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5 紺滅 こんけし
見るからに崩壊している家庭というわけではなかった。むしろ、外側からは、大企業の役職についている人格者の父と家族思いの良妻賢母な母が揃った裕福で幸せな家庭、というふうに見られているのだろう。
でも実際は、家の中は色々な歪みでギシギシと音を立てていて、家族の誰もがそのことに気づいていながら口をつぐんでいた。
家族の序列は、モラハラ気質の父を頂点に、それに逆らえず黙って言いなりになる母、母とほぼ同等のところに親の期待に応えることに必死で自分を殺して結果を出し続けている弟、そして一番下に、女だからというだけで期待も理解もされず黙って大人しく無難に生きていけという無言の重圧を押し付けられたわたし。それらは物心ついた頃には既に確立していて、それからもずっと変わっていない。
過保護、というより過干渉。小学生の頃は、子どもが何言ってるんだ、という理由であらゆる自由を奪われた。中学生になっても、義務教育で親の保護下にあるくせに、と言われて規制は続いた。高校生になったら今度は、学生の分際で、と抑えつけられ、周囲の友達がドン引きするような過剰な管理が続いた。小遣いの額も門限の時間も、出かけていい用件やエリアの範囲さえ、今思えば信じられないような規制をされていた。大学に入ってからも、未成年のうちは、と好きにさせてもらえず、二十歳を超えてようやく成人した今現在も、大学生なんだから、といちいち探りを入れられる。卒業してもきっと何かしら理由を付けて縛り続けられるのだろうな、と思う。
実際、父は事あるごとに、わたしに怒鳴る。
「嫁入り前の娘が!」
嫁?
行きませんが。
いや、行けないわ。だって、男と結婚したい気持ちなんて1ミリもない。言わないけど。
当然、反抗したい気持ちはあった。でも、気に入らないと最終的に手まで出る父にはどうしても逆らえず、納得がいかないままただただ言いなりになっているしかなかった。
誰のおかげで云々、というのが父の常套句。母は、あなたのためを思って、が口癖。お決まりのパターン。お約束だ。
あまりに長い間そうやって何から何まで親が決めたルールに縛られて生きてきたので、自分で何かを決めるということが苦手になっていた。思い返せば、普通の短大に行け、と言う父に決死の覚悟で反抗して美大進学を決めたのが、人生最大級の抵抗だったかもしれない。
そして、何より納得いかないことは、そういう扱いを受けたのはわたしだけで、弟の明将はごく普通に自由に過ごせているということ。中学生の頃から友達と繁華街に遊びに行き、当たり前のように友達の家に泊まる。夜通し遊んでいたことだって何度もあった。わたしは友達と一緒に買い物に行くことすら許されなかったのに。盛り場に行くような女はろくな人間じゃない、なんて、いつの時代なの。
男だから大丈夫だとか、女だからダメだとか、心配する気持ちはわかる。世の中の犯罪における加害者と被害者の性差の割合を見ても納得できる部分もある。でも、その心配も度を超えれば、それはパワハラ、モラハラ、一種の暴力になる。
受験期、本当は、日本画科を志望しつつも、途中から染織に憧れている気持ちがあって、もし出来ることなら浪人して別の美大の染織デザイン科を受け直したいと思ったこともあった。でも、ちゃんと相談する以前の問題で、その希望を知った父に、「女が浪人なんてして何になるんだ」「美大なんていう意味のないところに行かせてもらえるだけでも感謝しろ」と言われて一瞬でやり取りは終わった。
それまでも、父には逆らえない、という意識はずっと持っていたけど、何を言っても無駄だ、という認識が定着したのはその頃からだ。
ハラスメントを行っている自覚のない父、共依存状態の母、父の背中を見て男である自分も同じように振舞って許されると思っている弟。でも、そんな家族をおかしいと思いつつ、憎みつつも何もできなくて黙って養われている自分もきっと同類なんだろうな、ということにはもう気づいている。
そんな家族と、今、わたしはちょっとした距離を取っている。
きっかけは、数ヶ月前の些細な出来事だった。
たまたま家族が揃っている時に、バラエティ番組でゲイカップルがパートナーシップ制度を導入している市に引っ越しをする、という特集をやっていたのを、それぞれが何となくながら見をしていた。
「なんだ、こんな病気のやつらを優遇なんてしやがって」
一瞬、耳を疑った。この部屋の中の誰かから発せられた言葉だと信じることが難しかった。自分が生活している場所で聞きたい言葉ではなかった。
どうしてこんなに腹が立つのだろう。
テレビ番組の内容に文句を吐くことなんて、誰でもやっているし、いちいち騒ぎ立てるようなものでもない。でも、どういうわけかその言葉はスルーするには意味が大きすぎて、わたしは思わず言葉の出所を振り向いてしまった。
「ホモなんて異常者がよく公衆の面前に顔を晒せるなぁ!」
よく知る顔の男の口から、ゾッとするような暴言が流れ出していた。そして、その男が自分の父親だと認めることが辛かった。辛すぎた。
この家族に生まれたことを、心の底から嫌悪した。
