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1 鈍色 にびいろ
人の一生って、幸と不幸の割合は誰もが同じようなバランスで元々決まっていて、どっちかに偏らないようにちゃんと交互にそのときが来てくれるのかな、と思ったりして、つい期待して。だから、どの人も人生終える時にはみんな同じくらいの幸と不幸を経験しているんじゃないか、って。
でも、どう見てもずっと幸せな人とか、常に不幸な人とか、実際にいる。自分がどっちなのかは考えない。虚しいから。で、分かってはいるのに、やっぱり期待してしまう。もしかしたら大逆転来るかな、とか。次こそは自分の番かな、とか。
今のところ、勝率ゼロなんだけど。
だからわたしは、諦めるのが上手くなった。
ちゃんとしなきゃ。ちゃんとしよう。
それを呪文のように口先だけで何度も唱えて、日々のノルマをひたすらこなす。いつの間にかそのことに、特に疑問を持つこともなくなっていた。
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こんな大学入るんじゃなかった、と思った時にはもう既に4年生になっていた。どうして美大になんて来てしまったんだろう。
ずっと、自分を出さないように、必死に取り繕って生きてきたのに。
美術の世界なんて、自分の中の世界だけに浸っていられると思ったのに。
こんなにも中身をほじくり返されて、内側を裏返しにされそうなほど晒されて、血肉だけでなく汁まで、いや、その汁がなくなって滓がボロボロ剥がれ落ちるまで、そこまで自分を曝け出さなくては生き残れないなんて知らなかった。全然向いていない。
ただ絵が好きだっただけ。まわりの人よりほんの少し絵が得意だっただけ。人より少しだけ感覚が敏感で、みんなより少しだけ多くのものが見えたり聞こえたりしている。それだけだったのに。
表現?
主張?
そんなの、したいと思ったこともない。見せたいものなんてない。とんでもなく場違いなところにきてしまった。なんでこんなことに。
そこまで考えて、自分の中の矛盾に気づく。
あれ、生き残りたいなんて思ったことあったっけ。
……ないな。そんなことどうでもいい。
生き残る? 意味わからない。生き延びたいとすら思っていないのに。本当にどうでもいい。
ただ、自分が何者なのかが知りたかっただけ。自分とだけ向き合って、自分の中にあるものを探って、どうして自分が存在するのかを知りたかった。誰にも気づかれないように、ただ自分だけで自分のことを分かればそれで良かった。
絵を描くことだけに集中できる場所だと思ったから美大に来た。それなのに、わたしの担当教授はいかにも正論を吐くような体で暴言を吐きかけてくる。
「おまえ、何のために絵を描いてんの?」
「何を観せたいんだよ、どこを観てもらいたいんだよ」
「小学生の図工の絵の方がマシだ」
「自分が表現したいこともわからないで絵なんか描くな」
おまえ呼ばわりするな。
ひとが持ってる世界観を見下すな。
ひとが描いた絵を笑うな。
それから、ひとが描いた絵をバンバン叩くな。
万人に分かってもらえる絵を描こうなんて思ったことはない。だからデザイン系ではなくファイン系を選んだ。
表現したいことがあるから描いている人もいるのだろうけど、そういう人が大部分なのだろうけど、わたしは違う。
自分のために絵を描いている。自分のためだけに。
観せたいところなんてない。ただ、描きたいだけだ。
メンタルが絵に影響するなんて、そんな甘ったれたことがあるもんか、と思っていたのに、いつの間にか自分もそうなっていた。描き進めても描き進めても、筆先から広がるのは重たく淀んだ鈍色ばかり。心の中に燻る迷いはそのまま染み出すように和紙を鈍く染めて、自分が思い描いたイメージとは程遠い世界が次々と構築されていく。
「3年もここにいてそんなこともわかんないなら、もいちど予備校からやり直せ」
腹立つ。
どうしてそこまで言われないといけないの。
気づくのが遅かっただけ? それとも、本当に向いていない?
でももし本当に今退学したとしても、それからどうしていけばいいかわからない。やり直すとか、別のこと始めるとか、何もビジョンが浮かばない。浪人するのも許してもらえなかった家庭だから、退学なんて言語道断だろう。
結局わたしには、このまま教授に暴言吐かれながら卒業まであと1年耐えるという道しかないということか。
まぁ、仕方ない。自分で選んだ学校だし。諦めるのも我慢するのも慣れている。大丈夫。
せめてあと1年、余計な波風が立たないことを祈るしかない。無難に、何事もなく、ただ平穏に過ぎてくれればいい。
無事に卒業を迎えられますように。
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