23 本紫 ほんむらさき

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23 本紫 ほんむらさき

「更紗ー!!」  一緒に卒業式に出た後、講堂を出ていったん各科ごとの集まりにそれぞれ参加して今後の動きを確認してから、また落ち合うことになっていた。  ファッション科の派手な集団から少しはみ出たところで、卒業証書の入ったファイルを頭上でブンブン振りながらリカが叫んでいる。だいぶ注目を集めていて、微妙に恥ずかしい。リカ、目立つからな。  今日はふたりで示し合わせて、振袖を着ることに決めていた。  大学の卒業式では、女子は一般的に袴が多い。ただ、美大の場合はまた少し違っていて、それこそコスプレみたいな不思議な格好の人もいるし、デニムパンツやツナギみたいなびっくりするくらい普段着の人もいる。ファッション科に至っては、自分でデザインしたウェディングドレスみたいなのを着る人もいたりして、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。一般大学よりはかなりバラエティに富んでいる感じで、割と何を着ていても誰も気にしない。  わたしとリカは、ワソ研メンバーとしてやっぱり振袖で締めくくりたいね、と合意してそう決めた。わたしはそれに、リカからもらった帯揚げを使いたいという希望があったし、やっぱり心のどこかにみんなと同じにしたくないというなけなしの美大生プライドがあって、振袖を選んだ気持ちは一度も揺るがなかった。  わたしもリカも、成人式に出ていない。わたしは予備校の受験期でバイトのシフトが詰まっていて欠席した。リカも、先輩の卒制のショーを手伝っていて忙しかったから出なかったと言っていた。だから、ふたりとも振袖は初体験。  たまたまわたしもリカも母から譲り受けた振袖があったので、それを持ち込んで、早朝からワソ研のメンバーで着付けし合った。卒業生5人と、手伝いの3年生が2人。狭い畳スペースに総勢7人がひしめきあって、ワソ研卒業生たちを着飾らせ合った。  わたしの着物は、本紫(ほんむらさき)を基調とした京鹿の子の総絞りで、様々な花や鳥などが描かれている。それほど派手すぎないもので、母の母の母くらいの時代から受け継がれていたものらしい。どうしてもリカが作ってくれた帯揚げを使いたかったので、金ベースに朱色系の花模様が施された帯を選んだ。  リカの着物はまた全然違うタイプで、赤系と黒系を基調としてカラフルな花が散りばめられている割と派手系。  ふたりで並んでも全く違う系統で、それはそれで面白かった。  卒業式が終わるのを講堂の外で待っていた後輩たちが集まってくれていた。 「サラちゃんとリカちゃん、写真撮っていい?」  後輩のひとりがカメラを持っている。なかなか見たことがないくらい立派なカメラで、そういえば彼女は映像科だったな、と思い出した。本当に色んな分野の卵たちがいて、面白い学校だったと今さらながら思う。 「卒業おめでとうー!」  美大はあまり上下関係が厳しくない。浪人して入ってくる人が多くて、年齢があまり重要でないから。3学年下に年上がいたりするし、年齢も学年もみんなあまり気にしない。だからあまり敬語を使ったりもしないし、名前も普通に友達みたいに呼ぶ。  居心地良かったな。ワソ研、楽しかった。  日本画は自分の得意分野として、仕事に繋がる、言ってみれば食べていくための(すべ)として身につけて磨き上げてきたもの。好きだし得意だけど、では年がら年中日本画ばかり描いていたいかというと、そういうわけでもない。作家タイプではないということ。  それなら、何がしたいのだろう。わたしの一番したいことって、なんだろう。  予備校で教えるのは、それも向いていると思うので苦痛ではない。仕事としてもちゃんとできていると思う。でも最近、何か他に、心が踊るような、居てもたってもいられなくなるような、気持ちが高揚するような何かに触れた気がする。  何だったっけ。どこで、いつ。何を見たのだっけ。 「サラちゃん、その帯揚げってもしかして、リカちゃんのインスタレーションの時の柄?」 