小説は書かないのか?

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小説は書かないのか?

文学賞を取る人間の傾向として、立派な大学を卒業している。 それが何か? 確かにそう言う学歴がモノを言うが、中退した人間だって世界にはいる。 そう言う人間が書いた作品も読んでいる。 自分は、文を読まなければいけないと思い込んでいた。 自費ですると言う手段は、昔借金をしたから、避けているのだ。 公募するなら、文學界だろうなんて、僕は勝手に決め込み、思い込み、昔から文學界は、必ずフォローしていたから、当時、うーんもう5年ぐらい前アイドル応援垢の時から、ログアウトしたアカウントを調べると、フォローしていた。フォローバックされていたか、どうかは未定だが、僕が文章にセンスがある事は、自分の卒業した小松短大の教授が、母に涙を流させる程、彼はそう言う方面で才能を開花させる、才気があると言って、引き篭りがちの髪の毛もボサボサ、服もよれ切り、汗臭い、週一回しかシャワーを浴びない、周りから鼻をつままれていた、身だしなみがダメな僕がその面だけは、ヤケに、やる気だった。新聞のコラムに書かれてある記事を自分なりに調べ、意見を述べる、そう言うゼミを受講していたのだ。 阿部一重に金沢21世紀美術館で、講演の際、会った時は、正直怖かった。 自分の性癖は、幼児の裸体だった。彼の書いた芥川賞のグランドフィナーレもまた、小児性愛のコンプレックス、愛してはならないモノを愛してしまい、後年また、子供を演劇の練習で指導する役回りをする羽目になり、今度はその子達が家庭で不和な家族関係に苛まれる子達の身を案じる話だったと想う。 金原ひとみの不気味な人形の装丁のアッシュベイビーは、金原ひとみが文学賞を取り、脚光を浴びた際に、我が事ながら、家庭で兄弟との不仲の最中に、鬱憤したフラストレーションが、地元の北國書林で、ベンチがあったので、座って、全ページ夢中になって最後まで、三時間ぐらいその場に居座って読み切ってしまった。 内容はグロテスクだった。 だが、その異常さが僕の、何かを充したんだろう、僕は自身が、サイコだと何処かでわかっていたが、見ないようにした。 明け方に仕事が終わり、横断歩道で、女子児童が、二人ランドセルを背負い、歩いている様が、見惚れてしまい、僕はそれから、学校通学をする女子児童を仕事終わりに監視する様になった。 見守り隊が、不審に感じて、近づいて来た際、急いで逃げた。 どこかの小学校で、グラウンドで遊んでいる女子児童を喰いいるように見つめていたこともあり、校庭の遊び場でその僕の異様な目に、震え動揺している子達を見ている。 僕はアダルトサイトで、黒人が子供を陵辱するモノを買おうか真剣に悩み、男性が、裸になっている如何わしい雑誌を買おうか、真剣に悩んだ。 性に対するリビドー(衝動)は、僕の永年来の悩みだった。 その罪の意識。 好きだと言う告白迄の軌跡が、僕の自己肯定への道程だった。
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