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優悟と話をした後の週末。いつものように颯真の家で二人揃っての夕飯を終えた後で、話を切り出した。
「……颯真に、話しときたいことがあるんだけど」
「ん? どしたの?」
「うん……」
あのね、と呟いて膝の上に置いた手に力を込める。
「……二つあって」
「うん」
「…………章悟の、弟さんに会ったんだ、この間」
「え?」
「……事故のあった日に、一度だけ会ったことがあったんだけど……。……この間、たまたま会って」
「それで……」
「……一生許さないって、言われて」
「そんな……っ」
思わず声を上げた颯真に、首を横に振ってみせる。
「当たり前だよねって、思ってた」
「司!」
「分かってるよ。颯真が前に言ってくれたこと、ちゃんと覚えてる。……でも、オレもずっと思ってる。……オレは、オレを、一生、許せないと思う」
「つかさ……」
「……でも、……一生オレのこと恨んで生きる人生って……弟さんにとって、全然幸せじゃないだろうなって、思って」
「……」
「……章悟がすごく大事にしてた弟さんが、そんな風に今も苦しんでるの、放っとけなくて……。その後、色々話したんだ」
「…………うん」
納得したくないけどするしかない、みたいな苦々しい顔した颯真に、ごめんね、と重ねる。
「……オレ、バイト先に弟くんのこと誘った」
「えぇっ!?」
「……弟くんが仕事覚えたら、バイト辞めるつもり」
「ちょっ……え? どゆこと?」
混乱を絵に描いたみたいな顔をする颯真に、イチから説明する。
元々は章悟のコーヒー好きが高じて、カフェに出入りするようになったこと。
そんな章悟が先にバイトを決めて、オレを誘ってくれたこと。
章悟は、弟さんに自分が淹れたコーヒーを出してやるつもりだったこと。
「……弟くんにコーヒー淹れさせてあげて欲しいって、店長にお願いしたんだ。店長も、章悟との思い出たくさんあるから、バイトするようになったら教えてあげて欲しいって」
「……」
「章悟がどれだけ弟くんのこと大事にしてたのか、知って欲しくて。……そしたら、自分のこと大事に思えるようにならないかなって。……颯真が、オレにしてくれたみたいに」
「…………ズルイよなぁ。……そんな風に言われたら、文句言えないよ」
「……ごめん」
はー、と大きな溜息を吐いた颯真が、「よく一人で頑張ったね」と少し悔しそうな顔で笑う。
「うん。……オレもね。『許さない』って責めてもらえることに、もう甘えないでいようって。……オレがオレを許せないのはオレの問題だけど。……弟くんがオレに縛られて後ろばっか向いてるんだとしたら……それは放っておけないなって」
「……そっか」
「うん」
くしゃくしゃと頭を撫でに来た颯真の手のひらが、オレの手を握る。
「で? もう一個あるの?」
「うん。……オレ、そういう……自分の道が分かんなくなっちゃった子を、支えたいなって、思って」
「うん?」
「……就活。……ずっと悩んでたんだけど、フリースクールで考えてる」
「フリースクール……」
「うん。……で、やっぱりそういうところって、心理学系の資格があった方が有利って言うか……。もしも今年で決まらなかったら、どこかでバイトしながら、専門学校とかも考えてて」
「……うん?」
首を傾げながらもちゃんと聞いてくれる颯真に、ぺこりと頭を下げる。
「……就職したら一緒に暮らそうって言ってたのに、こんなこと言ってごめん」
「……なんだ、そういうことか。……うん。分かった」
やれやれ、と言った表情で頷いて、繋いでいた手を、もう片方の手でパフパフと叩いてくれる。
「……そういう、……未来がちゃんと描けてるの、凄いと思うよ」
「……颯真?」
「オレは、正直まだなんにも明確に決まってない。……色々説明会には出てるけど、どこもピンと来ないしね」
「……うん……ちょっと分かる」
「ん。……オレの中で明確なのはね。……定時で上がれて、休みもちゃんと取れて、転勤がないこと」
「…………凄く具体的だね」
「うん。……でも、条件が具体的なだけじゃ、業界も業種も絞れないから」
「……でも、なんでその条件?」
「……司と一緒にいる時間を大事にするのが、オレの最優先事項」
「……」
「重いよね、ごめん。……でも、なんかさ……。身に染みた。……あんなに仲良かった親が、単身赴任先で不倫して離婚だもん。……離れんの、すげぇ恐くなった」
「……そうだよね」
