神様、この嘘を本当にしてください。

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「来てくれてありがとう。また京子さんに会えて嬉しいよ」 俺と涼子が病室に入るなり、父は顔を綻ばせる。 「私も会えて嬉しいです。お体の方はどうですか」 「すごく体調が良くてね」 その言葉通り、父は元気そうに見えた。このまま快方に向かうのではないかという希望を持ちたくもなるが、医師からは確実に父の体は病に蝕まれていることを聞いていた。 「ところで、結婚式は挙げるのかい?」 父が尋ねる。 「式は挙げるつもりはありませんが、フォトウェディングをしようかなと考えています。写真が出来上がれば、お父様にもお見せします」 涼子は、妻代行サービスの書類に記載されていたことをすらすらと述べる。ただそれは、まるで本当のことを言っているように聞こえた。 「そうか。それは楽しみだな」 父は本当に嬉しそうだった。嘘ではあっても、こうやって喜ぶ姿を見ると、このサービスをやって良かったと思う。それは、相手が涼子だからかもしれないが。 「お父様、実は今日は謝らないといけないことがあるんです」 涼子の真剣な口調に、父の表情が固くなる。 「十年前に、悠太さんを見捨てて逃げた女性がいたとおっしゃっていましたよね」 「ああ、確かに言ったよ」 父が縦に首を振る。 「その女性は、実は私なんです」 その言葉に、父の表情が凍りつく。 「私はあの時、悠太さんとお付き合いしていました。しかし、悠太さんから海外に転勤することを聞かされました。私は寂しくなって、駄々をこねました。子供だったと思います。悠太さんのことを信じられず、見捨てました。私はあの時、きちんと悠太さんと向き合うべきでした。悠太さんには、ひどいことをしたと思います。この場で謝らせてください。申し訳ありませんでした」 涼子が九十度に腰を折り、頭を下げる。その状態からピクリとも動かなかった。 涼子のその言葉は、とても嘘には思えなかった。そして、父に向けられたはずの言葉は、俺の心を深くえぐっていた。 父は目を見開いて驚いていたが、しばらくして、意を決したような顔になり、口を開く。 「京子さん。頭を上げていただけますか」 父の言葉に、涼子はゆっくりと頭を上げる。 「まず初めに、私から一つ言わせてください」 父の眼差しは、優しく、それでいて強さを感じさせた。 「京子さんと悠太がこの病室に入った時、私は思いました。こんなにお似合いの夫婦がいるのかと。出会ったばかりと聞いていましたが、まるでずっと寄り添い生きてきた夫婦のように見えました」 父は、慎重に、一つ一つ言葉を選ぶようにしゃべっていた。 「十年前に、二人の間で何があったかは分かりません。それについて、詮索する気もありません。さらに言えば、私は怒っていませんし、むしろ正直に言っていただいて嬉しく思っています」 俺と涼子は、じっと父の話を聞いていた。 「申し訳なく思う必要もありませんし、引きずってもいけません。もしその過去が苦しいと思うなら、二人で新しい思い出をどんどん作っていってください。そうすれば、辛い過去も、笑って話せるようになる日が来ます。どうか、二人仲良く幸せに暮らしてください。それだけが私の唯一のお願いです」 父はそう言って、温かな笑みを見せた。 「ありがとうございます」 彼女が掠れた声で言った。 涼子の瞳は、いつの間にか涙でいっぱいだった。そして、右目から一筋の涙がこぼれていった。 俺は何も言うことができず、ただ二人の様子を眺めていた。
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