まで行く気ですか?
勤務中にまずいっすよ!」
岡野がドアガラスを下げて叫ぶ。
しかし、私の耳には届かなかった。
奥さんが無事であることを確かめなければ気が済まない。
蔦の這う二階建てアパート。その一階手前にあるドアが開けっぱなしになっている。リクくんはそこへ飛び込んだ。
人様の家だと躊躇する余裕などない。乱雑に脱ぎ捨てられた子供の靴と、行儀良く揃えられた婦人用のサンダルを認めて、
「奥さん、いますか? あがりますよ」
返事を待つ前に中へ入る。
こじんまりとした、1LDKの室内はやけに寂しい印象だった。
小さなテーブルと椅子、冷蔵庫、洗濯機。
寝室はドアが閉まっている。洋服はクローゼットの中か、ここには見当たらない。
生きていくのに必要最低限のものしか置いていないようだ。
リクくんは元気に育っているから、子供を世話するには事足りるのだろうが……。
奥さんは、リビングの床に座り込んでいた。
その膝に、リクくんが顔を埋めている。
近くに、小さなゴミ収集車が転がっている。
リクくんの唯一のおもちゃなのだろう。
彼女は生きていた、ひとまずほっとする。
「すみません……大丈夫ですか?」
他人の家に勝手に踏み入った罪悪感はあったが、それよりも、ぼんやりとした奥さんの様子が気になり、声をかける。
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