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*****
ワンホールあったはずのケーキは、次々と陽香ちゃんのお腹の中に消えていった。
落ち込む陽香ちゃんに気分転換のつもりで出してやった一切れを皮切りに、なかばヤケクソとも空元気とも思えるような勢いでケーキを平らげていく姿を、オロオロしながら見守るしかなかったのだ。
無邪気に無防備に自分が使っていたフォークで「ちょっと食べてみて!!」と勧められて、断るのが可哀想なくらいの無邪気さになるべくフォークに口が触れないように四苦八苦しながら食べたケーキは、確かに軽い口当たりかつフワフワな食感で、甘すぎず酸味もまろやかでチーズケーキの概念を覆されるようなケーキではあったけれど。
さすがにワンホールの半分を瞬く間に平らげるなんて思いもしなかった訳で。
「陽香ちゃん……食べ過ぎじゃない? 大丈夫?」
「全然! むしろホールで3つくらい余裕かも!」
ニコニコ笑う顔にさっきまでの泣き顔の余韻すらない。まだ物欲しそうに残りのケーキを見つめている陽香ちゃんに、とりあえずもう一切れ出してやりながら、颯真に「ケーキなくなっちゃうかも」とメッセージを投げる。
別にそんなこと考えてもいなかったのに、これではなんだかケーキで釣ろうとしてたみたいだな、とげんなり苦笑いだ。
と、入れ違いで『今から帰るよ』と返事がきた。ひとまずは連絡がついたことに安心する。
「颯真、今から帰るってさ」
「ぇっ? ……あ、うん、良かった」
どうやらケーキに夢中で当初の目的をスッカリ忘れ去っていたらしい陽香ちゃんが、良かった良かったと取り繕ったように笑って。
残りのケーキを見つめてオロオロし始める。
「……お兄ちゃん……ケーキちょっとしか食べれなかったら怒る……かな」
「いやぁ……まぁ、そこまで大人気なくないとは思うけど……」
どうだろう、と呟いて笑うしかない。
「……あたし、帰ろっかなぁ……」
「えぇ? 颯真に会わなくていいの?」
「……分かんない……。なんか、……訳わかんなくなっちゃって、お兄ちゃんになんか言いたかったんだけど……でも、何言っていいか分かんないし……ケーキ一緒に食べるつもりだったのに、半分以上食べちゃったし……」
出してやったケーキを一口食べた陽香ちゃんが、もぐもぐと言葉を噛んでいる。
「それはまぁ……オレも食べたって言えばいいだけだし……」
しゅんと落ち込む陽香ちゃんをオロオロ慰めているうちに鍵の開く音がした。
陽香ちゃんと二人でハッと玄関の方を振り向く。
「……今、ガチャって……?」
「颯真、帰ってきたかな……」
二人で顔を見合わせているうちに扉が開いて、ただいま、と少し固い声が聞こえてきた。
「……おかえり、颯真」
ソワソワする陽香ちゃんの頭をパフッと撫でてから玄関まで迎えにでる。
「ただいま。ごめんね、なんか……陽香の世話させちゃって」
「別に世話なんて……」
いつもより硬い表情のままでオレの脇をすり抜けて、颯真が先にキッチンに入った。
「お前な、来るなら来るって連絡してから来いよ」
「……だぁってぇ……」
「だってじゃないっつの。……で? ケーキがどうしたって?」
「あっ、あっ……お兄ちゃんお兄ちゃん! これ! これあげるから!」
「はぁ~? それ食べかけじゃん」
中途半端に残ったホールケーキを見せたくないらしい陽香ちゃんが粘っているのに、ちょっと笑ってしまった。
「颯真の分、今出すよ」
「ありがと。……司は? 食べた?」
「食べた食べた」
こっちに顔を向けている颯真の背後で、陽香ちゃんが手を合わせて頭をペコペコ下げているのが可愛くて面白い。
だけど、陽香ちゃんの努力も虚しく、ケーキの空き箱を見るなり、颯真の目の色が変わった。
「えぇ? ちょっと待って? ……これ……」
「ん?」
「これ、……ホールでしか売ってないやつ……!」
「へ? 颯真知ってんの?」
「知ってるよ! 食べたかったんだよこれ! ちょっ、なんでこんだけしか残ってないの?!」
「ごめん……美味しくて食べちゃった……」
「違うよ、あたしがほとんど食べちゃったの。ごめんなさい……軽くてフワッフワで……美味しくて止まんなくなっちゃった……」