なさけねー、と声だけ笑っている颯真は、悔しさや悲しみや淋しさが入り交じった複雑な表情を浮かべている。
励ますように、握ったままだった手に力を込めたら、「ありがと」とちゃんと笑い返してくれた。
「……お金の心配しないで、とかは言わない。……そういうの、ちゃんとしよって、二人で決めたもんね。……そもそも、就職難って言われてる時代だしさ。オレだって、就職出来ないかもしれない。……そんなの、誰にも分かんないもんね」
「……うん」
「だから、とにかくお互い頑張るしかないかなって。……この先、就職が上手くいくかなんて分かんないけど。オレは、司と一緒なら絶対いつでも全力で頑張れる自信あるから」
「颯真……」
「……就職出来ても出来なくても、お金があってもなくても……一緒にいられるように……誰にも文句言われないように、がんばろ、二人で」
「うん」
*****
「陽香? 今日、母さん家にいる?」
『えぇ? うん、いるけど……』
「ちょっと今から帰るから」
『へ? ……うん、分かった』
「じゃあ、後で」
手短に電話を終えて、大学からの帰り道を実家への道に切り替える。
どうしても肩に力が入ってしまうのを、無理やりリラックスさせて深呼吸を一つ。
今日は、母親に話をするために帰るつもりだ。父親にはどさくさ紛れで宣言したことを、母親にも伝えるつもりなのだ。
司には伝えていないけれど、この間の就活の話をした後に、どうしても母親に伝えたくなった。
オレ達はちゃんと、未来を見ていること。
明日を一緒に、生きたいと思っていること。
母親の言う「マトモな結婚」には遠いかもしれないけれど、それでも自分達は決して間違ったことはしていないと思っている。
だからこそ、司を会わせる前に自分の気持ちを伝えておきたかった。
この間とはまたちがう緊張感の中で実家のドアを開ける。
「ただいま」
「おかえり~」
出迎えてくれた陽香は、前とは違ってのびのびしていた。
「母さんは?」
「リビングー」
空気を読んだのかどうなのか、そう言うなり自室に引っ込んだ陽香に少しだけホッとしながらリビングに入る。
再放送のドラマを見ながらお茶していたらしい母親に、ただいま、と告げた。
「どうしたの、珍しい」
「うん、ちょっと……話したいことがあって」
「えぇ? 何……」
呟いて向かいに座る。
母親は黙ってテレビを消して、こっちを見つめた。居住まいを正して、咳払いを一つ。
「……今度、母さんに、……会って欲しい人がいるんだ」
「……急にどうしたの?」
「…………母さんの、思ってるような人じゃないかもしれない」
「……」
こちらを見つめる怪訝な目に、怯みそうになった自分を叱咤する。
「……前に、言ってたでしょ。マトモな結婚をして欲しいって」
「……あぁ、……まぁ、言ったわね……?」
「……母さんの言うマトモが、どんなのかは分かんないけどさ……。ちゃんと、真面目に考えてるから」
「……」
「……就職したら一緒に暮らそうって言ってる。……一緒に暮らす前には、ちゃんと向こうのご両親にも挨拶したいと思ってるし、……母さんにも、会ってもらいたい」
うちの両親と言えなくなったことが少し痛くて、一瞬言葉に詰まってしまった。
気を取り直して背筋を伸ばす。
「……一緒に暮らすために、お金も貯めてる。……だから、」
「──そこまでちゃんと考えてるなら、別に頭ごなしに反対したりしないわよ」
「……母さん……」
苦笑いのような表情になった母親が、はい、と近くにあった個包装されたお煎餅を一袋手渡してくる。意味も分からずに受け取ったら、母親も自分の分を一袋とってペキペキと一口サイズに割っている。
「……あたし、パート増やすつもりなのね。出来れば正社員登用してもらえないかも相談してるの」
「え? そうなの?」
「そりゃそうよ。陽香は結婚するんだから養育費も何もないわけだし……。あたしはあたしの食い扶持を稼がないとね。……あぁ、あんたの学費に関してはちゃんとお父さんと話してあるから安心しなさい。……ただし、留年は許さないから、ちゃんと四年で卒業しなさいよ」
「そりゃ、勿論そのつもりだけど……」
「……お父さんは、これから子供が産まれるんだから、そっちにお金がかかるでしょ。この家は、陽香が出るタイミングで売ることにしてる。あたしがここに住んでお父さんがここのローン払い続けるっていうのは、ちょっと……子供に酷でしょう」
淋しそうな笑顔が痛くて、咄嗟に俯いた。手に持ったお煎餅を同じようにペキペキ割る。
