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「全く……貴様のせいで無駄な時間を過ごした」
はあ、と溜息をついて愛洲が不満を露わにする。それにまた笑顔で噛みつこうとする朝比奈を宥め、龍神が愛洲に向き直った。
「こんにちは、愛洲先輩。体育祭関連の書類提出ですか?」
「いや、次の定例会議用の書類だ。生徒会担当なんでな」
なのにコイツが無駄口を叩いて中々受諾しなくてな、と愛洲が鋭い眼光で朝比奈を睨んだ。その言葉に龍神は机に目をやると、書類を一枚取った。
「これですね。少し待ってください」
「………フンっ、どこかの誰かとは大違いだな」
「うっぜぇぇえええ!たつみーこんな奴ほっといていいんだよ!!」
「……その『こんな奴』には朝比奈先輩も含まれているのでは?」
「アンちゃんマジで容赦ないね!?」
ゴミを見るような目で亘が朝比奈を見ると彼はまたぎゃーぎゃーと騒ぎ出したが、一同は静かに無視した。書類の確認をしていた龍神がこくん、と頷いて言った。
「問題ないですね、確認は終わりました……朝比奈先輩、」
「押さねーからね!!」
龍神が続きを言う前に朝比奈は先回りして押印を拒否した。どこまでも幼稚である。亘は溜息をついた。
「朝比奈先輩」
「やだ、押さない。せめてこいつが土下座するまで絶対押さない」
「先輩」
「うっ………お、押さねーから!」
「先輩……」
「…うぉおおおお!!!!ごめんってぇ!!」
龍神と朝比奈はしばらく押し問答をしていたが、書類片手にひたすら先輩呼びを連呼する龍神に罪悪感を刺激され朝比奈は呆気なく印を押した。龍神は項垂れる朝比奈を放置して書類を愛洲に手渡した。
「すみません、お待たせしました」
「本当に……この一枚にどれだけ時間を掛けさせる気だ」
眼鏡を片手でぐいっと上げ、愛洲は冷たい目で朝比奈を見やった。それを見て亘は、やや不完全燃焼のような気になった。いやあんたも煽りに乗ってなかったか?という疑念が生まれたからである。確かに朝比奈の行動は幼稚だが、乗せれた方も乗せられた方で悪いと思うのだが。
──相変わらず典型的貴族みたいな金持ちで好きになれない。
そもそも、朝比奈が嫌いだというのは個人の自由だから良いのだが、朝比奈が所属するこの風紀委員会自体をも毛嫌いしているというのが気に入らない。一体なぜそこまでされなければならないのか?私情を仕事に持ち込まないで頂きたい。
というわけで亘もこの生徒会長のことが好きではない。そしてそのことが態度に出ているのかは分からないが、十中八九相手からも嫌われている。朝比奈に向けられる激怒の視線とは違うが、嫌悪に近しい視線は毎回向けられているからだ。
それに比べて、
「……龍神、助かった。お前がいなければ俺はこいつと碌でもない低俗な会話を続けなければならなかった」
「いえ、大したことではありません」
龍神は唯一この男に気に入られている。愛洲は龍神には刺々しい視線を投げることはないし、嫌味もぶつけない。それがまた気に入らないのである。
一つ明言しておくと、それは断じてこの男に気に入られたいと思っているからではなく、ただ単に態度を変える愛洲がいけすかないという理由だ。
そして、何故態度を変える相手が龍神なのか疑問にも思う。ずっと無表情で取っ付きにくいこの人に、一体それほど振る舞いを軟化させるようなものがあるだろうか。確かに悪い人ではないことは確かだが、顔以外にそこまで大きな魅力があるのか?龍神と過ごす時間を気まずいと思う亘にとって、愛洲のこの行動は不可解だった。
涼しい顔で礼を受け流す龍神に、愛洲は真剣な顔で続けた。
「その代わりと言っては何だが、今からでも生徒会に入らないか?こんな奴が上にいると下についている君が困るだろう。生徒会なら能力を最大限に引き出せる」
「オマエほんと何言ってんの?ああん?うちの子奪おうってんのか??」
「それはお礼になってませんよね?」
瞬間、朝比奈と亘は同時に声を上げて猛批判した。それぞれ理由は違うが憤怒を表して口撃する。