二人で一緒に食べたことにしてテヘと笑って見せようとしたのに、陽香ちゃんが素直にしょんぼり謝る。
だけど、それに怒った顔をした颯真の言い分は、予想と少し違っていた。
「お前な! 妊婦はあんまり太っちゃダメなんだろ? どれだけ軽かろうがケーキはケーキなんだから、いくらなんでも食いすぎだろが!」
「……そうなの?」
「……なんでそんなこと知ってんの?」
二人で首を傾げた先で、急に気まずそうに唇を歪ませた颯真が、目をきょときょとさせる。しばらくきょときょとしたままだった颯真が、オレと陽香ちゃんの視線に耐えかねたように渋々口を開いた。
「……お前がちょこちょこオレん家来て色々食べてくから……妊婦が食べちゃダメなものとか……一応調べてたんだよ。……そしたら、太りすぎもよくないって書いてあったから……」
「……ぇ、心配してくれてたの……?」
「うるせ」
スンッと拗ねた顔で颯真がそっぽ向く。
そんな颯真を前にして、陽香ちゃんと顔を見合わせて笑うしかない。
「……。……なぁんか……大丈夫な気がしてきた」
にっこり笑ってお腹を優しく撫でた陽香ちゃんが、そこへ向かって報告するみたいな優しい声を出す。
「……愛されてるんだねぇ、あたし」
「だから、うるせっつの」
「……お父さんとお母さんが離婚しちゃってさ……これからどうなるんだろって、ちょっと不安だったけど……。お兄ちゃんと司さんがいてくれたら、なんとかなるような気がしてきたよ」
へへへ、と笑った陽香ちゃんが、残っていたケーキをもう一口頬張る。
「……だから、食いすぎだっつの」
「へへ。ごめんて。……でも、お兄ちゃんも食べてみてよ。あたしの気持ち、絶対分かるよ」
はい、と。オレにしたときと同じようにフォークを颯真の方に突き出す。
オレと違って遠慮なくガブリとかじり付いた颯真が、うま、と呟いて
「……陽香絶対許さん」
「ぇぇぇぇぇ!?」
「こんな美味いの独り占めか!」
「やっだお兄ちゃん、子供みたい!!」
「うるせぇ! お前もうホント、次来ても何も出さないからな!」
「何よー意地悪!」
子供の喧嘩を始めた二人を笑って見守りながら、残っていた二切れをお皿に載せて、颯真に手渡してやった。
*****
「……なんか、今日は色々ごめんね」
「大丈夫だってば」
陽香を送り出した後、二人で準備した夕食を食べて後片付けを終えた後に呟いた今日何度目かの謝罪を、司が笑って受けとめてくれる。
連絡も取らずに心配かけた後に、どうしようもなくしょうもない兄妹喧嘩を見せてしまった。今思い出してもあの兄妹喧嘩は酷い。
「なっさけないなぁ、ホントに……。……なんかさぁ……大人になったつもりだったのにさ……」
「うん……?」
「全然そんなことないんだなぁって。……親が離婚したくらいでこんな動揺しちゃうんだなって……。離婚もショックだったんだけど……動揺したことの方が堪えたなぁ……」
「……そりゃ動揺くらいするでしょ。オレだって親が離婚するって言ってきたら動揺すると思うよ」
「そうなんだけど。……父親のこと、無視しちゃったし。……あんな態度、取るつもりなかったのに……、なんか、何言っていいか分かんなくなっちゃって……」
ごろん、と床の上で仰向けに寝転がる。頭は司の太股の上だ。司の手が静かにオレの頭を撫でてくれる。
「……何言おうとしてたんだろ……」
「……それはまぁ……聞かないと分かんないけど……。気になるなら、ちゃんと話してみれば?」
「……うん……でもなんか……冷静に話せる自信ないや……」
はぁ~、と自分でも大袈裟に思えるくらいの溜め息が出て、ちょっと笑ってしまった。
「ふっ……なんで笑ったの、今。溜め息吐いたばっかじゃん」
「うん……あんなデカい溜め息出るんだなって」
「何それ」
ふふふ、と笑った司の手を取った。
「で? 司も、なんかあったの?」
「へ? 何が?」
「手首と、手の甲」
「……だから、手の甲は覚えてなくて……」
「なんかあったんでしょ」
「……なんで?」
「『女の子扱いしないで』って、いつもなら言ってたなぁって。後から思って」
ちゅ、と手の甲の傷に唇を寄せる。
パッと手を振り払うように逃げた司が、気まずそうに視線を逸らした。