「あ、うん。そうなの。テキスタイルの子がわざわざ絹地に染めてくれて、リカが仕立ててくれたの」 「すごぉい、超キレイ!」  あ。  思い出した。  テキスタイル棟の、(あか)い中庭。  染料の匂いが立ち込めた、まるで異国のような雰囲気の。  コンクリート打ちっ放しの無機質な空間にはたはたとはためく命を宿したみたいな布たち。  色が好き。絵柄が好き。手触りが好き。模様が好き。役割が好き。用途が好き。存在が、存在そのものが、すごく好き。  そうだった。  したいこと、あった。  しっかりと思い出した。  やっぱり染織がやりたい。  本当にやりたいこと。自分から選んでやってみたいこと。  着物のデザインをやってみたら、と伊織さんに言われたことがあった。それもいいかもと思った。でも、やっぱり染織がやりたい。  受験の時、浪人して専攻変えてやり直したかった。日本画ではなく、染織に行きたかった。でも、父に許してもらえなくて諦めた。  これから、目指せるかな。今からでも学べるかな。  伊織さん。  伊織さんに会いたい。  話したい。  伊織さんの話も聞きたい。 「サラ?」  今日、伊織さん、何していると言っていたっけ。  8日間の猶予をもらってから、毎日LINEでやり取りをしている。言われた通り、卒業式の日に実施される卒業試験に向けて、対等に向き合うための練習の8日間。  敬語をできるだけ使わない練習。  思ったことは遠慮しないでちゃんと伝える練習。  要望も拒否もはっきりと伝える練習。  対等に、同じ目線でいられるように。同じものを見て一緒に過ごせるように。 「サラ」  ずっと連絡取っていたのに、今日の予定、聞いていなかった。  どうしよう。学校にいるかな。家かな。 「サラちゃん!」 「え?」  リカに呼ばれて、まだみんなで写真を撮っていた最中だったと思い出した。  しまった。ぼーっとしていた。 「サラ、大丈夫?」 「……行かなくちゃ」 「え、何?」 「行かないと。わたし……行かなきゃ」  どこに行けばいいの。どこを探したら。  でも、きっといる。近くに、いる気がする。 「サラ。走っちゃダメだよ。あんたすぐコケるから」 「うん。大丈夫。走んない」  リカがわたしをそっと抱き寄せた。 「着物だとフィットしないねー」  笑いながら、それでもしっかり抱きしめてくれる。 「楽しかったね。サラと過ごせて、4年間楽しかった」 「うん。わたしも。リカといられて良かった」 「これからもよろしくね」 「もちろん。わたしも、よろしくね」  体を放して、少し屈んで、わたしの頬を両手でそっと包む。 「ほら、行くとこあるんでしょ。気をつけて行きなよ」 「うん」  歩き始めた背後から、リカがわたしを呼び止めた。 「謝恩会、着替えて行くよね?」 「うん、着替える」 「じゃあ後で部室で会えるかな」 「そう、だね。たぶん」  謝恩会は、特別な事情がない限り全員強制参加。科ごとの開催なので、わたしとリカは別会場。ファッション科は表参道だと言っていた。いかにも、な感じだねと笑い合った。日本画は恵比寿。それもいかにもだよね、と大爆笑した。笑いのツボがちゃんと同じで嬉しかった。 「じゃあ、また後でね」 「うん!」  リカと同じ大学で良かった。  本当に良かった。  伊織さん、どこにいるだろう。とりあえず、一番可能性の高いテキ棟からか。  大きな大学に比べたら、ウチの大学はそんなに広くないからキャンパス内の移動もそれほど苦ではない。でも今日は、振袖を着ていて、当然足元は草履。歩くのもなかなか大変。それで人探しとか、結構なチャレンジだと思う。  それでも、どうしても会いたい。会って話したい。    テキ棟の研究室に行ってみると、卒業生たちが数名来ていて、その相手をしている教員たちの中に伊織さんはいなかった。 「すみません、義武先生は今日はいらしてますか?」 「来てるよ。あれ……さっきまでいたんだけど」  良かった。やっぱり来ていた。 「ありがとうございます。探してみます」  そのまま、近くの教室を覗きながら歩き回る。  会ったら、何を言おう。何から話そう。  話したいことがあるから会いに来たのに、いざとなったら何を話せばいいかわからない。