この勧誘も、愛洲が龍神に会うと毎回してくる恒例のことである。その度に龍神が答えるよりも先に朝比奈や北岡が拒否して愛洲を追いやっている。今回は北岡がいないので亘も参戦した。
「ふん、こんな人数も少ない底辺のような組織にいても既存の能力が十分に伸ばせないだろう?一流の人材は一流の企業にいるのが当たり前だ。それなのにここはどうだ?一流どころか底辺の小企業、しかもブラック企業だ。ゴミのような環境じゃないか」
「くっ、ブラック……でもそんなこと言ったらオマエらの生徒会だって負けず劣らずのブラックじゃん!!規模は一流かもしんないけど、人材はゴミだし外面だけいいブラック企業と変わんねーし。こっちはありのままで少数精鋭、ブラックの中のホワイトなんだよ!!!」
「ちょっと何言ってるか分からないですね」
「アンちゃんマジどっちの味方なワケ!?」
冷静にツッコミを入れると朝比奈が目を白黒させながら叫んだ。いや、どっちの味方でもないですけど。
「…先輩方」
喧嘩が更に激化しそうになったところで、ようやく龍神が間に入って二度目の仲裁をした。そして、龍神の返事を待っている愛洲にゆっくり目を合わせる。
「愛洲先輩、先輩が俺の能力を買っていただいていることはとても嬉しいです。先輩が本心で俺を勧誘してくださっていることも分かっています」
「では、」
「ですが」
あえて愛洲の言葉を遮った彼の碧眼には、固い意志が煌めいていた。
「俺は、風紀の仕事に誇りを持っています。最初こそ、スカウト入会ではありましたが……俺は、ここで風紀委員として動くことにやりがいを感じていますし、朝比奈先輩に声を掛けて頂いたことを後悔していません。それに……俺にしかできないことがあるのに、それを放棄してまで生徒会に入らせていただくことはできません」
「……ここまではっきりフられるとはな」
「た、たつみー……!!」
堂々と言い切った龍神に呆れたような顔をして首を振った愛洲の後ろで朝比奈が目をうるうるさせて両手を組んだ。そしてガバッと効果音がつきそうなほどの勢いで抱きつく。
「もぉおおお!!何でそんないい子なんだよぉおおおお!!!」
「っと、朝比奈せんぱ……」
「愛してるぜチクショー!!!俺も、俺もたつみーのこと大好きだよぉおおお!!!」
「いやそこまで言ってねぇだろうが」
「あべしっ!!」
感極まって龍神をぎゅうぎゅうと抱きしめる朝比奈の後頭部に既視感あるハリセンが打ち込まれ、一同は振り返った。朝比奈が頭を押さえながら涙目で叫ぶ。
「イッセーなんでいんの!!」
「あ?早めに終わったんだよ」
そこにはまだ野球部のユニフォーム姿の北岡がハリセン片手に立っていて、ただでさえ吊り上がっている眦を更に引き上げていた。
「オメーマジで龍神に迷惑かけてんじゃねぇぞ。そんなんだから愛洲に引き抜かれそうになっちまうんだよ」
「俺悪くないし!!」
「いーや、悪い。88%くらいはオメーのせいだ」
真顔で言った北岡はふぅ、と息を吐いた。朝比奈が不満そうに尋ねる。
「じゃ残りの12%は?」
「それは愛洲だな」
「やっぱそうだよな?!」
「……北岡、貴様」
返答を聞いて眉を顰めた愛洲に、北岡はニヤっと笑ってソファに座った。
「これでおあいこだろ。お前にとっちゃゴミみたいな環境でも俺らはこれで満足してんだ、変に悪く言うのはやめろ。誰かがしなきゃならん仕事なんだから、これで正解なんだよ。お前らも俺らがいなきゃ困るだろ」
そこで亘は初めて北岡が腹を立てていることに気がついた。なんだかんだこの人も情に厚いので、自分の所属組織と役割に思いがあるのだろう。
「……まぁ、理解は、しているつもりだ。それでもお前達と俺達が相容れることは無いだろうが」
亘同様、愛洲もそのことに気がついたらしく少し気まずそうな顔をしてボソリと呟くように言った。そしてそのまま無言で書類を持って部屋を出て行った。朝比奈はベえ、と舌を出してそれを見送り、北岡は苦笑する。
「あいつツンデレだな」
「やだよ、あんな可愛げのないツンデレ」
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