それまでも感じてはいたけど目を背けてきていた数々の嫌な記憶や思い出を、一気に引きずり出して、全てを明確に嫌悪のフォルダに詰め込む。
ここはもうダメだ、という結論に一瞬でたどり着いた。
本当にわたし、どうしてこんなにムカムカしているのだろう、と不思議で仕方ない。何を言っても無駄だということはわかっていたけれど、言わずにはいられなかった。
「ゲイは病気でも異常者でもないよ」
誰も反論してこないテレビに向かって気持ち良く暴言を吐いていたところに水を差されてイラついた様子の父が、ジロッとこちらを睨んだ。
「何が言いたい?」
「ただ事実を言っただけ」
絶対に分かり合えない会話のやり取りの始まりを察知した母と弟がにわかに緊張したのがわかった。
「会社でだって、そんなこと口にしてもし周囲に当事者いたら大問題になるよ」
父がテレビの電源を切って、持っていたリモコンをテーブルに叩きつけるように置いた。
「俺の会社をどこだと思ってんだ! そんな異常者は俺の会社にはいない!」
「ちょっとお父さん、大声出さないでください」
母の宥めるような声も父には届いていない。
「なんだ、お前、本当に何が言いたいんだ!? こんな異常者を擁護するなんて、まさかお前も同類なのか!!」
お父様。LGBTQIA+と会社の評価は全く無関係ですよ。
「だったらどうするの」
思わず口にしていた。事実がどうかは今は考慮外。とにかく父の態度や言い分に腹が立って、売り言葉に買い言葉的な勢いで答えていた。
勢いよく立ち上がった父の方角から何か黒い塊がすっ飛んで来たのは間も無くのことだった。反射的に顔を守った腕にそれが当たってから、飛んで来たものがテレビのリモコンだったのだと知った。
「俺の血筋にそんな異常者はいない! もし本当にお前がそうなら、それは俺の血ではないぞ!」
見なくても顔が真っ赤になるほど怒り狂っているのがわかる。
「芙美子!! な? そういうことだよな!?」
そう問いかけられた母は、無言だ。
どういう意味だろう、という疑念は無意味。もし子どもが『異常者』なら、その子種は自分のものではなく母が別の男と作ったのだ、とでも言いたいのだろう。
なんという言い草。子どもだけでなく、自分のパートナーまでをも貶める暴言。
呆れ果てて、言い返す言葉も一つとして見つからない。わたしは色々と諦めてその場を去ろうとした。
「おい、こら! ちょっと待て!」
もう話すことは何もない。
「すみませんでした」
何に対してかは分からないけど、つい、謝ってしまった。そして、怒りが収まらない様子の父を無視してリビングを後にした。
紺滅のように一寸の光もない夜の帳みたいな闇が自分の周りを囲っているような気がした。それくらい、何も見えない。見出せない。
抱えきれないほどの空虚感を持て余したわたしは、これはもう本当に無理だな、と密かに絶望した。
次の日、父が会社に行った後、朝食の片付けをしている母に話しかけてみた。
「昨日のあれ、完全にパワハラ、モラハラじゃん。言い返せばいいのに」
母はあんな扱いを受けていても父のことが大事で、娘のわたしが味方になるからと本音を聞き出そうとしても、そう簡単には乗ってこない。娘にパートナーのことを愚痴るのが教育上よろしくないと思っているのか、本気で父を優先しているのか、その辺りの真相は分からない。
「いいのよ。お父さんだって本気でそう思ってるわけじゃないと思うから。お母さん、お父さん以外の男の人知らないからね、そんな間違い起こるはずないってお互いわかってるから大丈夫なのよ」
昨日のとは違う衝撃。知りたくもなかった事実。本当に呆れて何も言えない。
わたしはその時、家を出ようと決めた。すぐには無理でも、とにかくお金を貯めてこの家を出る。それから、親に逆らってからの学費を返したい。美大の学費なんてとんでもない額で、学生の自分が簡単に返せるものではないとわかっている。それでも、あなた方のいいなりになっていた良い娘キャンペーンは終了しました、ということを伝えるために、大学の学費は時間がかかっても全部返してすっぱりと独り立ちしたいと思った。
幸い、わたしは大学受験の実技の成績がかなり高得点で合格していたので、自分が通っていた美術予備校の講師のバイトにすんなり採用されて、今でも続けている。予備校講師は給料も割と良いのでそのまま就職する人も多い。作家活動をしながら予備校で教えるパターンはファイン系あるあるで、このままいけばわたしもその道を辿るのだろうな、と思う。
それでいい。自立して、暴言を吐く人と顔を合わせずに生きて行けるのなら、夢とか希望とかなんていらない。お金を稼いで、無難に、ひっそりと生きて行ければいい。多くを望まなければ、それも可能だろう。
奇しくも大きな目標ができてしまったわたしは、本当に向き合わなければいけないことから目を逸らす言い訳ができたことに密かに安堵した。
大丈夫。このままやっていける。
ベストの道ではないかもしれないけど、そんなのわたしが周囲に言わなければ誰にも気づかれない。大丈夫。これでいい。
わたしの人生、まあ、そんなものだ。
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