「……司?」
「……。……オレも、なんて言っていいか分かんないから」
「……うん?」
「……。しばらく、……待ってて。言えるようになったら、ちゃんと言う」
ごめんね、と謝る司の目は、頑なにも見えるし、今にも泣き出しそうにも見える。
「……分かった。ちゃんと待ってるから、そんな顔しなくていいよ」
体を起こして司の頭を撫でる。
うん、と頷く司の唇に唇を寄せて、そっと抱きしめた。
***
あえていつも通りの朝を二人で迎えて、おはよう、と笑い合った。
昨日あったことなんてしばらくは思い出したくなくて。そう伝えたわけでもないのに、司は何にも聞かずに寄り添ってくれる。
ありがたいなぁ、なんて思いながらパンを焼いて、せっかくだからと顆粒タイプのスープをちょっと贅沢に牛乳で溶いた朝ご飯を、ゆっくり食べた。今日の予定を話しながら一緒に後片付けをして、着替えて。
いい時間になるのを待っていた時のことだ。
ブンブンとスマホが振動した。メッセージの到着を知らせるランプと、画面に浮き上がった「父」の文字。
無意識にキュッと唇を噛んだら、どうしたの、と首を傾げた司にスマホの画面を覗き込まれた。
「……颯真……」
「……うん」
促されて重たい指先でタプタプと画面を操作する。
『今日の10:56の新幹線で帰ります』
余計な言葉は一切ないメッセージだった。だからどうなんだと言いたくなるような。まだ、反発したいような、素直に昨日はごめんと言いたいような。揺れる気持ちのまま、スマホの画面を睨み付ける。
「……颯真?」
何も言わないオレを心配したらしい司に声をかけられて、
「……。司、ごめん。ちょっとだけ付き合って」
「へ?」
きょとんとした顔のままの司の腕を引いて玄関へ走る。
「ちょっ? どこ行くの?」
「…………父さんトコ」
「……お父さん? 会おうって?」
「……帰るって」
「……」
「一緒に来て」
「……分かった」
行こう、と笑ってくれた司が、靴に履き替えて玄関のドアを開けてくれた。
新幹線乗り換えの改札前。色んな人が時間を潰しながら待つスペースにその姿を見つけて、一瞬足が止まった。
「……颯真?」
「…………。うん、ごめん。行こう」
荷物を足下に置いて俯いている父の元へズンズン歩いて行く。父の周りには、幸い人はほとんどいない。
足音に気付いたのか、それとも影に気付いたのか。ふ、と顔を上げた父とまともに目が合った。
「……颯真」
昨日無視した声が、またオレを呼ぶ。
「オレここで待ってるね」と囁いて、繋いだままだった手を慌てて離そうとした司の手を、敢えて強く握った。
「颯真?」
ちょっとマズくない? と慌てた様子のまま囁く声には何も返さずに、父の目の前に立った。
「……もう……たぶん、父さんと会うことないと思うから言っとく」
「ちょっと、颯真」
そんな言い方、と言いたげな声を出しながら、まだ手を離そうと藻掻いて少し後ろに立っている司を、隣に押し出す。
「藤澤司。オレの恋人」
「ちょっ、颯真!?」
「…………恋人って、お前……」
「父さんだったら分かるでしょ。……誰が何言ったって、大事にしたい人」
「っ……」
皮肉すぎる口調にぐっと詰まった父を、ほとんど睨み付ける勢いでじっと見つめる。
「文句なんて言わせないから、誰にも。父さんにも、母さんにも。……オレは、司が一番大事だから」
「……だからってお前……」
男じゃないか、と言いたげな目を、もう一度じっと見つめる。
「大事な人を大事だって言って、何が悪いの。……父さんとやってることは同じだよ」
「颯真!」
諫める声は、前からじゃなくて横から飛んできた。
そんな言い方、と非難する目に窘められてぎゅっと唇を噛む。
「……そんなこと言いに来たんじゃないんでしょ?」
「……」
「……もう会わないなんて言っちゃダメだよ」
「っ、でも……!」
「周りが認めてくれなくてもいいなんて、嘘でしょ。……オレと姉ちゃんが上手くいかなかったとき、心配してくれたのは颯真なんだから」
「……」
小さい子供に言い聞かせるみたいな優しい声に、ふっと小さな声を漏らしたのは父だった。
「…………いい子じゃないか。……まるで母さんの尻に敷かれるオレみたいだな」
「……なんだよソレ……」