でもきっと、顔を見たら、言いたいことが勝手に溢れてきそう。  教室はだいたい見た。どこにもいない。  それなら、工房。そう思って移動したけど、工房はどこも閉まっている。  研究室にも教室にもいなくて、工房は閉まっていて、じゃあもう帰っちゃったのかな、と思いつつ、ふと、廊下から中庭が見えた。  そうだ。中庭。  急いで階段を降りて、見覚えのある通路を通って中庭に出てみる。  いた。  良かった。  伊織さんは、中庭を見渡せるベンチにひとりで座っていた。卒業式の日だというのに相変わらず作務衣姿で、肩くらいまでの髪を後ろで緩く1つに(くく)っている。  全く普段通りの伊織さんだ。 「伊織さん」  呼びかけに気づいて、ゆっくりとこちらを振り返った。 「サラちゃん」  伊織さん、まだいてくれた。早く話したい。早く、近くに行きたい。でもなかなか足が上手く進まなくて焦れったい。なんで草履なんて履いてきたんだろう。着替えてから来れば良かった。でもそんなことしていたらもっと時間がかかって会えなかったかもしれないし。  早く、早く進んで。早く伊織さんのところまで。早く。 「おおおー。振袖、可愛いねぇ」 「あの、伊織さん、ちょっと聞いて欲しいことがあって」  足が(もつ)れそう。もう少し。走らないように、あともう少し。 「あの、わたし、考えたんですけど」  ああ、だめだ、全然、この8日間の練習が生きていない。結局敬語で話している。でも、言いたいことを伝えることの方が優先。今は。 「わたしやっぱり、染織の勉強がしたいです」 「染織? あれぇ、そうなんだ」  唐突すぎたかな。でもわたしの中では、今に始まったことではない。 「受験したとき、ずっと日本画の勉強してたけど本当は途中から染織デザイン系に行きたいって思ってて、でもそう思ったのがもう受験直前だったから間に合わなくて、出来ることなら浪人して別の美大の染織を受けようかと思ってたんですけど」  話の整理ができてないうちにどんどん言葉が出てきてしまって、文章めちゃくちゃかも。でも、途中で止めたらもう続かなくなってしまうかもしれない。  全部言いたい。言わなきゃ。 「でも父に猛反対されて」  伊織さんは口出ししないで、黙って聞いてくれている。 「父はああいう人だから、女が浪人なんてして何になるんだ、美大なんていう意味のないところに行かせてもらえるだけでも感謝しろ、って全然聞き入れてくれなくて、それで結局、最初の予定通りに日本画に来たんだけど、たぶんずっと、わたしの中では染織やりたいっていう気持ちがなくなってなくて、それを、これからやっぱりやってみたいと思ってて」  気持ちが焦って、息継ぎのタイミングを逃すほど焦って、でも状況は伝えられたと思う。  伊織さんが首にかけていたストールを外して、ベンチの空いてる場所に敷いた。それから手を伸ばして、立ったまま話していたわたしの腕を取った。何かと思ったら、ゆっくりと引っ張って、わたしをベンチに敷いたストールの上に座らせてくれた。 「え、あの、これ」 「綿だから洗えるし大丈夫だよ」  相変わらず、やることが王子。そして、そんなことで嬉しくなってしまうわたしも結局チョロいということ、だよな。  すぐ隣にいる伊織さんをちゃんと見てしまったら、いろんな情報が入り込んできて話せなくなってしまうかもしれない。だから、できるだけ伊織さんを直視しないようにして話を続けた。 「リカの卒制でシルクのデザイン頼まれた時、本当は嫌だったんです。すごくやりたかったのに泣く泣く諦めた染織デザインの作業に今さら手を出したら、4年間我慢して頑張ってきた何かが崩れちゃうんじゃないかって思って。だから、本当はやりたくなかった」  そう。2年生の時のテキスタイルの出張授業でも。  あの時、わたしがシルクを選ばなかったのは、今思い返せばやっぱりそういう思いがあったからなのだろう。当時はわかっていなかったけど、たぶん、日本画を選んだ自分を正当化しないと不安で仕方なかったのだと思う。自分の力ではどうすることもできなかった不可抗力的な挫折を、なかったことにしようとしていた。