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稲本団地四街区F棟
子犬を抱かせた朱理を、更に悠輝は抱いて稲本団地へと帰ってきた。流石に疲れたが、もう一仕事残っている。姉たちに気付かれないように、朱理をベッドへ戻さなければならない。
状況を考えると玄関の鍵は開いているだろう。それに万が一、鍵が掛かっていても合鍵はある。紫織は一度寝るとそう簡単には起きない。遙香も寝起きが悪いので、この時間帯なら基本的には大丈夫だ。しかし勘が鋭いので目覚める、もしくは既に起きている恐れがある。そして英明についてはよく分からない。一番確実なのは『ひふみの祓詞』でしっかり眠らせてから朱理を戻す方法だ。
そんなことを考えて歩いていると、自分たちの部屋があるF棟の前に誰か居るのに気付いた。
「悠輝くん……朱理!」
そこに居たのは英明だ。悠輝に抱かれた娘に驚き、慌てて駆け寄る。
「義兄さん、だいじょうぶです。朱理は寝ているだけだから」
「一体、何が?」
英明が心配そうに尋ねた。
「えっと……仕事から戻ると、フラフラ歩いている朱理をこいつが見つけて……」
悠輝は朱理が抱いている子犬に視線を向けた。
「それで追いかけたんです」
「つまり、夢遊病で出歩いていたってことかい?」
「ええ、たぶん……。で、義兄さんは、どうしてここに?」
「トイレに起きたとき、玄関を見たら朱理の靴がないことに気付いたんだ。驚いて部屋を確認するとベッドにも居ない。慌てて降りてきたんだけど、どこを探せば良いか見当もつかず途方に暮れてた。そしたら悠輝くんが朱理を抱いて戻ってきたんだよ」
マズいな、と悠輝は思った。英明は遙香を起こしているかもしれない。
「じゃあ、姉貴も心配しているんですか?」
「いや、急いで出てきたから遙香も紫織も起こしてないよ。特に遙香は寝起きが悪いからね」
悠輝は内心胸を撫で下ろした、姉に知られると色々と厄介だ。
「あの、姉貴には朱理のこと内緒にしておいてもらえませんか?」
英明が怪訝な顔をする。当然だ、娘が夜中フラフラ出歩いていたのを知らせるなと言っているのだ。
「あ、いや、心配を掛けたくないなと思って……」
我ながら説得力のない理由だ、返って怪しまれる。
「だけど、朱理に夢遊病の恐れがあるなら病院に連れて行かないと」
もっともな意見だ。
「そうですよね……」
「………………………………」
英明は悠輝の顔を見て少し黙り込んだ。
「たしかに今はまだ大げさに騒がない方が良いかもしれないね。朱理も不安がるだろうし、少し様子を見よう」
「え……」
何故か納得してくれた。
「それで、朱理が抱いてるその子はどうしたの?」
英明は子犬に視線を向けた。
「ああ、こいつは……」
悠輝は帰宅途中で拾ったことを英明に話した。もちろん、白猫との戦いについては触れていない。
「こいつのお陰で、朱理に気付けたんです。それで、義兄さんにお願いがあるんですが……」
悠輝は申し訳なさそうに言った。
「解ってる、遙香は僕が説得しておくよ」
「えッ?」
「飼い主が見つからなかったら、悠輝くんが飼いたいんだろ?」
どうやら英明は悠輝の考えをお見通しのようだ。
「それに子供たちもペットを飼いたがっていたから、いい機会だと思う。まぁ、一番世話をするのは朱理だろうけど」
そう言って英明は子犬を抱いて眠る娘の顔を見つめた。
「ありがとうございます」
遙香は悠輝の我が儘を簡単には聞いてくれない。と言うか、自分の仕事が増えるような事は誰の言うことでも聞きはしないのだ。そんな遙香の意志を曲げられる唯一の存在が英明だ。
これで朱理と子犬の問題が二つとも解決した。もっとも子犬は飼い主が見つかれば飼うことは出来ないのだが。
できることなら、うちの子になって欲しいな。
子犬が円らな瞳で悠輝を見返した。
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