「……すまん。……今のはオレの言葉がマズかった。……藤澤くん?」
「……はい」
「息子を頼みます。……オレは、自分のせいで家族を傷つけて壊して……こんなこと言う資格なんてない人間だけど。……息子も、娘も…………妻も。本当に大事なんだ」
何を調子のいいことを、と思ったのに、喉の奥がぎゅっと締まった。父の目も、少し潤んでいる。
ぎゅっと司の手が俺の手を握りしめてくれた。
「……オレも、颯真のことが大事だし、陽香ちゃんのことも自分の妹みたいに思ってます。……絶対、離れたりしません」
「司……」
ありがとう、と声もなく呟いて深々と頭を下げた父が、ゆっくりと顔を上げた。
「幸せになれ。二人で」
「言われなくても」
父が片手をあげた。たぶん、長年の癖が出た。
別れる時に互いの手を打ち付けて「じゃあな」がお決まりだった。
じっと見つめた先で、父が気まずげに苦笑いして手を下ろそうとする。
その手に、司と繋いだままだった手を少し強めにぶつけた。パチン、と音が鳴る。
「じゃあね」
「…………あぁ」
一瞬驚きに目を見開いた父が、ぎゅっと目を閉じてから笑った。涙は、見なかったことにしてやる。
荷物を持ち上げ父は、それ以上何も言わずに乗り換えの改札口へと歩いて行く。
その後ろ姿を最後までは見送らずに、背を向けて在来線のホームへと歩き出した。司も釣られたようについてきてくれる。
「…………いいの?」
「いいの」
「……そう」
「うん」
*****
家に帰った後も、颯真はほとんど何も喋らずに俯いたままだった。オレもどうしていいのか分からずに、そっとしておくしかなくて。ただ隣に座っていることしか出来ない無力さを噛み締めながら、時間が過ぎていくのをひたすら待つ。
そうやってどれくらいの時間が経ったのかも分からなくなってきた頃、
「……ごめん」
「っぇ?」
颯真が唐突に口を開いて、ビックリと肩が跳ねた。
「……そんなビックリしなくても」
「ごめんごめん……。で、なんだっけ……」
「うん、いや……。……なんか、ごめんねって思ってさ。……昨日は陽香とのしょうもない喧嘩見せちゃって、……今日は親と……喧嘩じゃないけど。……情けないとこばっか見せてるなって……ごめんね」
「別に……情けないとかじゃないと思うけど」
そうかな、と呟いた颯真が、肺を空っぽにする勢いで息を吐き出す。
「情けないついでにさ」
「うん?」
「抱きしめていい?」
「……今更聞く?」
ちょっとだけ笑ってしまった。いつも何にも聞かないでオレのこと抱きしめるくせに、なんて。
はい、と両腕を広げて見せたら、ばふんと颯真が飛び込んできて力の限り抱き締められた。
「そっ……ちょっ、と……つよくない?」
「……」
「颯真?」
「……」
「泣いてる?」
「……泣いてない」
少し湿っぽい声が、強がりを呟く。
「……もっとさぁ? ちゃんと紹介したかったよ。……スーツとか着ちゃってさ? 司と一緒になるからって。……もっとちゃんと、紹介したかった」
「……そっか」
「……司の家に挨拶に行くときは、絶対ちゃんとするから」
「……うん」
そんなことを後悔している訳でもないだろうに。オレを抱きしめるというより、しがみついている颯真がポツポツと呟く声にただ頷く。
もう二度と会えないなんてことは、恐らくないだろうと分かってはいるけれど、「屈託なく会えるか」という点では微妙に難しいことも、なんとなく分かる。
これから別の家庭を持つ父に、今まで通り息子の顔して会えるかなんて。そんなの無理だ。何も分かっていない子供ならともかく、この歳になれば気だって遣うし、頭もそれなりに回る。
「……颯真」
「……うん」
「……恋人って、言ってくれたの嬉しかったから。……情けなくなんかなかったよ」
「……ならよかった」
「……オレも、……誰が何言っても、颯真のこと大事にする」
「……司……」
颯真の言葉を拝借して笑って見せたら、泣き笑いの顔に変わった颯真が、またオレを抱く腕に力を込めた。
「司と一緒なら……もう、なんだっていいや。……オレの一番大事にしたい家族は、司だもんね」
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