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『土曜日、お父さんが帰ってくるから颯真も帰ってきてちょうだい。お昼過ぎに着くって言ってたから、13時頃に』
一方的な連絡を受けたのは、金曜日の昼間だった。いつものメンバーで学食に集って、コロッケを囓っていた時のことだ。理不尽さに眉を寄せていたら、「どうかしたのか」とみんなに声をかけられた。
「んー……ちょっと……」
もぐもぐと言葉と一緒にコロッケを飲み込んで、指先に抗う気持ちを五万と乗せてタプタプとメッセージを打ち込む。
『明日は約束あるから無理だよ』
タプ、と送信ボタンを押して溜息を一つ。さてコロッケをもう一口、と箸を持ったら、またすぐにブンブンとスマホが揺れた。
『ダメに決まってるでしょう。帰ってきなさい』
メッセージを開けたらそんな頭から抑え付けるような一言が表示されて、ぐぬ、とスマホを握る手に力がこもる。
第一、父親が帰ってくるから何だというのか。そもそも──
(……いつ以来だっけ……?)
以前は頻繁に帰ってきていた気がするのに、そういえばこのところ帰ってきていなかったようなと今更ながらに気がつく。
ついでに言えば
(……なんで急にオレにまで帰ってこいとか……)
父が単身赴任を始めたのは高校一年の時だったか。当初は毎週末に帰ってきては、「もう赴任先には帰りたくない」と駄々を捏ねていたような気がする。
大学進学を機に一人暮らしを始めてからも、父は月に一度は帰ってきていたような気がする。連絡は父から直接来ていて、実家に帰ることもあれば帰らないこともあった。
──それがいつからか、2、3ヶ月に一度になり、半年に一度になり、年に一度になったのだっただろうか。
父からの連絡がぱったり途絶えていたことに、今更気付いた。
父も一人で暮らすことにようやく慣れたのだろうと気にもとめていなかったはずのことが、今回の連絡で胸をざわつかせる。
「ぁ、でも……」
「んー? どないした?」
「いや、ごめん。独り言」
「さよか」
ちゅるちゅると麺をすすりながらもちゃんと気にかけてくれていたらしい稔に、首を振って見せる。
もしかするともしかして、母は父の帰宅にかこつけて、陽香を説得するつもりなのかもしれないと、そんな風にも考えられなくはない。
今朝突撃してきた陽香の文句から察するに、そのセンもなくはないだろう。もし本当にそうなら、せめて自分だけでも陽香の味方になってやらねばと、そっと決意する。
『了解。でも約束してるからすぐ帰るよ』
不穏な気持ちから目を逸らしていることには気付かないフリでそう返信したら、ようやく心置きなくコロッケに向き直った。
*****
「あれ? 司、その手どうしたの?」
きた、と思ったけれど、今気付いたような顔を取り繕って、「あれ?」と声を上げる。
「ホントだ……。どうしたんだろ。気付いてなかった……」
「えぇ~? もー、気をつけてよ?」
「うん、そうだね」
気をつけるね、と笑って胸をなで下ろした。
「……今日は晩ご飯どうしよっか」
とにかく早いところ話題を変えてしまおうと、この機に乗じてやや強引に話を逸らす。
「……んー、そうだよねぇ。何がいいかなぁ」
二人で冷蔵庫をのぞき込んでいたら、「あ、そうだ」と颯真が声を上げて顔をしかめた。
「ん? どうしたの?」
「あー……いや。明日さぁ。ちょっと実家に帰ってこいって言われてさ」
「ありゃ、そうなんだ」
「あ、でもすぐに帰るって言ってあるからさ。一人にしてごめんなんだけど、待っててもらってもいい?」
「オレは別にいいんだけど。……せっかく帰るんだったらご飯とか一緒に食べてきたら?」
「あー、いーのいーの。なぁんか……ちょっと面倒くさそうな気配がするんだよねぇ」
はー、と大袈裟な溜息を吐く颯真に、「どうしたの」と重ねれば
「父さんが帰ってくるから、オレにも帰ってこいとかさ。なんかちょっと面倒なことになりそうじゃない? なんか、陽香のこと二人で説得しようとしてるとかさ……」
「あー……。なるほど」
「もちろんさ? 陽香のことは応援してやりたいけど。両親揃うと面倒が倍になりそうでさー」
「そっか。……でもそうなると陽香ちゃんは颯真だけが頼りなんじゃないの? 一緒にいてあげた方がいいんじゃない?」
「……それも分かってるんだけどさぁ……。父さんはなんていうか、……母さん命! みたいなとこあるからなぁ……」
ぼやいて溜息を重ねた颯真の頭をぱふぱふと撫でる。
「ご両親、仲いいんだもんね」
「そうそう。……父さんがさ……帰ってくるのが久しぶりだからさぁ……。イチャつき度合いも上がりそうでフクザツ……」
「あはは。確かに目の前で親が仲良くしてるのって、目のやり場に困るだろうね。うちはあんまりそういうことなかったけど、想像するとちょっと気まずいもんね」
「でしょー? はー……やだなぁ……。せっかく司が来てくれてるんだから、司と一緒にいたいのにさー」
もうただの駄々にしか聞こえない文句を呟いた颯真の頭をもう一度撫でる。
「じゃあ、明日は何か、颯真が食べたいものでも作って待ってるよ。何がいい? ……って、今日のご飯も決まってないけど」
ホントだよ、と笑い合って、颯真の顔からほんの少し憂いが消えたのを見つけてホッとする。
「今日はでも、やきそばとかかな。どうしたの、この麺。珍しいね」
「あー、なんか稔がくれた。『めっちゃ美味いんやけど、渉には違いが分からんのや』って」
「へ?」
「渉は何食べてもリアクションが一緒らしくて」
「ふふ、そっか。……でもなんか、すごく渉らしい気がするけどね」
「んで、食べてこの感動を分かち合ってくれって頼まれた」
「責任重大だね」
笑いながら食材を準備して、二人並んで台所に立つ。
「明日のご飯も、ちゃんと考えといてね」
「ん、ありがとね」
そうして無防備に袖をまくって
「えぇ!? ちょっと、手首! どうしたの!?」
「ぁ……。……その……ちょっと……捻った? っていうか……なんていうか……」
「もー! 気をつけて!? っていうか、明日のご飯も無理しなくていいし、今日もオレがやるから座ってなよ!」
「いや、そんな痛くないし……」
「湿布まで貼ってるくせに何言ってんの!」
青あざを隠すために貼っただけだから、とは言うわけにいかない。
「……材料切るくらいなら大丈夫だから」
「……ホントに? 無理しないでよ?」
「うん、大丈夫」
元気に振る舞って見せながら、後ろめたさからは目を逸らすしかなかった。
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