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方波見家の朝
目が覚めた時、妙に体が痛いなと思って。
そういえば畳の上を甘受したというところまではすぐに思い出すことができた。
身を起こそうと上体をあげたところで、ガン、という鈍い音と同時に後頭部に衝撃が走った。
「いっ……た……。」
いや、正直派手な音がしたわりには大して痛くなかった。
が、まだ全く起きていない頭に直接響いた衝撃に驚いて完全に出鼻をくじかれた状態になる。
再び畳の上に崩れ落ち、打った後頭部に手を置きながら、もう一度状況の確認を行う。
昨夜は、一瞬だけ体勢がきつくて目が覚めて。
動くのは億劫だったのだが、さすがに座位で寝続けるのはやめようと横になった。
でもその時に、大して体を動かした覚えがない。
目を開けて視線を巡らせ周囲を見る。
視界を縦に仕切る短い柱がすぐ近くにある。
これは……座卓の下だ。
改めて状況を確認したところで、普段傷めないような体の箇所があちこち痛くなっていることに改めて気づく。
これについては動くのを億劫がって畳の、しかも座卓の下で寝ることを選ぶという、到底他人様の家でやる行動とは思えない選択をした自分への報いだろう。こんな姿を晒したことが家の人間にバレたら何を言われるか分かったものではない。このことに関しては完全に俺が悪いので申し開きのしようがない。
座卓の下から這い出すと、使う予定だったと思われる布団を畳む。掛けてもらっていた掛布団を引き寄せ、整えてから上に重ねた。その状態の寝具を眺めながら、さてどこに仕舞うんだろうと漠然と思考している自分がいる。寝起きのため状況を上手く体に適用できなくて、自動的に朝のルーティンを再現しようとしているらしい。普段と違う現状に頭がエラーを吐き出している感じだ。……打ったからかもしれない。
自動登録されているタスクを順番にキャンセルしてしまえば、頭が空っぽなことに気づく。まだ寝惚けているようだ。
とりあえず……今日はいきなり外部にいる状況なわけで……。
そうでなくとも畳の上で寝ている上に初っ端、机に頭をぶつけるというよくない始まり方をしている。
早く人前に出られる身なりになろう。
空が白み始めると同時に動き出すような生活が当たり前で、そのようなサイクルが染みついているため特に意識せずともこの時間に目が覚め、行動を始めようとしてしまうのだがどうやら世間一般的には早すぎるようだ。当分誰も起きてこない人の家で、ストレッチくらいしかやることがなく時間を持て余すことになった。
しばらくして本格的に目が覚めてくると、全然動いていないけどいいんだろうかという気持ちになって、庭先に出たりしていた。そのあたり一帯は、かなめさんが作ったと思しき様々な形の石灯籠が無造作に並べられている。
あまり石灯籠の形状自体に詳しくはないが、見る限りだと一般的な規格の物以外にも規格外と思われる小型サイズのもので家庭用としても用いることが出来そうなデザインのものもある。趣味で作ってみたのか攻めたデザインのものがあったりするし、かなめさんは本当に、石灯籠を作ることが好きだし誇りをもって取り組んでいるのだろうことが分かる。
どういうわけか、俺に対してはちょっとどうかと思うようなことを言ってくることがある人だけど、その代だけでは成し得ない、自分の作るものを伝統工芸品にするという志を持っていることは素直に尊敬する。俺に職人の才はないしセンスもないから碌なコメントはできないけど、かなめさんの手つきを見ていると、人の手でこんなことができるのかと思うことは山ほどある。
そうして見物していたら、寝癖も着乱れもひどい状態のかなめさんと、そんなかなめさんの服の裾を掴んで目を擦りながら後ろをついて来るマリサさんがようやく起きてくる。俺の身支度がすっかり整っていることに驚いたらしく、変なところで寝てたわりにはいつから起きてるんだと声をかけられた。
普段のルーティンが相当カットされてしまっているので、身支度にかけることができる時間が多い。何なら昨日よりちゃんとしているまであるので驚かれるのも当然かもしれない。正直なところ無駄に早く起きてやることがなかったというだけの話だ。
彼らは揃って洗面台に行って身支度を整え始めるらしい。
……いや。何も一緒にやらなくても。
基本的に一般家庭の洗面台は、何人かが一緒に立てるような広さがない。
絶対に狭い。効率も悪い。
だがふたりはそんなことを気にする様子もなく、狭い洗面台に肩を寄せ合うようにしていて。
会話の内容から、かなめさんが寝起きでもつれたマリサさんの長い髪を丁寧にブラッシングし始めたことが分かる。
…………何してんねん。
絶対自分でやったほうがええやろ。
その方が早いし。痛くもないし。
と思うけど、こんなん死んでも突っ込まんからな。こんなところに触れようもんなら、逆にこっちの喉に焼け火箸突っ込まれるようなもんやろ。大火傷どころか当分声も出んわ。……そこそこ上手いこと言うたな、とちゃうぞ。一人で何を考えてるんや俺は、大概にせぇよ……!
(……朝から荒れすぎだ。一度落ち着かないと。)
見んかったらええやろ。そう自分で自分を制する。それはそうだ。何故わざわざ火傷しそうなところに寄って行ってギリギリを攻めているんだろうか。そういう趣味はない。……ないはずだ。
「なんだ、彩人。羨ましいからってそんなじっと見るなって。マリサはやらないぞー。」
「……見てないです。」
へらへら笑いながら声を掛けてくるかなめさんに、俺は無意識で返事をしていた。俺の言葉にマリサさんが心配そうに首を傾げる。
「い、いや、明らかに見てると思うぞ……?」
「…………。」
よく考えると、彼らと付き合いを続けるのであればこの感じには慣れていく必要があるのでは。
いちいち反応していたら俺の身も心も持たない。
「かなめ、かなめ!大変だ、彩人がなんかおかしい。」
「わりとすぐおかしい状態になるぞ、そいつ。」
何ならむしろ積極的に見ていた方がいいのではないだろうか。
“耐性”というものはそうすることによってしか身につかないところがある。
「まぁでもなーこれ以上のコンテンツはちょっと有料だわ。大学生には刺激が強いだろうしな!」
「有料コンテンツでは何が見れるんだ?」
「いや。いやいや、マリサがそこを気にしなくていいんだって。」
「でも肝心の彩人も気にしてくれてないぞ。」
でも、どうしてだろうか。
あのふたりを見ていると、人前で何をやっているんだと少なからず苛立つ反面、心底幸せそうな様子がずっと続いていて欲しいと願ってしまうところがある。
「今は、この世との接続が切れてるのかもしれねぇ……。」
妙な話だ。
そんなこと俺には関係のないことだし、ましてや関われる余地などあるはずがないのに。
あのふたりの一体何が、俺にそう思わせているんだろう。
「アーヤートー!!」
不意にすぐ傍で大声を出すマリサさんの存在に気が付いた。
「はい。どうしたんですか。」
「いやいや、こっちのセリフなんだわ。」
呆れたように肩を竦めるかなめさんの横で、マリサさんは「よかった、戻ってきた」なんて言っている。別にさっきから動いていないはずだが。
まぁ……別にいいか。
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