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22 蒲公英色 たんぽぽいろ
「なんて言ってたのか分かりました?」
帰りに通りがかったスーパーで一緒に買い出しをして、マンションの管理事務所で来客用駐車場の使用許可をもらって車を停めて、一緒にただいまと言って玄関を通って。買って来た食材を並べて、冷蔵庫の中もチェックして、サッと作れる物を相談して打ち合わせ。
なんていうか、伊織さんは行動の一つ一つが独立していなくて、大きな流れを大きな動きでフワーッと全体的になぞる感じ。それでも仕事は全部ちゃんとこなしてあって、どれも丁寧で細かい。まさに職人技という感じ。
だから料理中にこうして話しかけても作業は中断しなくて、でも会話もちゃんと成立していて、器用だな、と思う。脳梁、太そう。
「ん? 何が?」
「さっき母が。最後に、ツキ、なんとかって」
伊織さんの家に来たのはこれで3度目。今日は初めて、来るつもりで準備して来た。
納得して来たくせに前の2回よりも緊張しているのはどういうことだろう。今まではトラブルがあって混乱した状態で訳が分からないまま連れて来られた感じ。それが、今日は正常な精神状態で計画的に来てしまったから、頭の中が余裕ありすぎて、いろんなことが見えるし考えられるし、だから余計なことまで気になってしまうのかな。
「あー……うん、まぁ。いいよ、別にあれは」
珍しくはっきりしない言い方をしてごまかした。そんなことされたら余計知りたくなるのだけど。
「え。気になる。伊織さん、分かったの?」
「うーん、まぁね」
「知りたいです」
わたしが食い下がると、伊織さんが観念したみたいに小さく息を吐いた。
「……月嶋蓮、ってね。往年の大スターですよ…………某女性のみの歌劇団の、男役のね」
男役? 歌劇団?
すぐに対象は思い浮かんだけど、それと母とが結びつかない。
「えっ、うそ!? そ、あー……ごめんなさい、なんか、最悪……」
まさか、母はああいうのが好き、とか……? そんなそぶり見せたことなかったのに。家の中にもそんな気配は何もなかった。
「いや、いいよ。嬉しいよ」
「でもそれはアウトなやつじゃ……」
「そんなことないよ。サラママ、超良い人だし、私ファンになった」
王子キャラをずっと演じているけど、それは伊織さんなりの処世術だとリカが言っていた。伊織さんも、その方が受け入れられやすいから、と。だから、男役の女性スターにそっくりだなんて言われて嬉しくなんてないと思うのだけど。
「すみません、なんか、その他のことも色々……」
「いいじゃん。味方は多い方が絶対いいんだし。好きな子のママに好かれるなんてめっちゃラッキー」
なんて人タラシ的な思考。姫だと思って来たけど、やっぱり王子気質なのかも。
あれ。なにか。
伊織さんの思考回路にびっくりして、大事な言葉、取りこぼした。
今、好きな子、って言った?
