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春原雅人、21歳の共感。
高校時代からの親友の雅人に電話をかけた。情けないかもしれないが、誰かに話を聞いて欲しかった。
「かるたサークル活動中止なんだけど、辛さを誰も分かってくれない」
「辛いよな。僕のところも非公認だから分かるよ」
雅人は大学の非公認団体であるボードゲームサークルに所属していた。かるたサークルのような大学公認団体より、さらに立場が弱い。
「なんで大学生って、高校生より同情されにくいんだろうな。一生に一度の学生生活なのは俺たちも同じなのに」
「しかも、文化系って運動系にくらべて遊び扱いされるよね。実際、僕は遊んでるだけにしか見えないと思うけどさ」
「そんなことないよ。雅人はすごく頭使って難しいことやってるじゃん。楽しむことと頑張ることは両立しうるし、「遊び」だって真剣にやるからこそ熱い戦いになる。それが奪われて悲しいのに、年齢も競技の種類も関係ない」
俺が言ったのは、俺が言って欲しかった言葉だった。雅人は俺の苦しみを分かってくれた。雅人の苦しみを俺がちゃんと理解できているかは分からないが、分かりたいと思う。
「『カタンの開拓者たち』って知ってる?」
「知らない」
「ドイツの有名ボードゲームだよ。僕、そのゲームの日本大会に優勝して、世界大会に出る予定だったんだよ」
「マジで?すげえじゃん!おめでとう。友達として嬉しい!」
「当然、世界大会中止。あと、別のボードゲームの『カルカソンヌ』の学生大会も中止」
「ごめん、無神経だった」
「いや、嬉しいよ。今っておめでとうって言っちゃいけない雰囲気あるし。おめでとうって言ってくれたの、佑麻だけ。サークルのみんなが出られない学生大会が中止になってるのに、僕しか出られない大会の話なんてできないし。僕の優勝ってなかったことになっちゃうのかなって悲しくなってたところなんだ」
人は自分の知らないものについて鈍感だ。俺は雅人の言っているボードゲームについて何も知らない。でも、知らないからと言って切り捨てていいものだとは絶対に思わない。
「僕達の青春って何だったんだろうね」
「そろそろ就活も始まるよな。何にも出来ないまま」
「戻りたいな、去年の平和だった頃に」
窓の外には月が出ている。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
俺は百人一首の一節を呟いた。
「それ、百人一首?さすが、かるた部」
「ああ。俺の得意札」
詠み人の名前は阿倍仲麻呂。俺と同じ名字だったので、この札が得意札になった。
「どういう意味の歌?」
「大空を仰いで、遥か遠くを見渡すと見える月は、ふるさとの春日の三笠山の上に出る月と同じだなあ。って意味。昔の偉い人が中国から帰れなくなって、故郷に帰りたいって思って詠んだ歌なんだ」
競技かるた部員は音のみを重視して、意味に思いを馳せることはないという人もいる。しかし、帰りたい場所が、時間がある今、遠い昔の人の心が痛いほどによく分かる。
「去年も同じ月を見てたんだよな、俺達」
「帰りたいね、あの日に」
もうすぐ就活が始まる。そして大学生活が終わる。俺達はもう二度と、あの頃に戻れないのだろうか。このままでいいのだろうか。
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