「……あたしはこれから先、あんた達にしてやれることが少なくなるかもしれない」
「……何、急に……」
「お金の面では、あたしも、お父さんも、たぶんあんまり助けてはあげられなくなると思う」
「……うん」
あまりに開けっぴろげにぶっちゃけられて、頷くことしかできない。
こんな話しにきたんだっけな、と若干首を傾げつつ、煎餅の袋を開けた。小さな欠片を口に放り込む。
「……自分のことは自分でやんなさいって、言い続けてきたけど……。お陰で色々ちゃんと考えてるみたいで安心したわ」
「……まぁ……うん」
お金のことをちゃんと考えてたのは司だったんだけど、とは言い出せずにもにょもにょ口ごもる。
何かを察したのか察していないのか。ちょっとだけ唇を歪めて笑った母親が、ひょい、と残っていた煎餅を口に入れる。
「好きにしなさいとは、まぁさすがに言ってあげられないけど……。……この間は、陽香がお世話になりましたって、伝えておいて」
「……この間って?」
「ハンバーグとポテサラとスープだっけ? ポテサラだけ、あたしもちょっと食べたわ。結構、美味しかった」
「あぁ、あの……彼氏の誕生日?」
「全く。あたしに言えばいいのに、なんで颯真の彼女に……」
「…………あの。かの、」
「──今はここまでにしといてちょうだい。……あたしも、普段通りにするのが、意外と精一杯なの」
「……」
「さすがに、離婚は初めてでしょ。これ以上のことは、今は考えられない」
「…………うん、そっか」
「でも、ちゃんとしてそうで安心はしたから」
ごめんねとありがとうを重ねた後に疲れた顔で笑われて、首を横に振る。
「…………あんた達が、本当に二人で暮らし始める頃には、もう少し落ち着いてると思うから。……その時は、ちゃんと話聞くからね」
「うん」
「後。……更年期だなんだって、兄妹二人で話してたんだって?」
「へぇぇっ?! 何?! 何で今そんな話になんの?!」
さっきまでとは全く違うトーンでプンスカ怒られて、しおしおとしょげるしかない。そもそも更年期とか言い出したのは陽香なのに。
しょんぼり肩を落としてしょげ返っていたら、ふふふ、と不意に笑い声がしてハッと顔を上げる。
「冗談よ」
「っも~、何それ!」
「まぁまぁ。……今日は晩ご飯食べていったら? あたしも陽香に、そろそろ本気出して色々教えようと思って」
「…………うん、じゃあ食べてこっかな」
「あんたも手伝いなさい」
「えぇ~」
*****
お風呂上がりにホカホカしながら部屋に戻ったら、スマホに着信が残っていた。発信元は颯真だ。
スピーカーモードにして髪をタオルで乾かしながら発信する。颯真は割とすぐに電話に出てくれた。
「もしもし? どしたの?」
『ん。……今日、ちょっと実家行ってきた』
「実家に?」
『……会わせたい人がいるって、言ってきた』
いきなりの言葉に、返す言葉が見つけられない。
「ぇと……」
『でも、今は無理って言われた』
「……それは……」
『離婚したばっかだから、そんな余裕ないって』
「あ、そういう……」
拒絶されたのかと一瞬血の気が引いたけれど、そうではないと分かってほんの少しホッとする。
そんなこちらのささやかな安堵をよそに、颯真はあっさり話題を変えた。
『司に伝言があって』
「伝言……?」
『陽香がお世話になりました、ってさ』
「お世話なんてしてないけど……」
『料理、教えてくれてたでしょ。ポテサラ、美味しかったって』
「……あぁ、あの時の……」
世話したつもりもないけど、と思いつつ、ありがたく受け取っておく。
『ちゃんと考えてるみたいで安心したって言われたよ』
「へ?」
『二人で暮らすために貯金してるっていったら、安心したってさ』
「……そっか」
『ありがと。ちゃんとしたいって、司が言ってくれたからだよね』
「そんなこと……」
お礼ばかり言われるのがくすぐったくて、もにょもにょと口ごもる。
『オレもさ、色々頑張らないとね』
「色々って?」
『……明日も明後日も……10年後も、……100年後も。司に好きでいてもらえるように』
「……──100年後も生きてたら、たぶんギネス記録だよ?」
『いいじゃん、ギネス。二人で仲良く元気な世界記録保持者になって、世界中に祝福してもらおうよ』
「……何それ」
さすがにバカバカしくて笑ってしまったけれど、そんなのもまぁ、悪くないかな、なんて。
思って、ふふふ、と幸せな笑いが零れた。
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