そういえばこの前、好きだと言われたのだった。それだけではない。わたしからも言った。確かに言った。好きです、と。言ってしまった。
「よし。できたかなー。よそうよー」
数種類の野菜を切って盛り付けたサラダと、チキンコンソメスープ、それに、見るも鮮やかな蒲公英色の卵で包まれたオムライス。なんとなく和食しか作らないイメージがあったのだけど、そんなことは全然なくて、チキンライスを卵で包む作業も手慣れていて、また無駄にリスペクトポイントが上がる。いい匂い。
お互いの気持ちは伝えた。お互い、好きだと。両思い。それはもうわかっている。それなら、今のわたしたちの関係は何と呼べるのだろう。何も約束していないし、示し合わせもしていない。
「伊織さん、あの。ちょっと、訊きたいんですけど」
しまった。今言うべきことなのか考える前に口に出してしまった。どうしよう。取り消そうかな。何か、ごまかす方法。
「ん? 何?」
伊織さんが持っていた食器を置いてこちらを向いた。だめだ。もう遅い。
仕方ない。いつかはちゃんと確認しなければいけないことだった。それなら今しても同じ。
「あの、わたしたち、って……つ、付き合ってる、とか、そういうの、なんですか?」
「え? 付き合ってないよ」
瞬殺。
まさかの即答。しかも、否定。
「……そうなんです、か」
ああ。声、震えたな。
今までの流れと、伊織さんの態度と、記憶の中の会話と。そういうのを全部頭の中に並べても、こういう答えをズバッと突きつけられるとは予想がつかなかった。
頭の中真っ白で何も言葉が出て来ない。喋れないし、動けない。
伊織さんが、シンクに背を向けて寄りかかるようにして、腕を組んでこちらを見ている。
「んー、まぁ、敬語使って話してくる子とは付き合えないかな」
「あ……」
そういえばリカにも言われた。よそよそしい、と。態度も、先生に対する学生のままだと言われた。でもそんなの当たり前で。だってまだそういう関係だし。
「ごめんごめん、半分冗談。でも半分は本当。私はやっぱり、対等に向き合える人とじゃないと付き合えないかな」
「そう、ですよね……」
「それに、教員と学生じゃあ、ねぇ……」
腕を大げさに組み直して、困ったようにわざとらしくわたしを覗き込んだ。
「そんなこと気にするタイプでしたっけ」
つい、嫌味っぽく言ってしまった。ちょっと感じ悪かったかな。
「気にするのはサラちゃんでしょ。私は全然気にしてないけど」
あっけなく反撃されて、あっさりと撃沈。まぁ、こうなるよな。
「そんなことは……」
「ない?」
「……いや、なくはない、かな」
おっしゃる通りです。もう絶対勝てないとわかっていたけど。
「じゃあさ。卒業式の日に、試験しよう」
「試験?」
「そう。卒業試験。あと……4、5、6……8日かな、あと8日あるから、その間に色々考えてみて。で、卒業式の日、ちゃんと対等にできてるか試験しよう」
思わぬ提案に、どう反応したらいいか戸惑う。試験?
「それで合格したらめでたくお付き合い開始、っていうのはどう?」
たぶん、試験なんて口実。そんな合否なんて伊織さんは気にしていない。ただ、そういうけじめを分かりやすく段階として設定する方がわたしが躊躇しないで進めると読んでいるのだろうな。
リカにも言われて、わたしも自分でやっぱりまだ思うように近くに行けないことを自覚していて、できれば打開したいと思っている。それなら、せっかく伊織さんがくれた時間と課題をクリアしてみてもいいのかもしれない。
「はい。じゃあ、頑張ってみます」
「あはは。よぉし、頑張ってみよう」
手を伸ばした伊織さんがわたしを引き寄せて、そのまま抱き込む。
「ちょっとだけフライング。待ってるね」
一瞬だけ、ギュッと力を入れて、すぐに解放された。
「食べよ。お腹すいた」
「……はい」
クラクラする。
今までも何度も抱き寄せられたり抱きしめられたり、頭撫でられたり、色々あった。でも、何かが違う。すごく苦しい気がするのだけど、伊織さんの力加減が変わったのかな。
8日間。その間に、わたしには何ができるのだろう。
対等、と伊織さんは言った。付き合うには、対等にならなければいけない。では、対等になるためにはどうしたらいいか。
考えよう。ちゃんと、考えてみよう。
「いただきます」
「いただきます」
たぶん、卒業式の日を目標に設定したのなら、それまでは関係を深めるようなことは起こらない。こうして一緒にいても、過剰な接触はして来ないだろうし、寝るのもたぶんまた、別々。
でもその方がいい。わたしも色々と心の準備ができるし、やるべきことを整理できる。
8日後、どんなふうになれるのかな。怖いけど、楽しみ。
自分が変わって行けることが楽しみだなんて、そんなふうに思ったことはなかったし、そうなれるように頑張ったことも今までなかった。好きな人を目の前にして、こんなに簡単に変わってしまえる自分を、少しだけ可愛いと思った。
変われますように。
心の中で、小さく祈った。
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