最初から何の迷いもなく日本画専攻で、不平不満もなくこれからもそれ一本でやっていくんだ、と思い込みたかった。それがどんなに残酷なことかを知らないで。 「でもやっぱりどうしてもやってみたくて、それで、やってみたら、やっぱり楽しくて」  楽しかった。本当に。やっぱり染織デザインをちゃんと勉強してみたいと思った。あの時できなかった選択を、今からなら自分で決めてできるのではないか、と。 「できると思うんです。やってみたい。染めるのも、織るのも、あと、パターンのデザインとか、あと、あとは型紙彫りとかも、色々。日本画は、染織と通じる要素がいっぱいあるし、和紙を染める授業もやったし、布……あの、風呂敷の授業も、あと、リカのインスタの背景の、それから、えっと、それから」 「サラちゃん。落ち着いて」  落ち着いている。ちゃんと、わかっている。 「勉強、しようと思って。あの、専門でも、大学院でも、何ならもう一度どこか染織デザイン科とかに入り直したりしても」  焦る。気が急く。  結論を、早く。いや、結論なんて自分でもまだ見えていない。それでも伝えたい。結論に近づきたい。言わなきゃ。  全部言わなきゃ。 「サラちゃん」 「お金、働いて貯めて、勉強する方法はこれから調べて、それで」  自分の力で、自分のために勉強したい。時間がかかっても、自分で。 「サラちゃん。ストップ」  少し大きめの声で制されて、びっくりしたけど、少しホッとした。なんとなく怖かったから。このままずっと話し続けるのはなんだか怖くて、涙が出そうだったから。 「あ、あの……はい……」  そおっと伸びてきた手が、膝の上で固く握りしめられていたわたしの拳に触れた。  優しい手。優しい声。それに、優しい眼差し。 「あなたの目の前にいる人は誰ですか」 「伊織さん」 「伊織さんは、何してる人でしょうか」 「……助教、です」 「何科の助教かな?」 「…………テキスタイル、あ……」  伊織さんがふわりと優しく笑った。  なんだか、やっぱり泣いてしまいそう。でも今泣いたら超絶めんどくさいことになる。これから謝恩会なのに。 「はい。何でも相談に乗るから」 「うん」  柔らかい笑顔と裏腹に、わたしの拳を握る伊織さんの指にギュッと力が入る。 「テキ専攻だけど、織る方も染める方も、両方わかるから」 「うん」 「同業の知り合いもたくさんいるから」 「うん」  いつの間にか(ほど)けた手を包むように握ってくれて、その心地良さに一気に力が抜ける。わたしいつも、伊織さんにこうしてあちこち緩めてもらっているな。 「一緒に探してこう。一番いい方法」 「……はい」  伊織さんが、よし、と言って立ち上がった。 「どうしよっか。試験、いつする? 今やっちゃう?」  冗談か本気かわからないような子どもっぽい言い方。まともに返したらまた笑われるかもしれないけど。 「……今からわたし、着替えて、謝恩会行かないといけなくて」 「そうだね。場所どこだっけ」 「恵比寿」 「恵比寿かぁ、遠いなー……じゃあ、また今度にしようか」  今度。それはいつのことだろう。明日? 明後日? 来週? 来月? そんなに待っていたら、何かが変わってしまわないかな。 「あの……今夜、謝恩会終わってから、伊織さんのところ行ってもいいですか?」  少し驚いたような顔で、一瞬の間。でもすぐにまたふわっとした空気に戻って、優しく笑った。 「うん。いいよ」 「じゃあ、ちょっと遅くなっちゃうかもしれないけど、夜行きます」 「わかった。待ってるね」  わたしにしては、ものすごく頑張ったと思う。 「もう一回、着物姿よく見せて」 「はい」  立ち上がって、袖が綺麗に垂れるように整える。  見て欲しい。晴れ姿を、伊織さんに。 「うん。可愛いね」  ここがキャンパス内だとか、周囲に人がいるとか、そういうの、もうどうでもいい。伊織さんがわたしを見ていてくれたら、それでいい。 「似合ってる。世界一、可愛い」 「嬉しい、です。ありがとう」 「卒業おめでとう」  本当の卒業は、もうあと一歩。  急いで行くから待っていてください。
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