前日譚:ある朝の光景

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前日譚:ある朝の光景

 それから狼はすぐに仲間に紹介された。  最初は人間の姿の狼に仲間たちは警戒していたが、狼自身が積極的に彼らと関わろうとしていた。  戦闘で負傷した兵の手当てをし、料理や掃除の手伝いもしてくれた。今までそれらすべては紫が手配していたので、紫にとってはだいぶ助かっていた。そんな彼女の頑張る姿を見て、周りも徐々に受け入れていったのだ。  けれど一番大きかったのは魔王の態度だった。 「……どうして俺の飯は生米なんだ?」  ある日の夕食の時間。  魔王は珍しく食事の時間に顔を出した。いつもなら食事はとらず仲間と次の戦闘についての話し合いをしたりするのだが、今日は何故か食事をとる気になったらしい。  しかし魔王の前に置かれているのは皿いっぱいに盛られている真っ白な生米のみ。顔を引きつらせながら生米を見つめる魔王を横目に、紫は隣の席に座り、その隣でさらに狼がふんっと鼻を鳴らしながら怒ったように勢いよく席に着いた。 「いっつもご飯食べない人にはこれで十分でーす。部屋にもっていっても食べないし、食べたと思ったら一口二口で終わり。戦ってるみんなのためにって頑張っておいしい料理作ってるのに!」  狼の拗ねた声を聞きながら紫は食事に手を付けた。  確かにここ最近、魔王は忙しくしていた。  争いが始まって以来好調だった魔物側だったが、今は人間側が優勢に立っている。それは人間側が使う特有の魔法道具とそれを巧みに扱う人間、たしかヘンゼルとグレーテルとか言ったか。その二人の勢いを抑えられず、魔物側が後退させられている状態が続いていた。彼らの対策を打つため、いつもあまり取らない食事も、魔王は全くとらなくなったのだ。  不機嫌そうに顔を逸らす狼に、さすがの魔王も申し訳なさそうに眉尻を下げた。 「いや、それは悪いと思ってるが。さすがにこれはないだろ」 「ふーんだ! 知らない! あー、ステーキおいしい!」  そう言いながら狼は焼き立てのステーキを口に含んだ。おいしそうに頬張る狼の横顔を魔王は恨めし気に見つめた後、生米をスプーンで掬いあげる。 「紫、いるか?」 「魔王様の食事に手を出すなど恐れ多い。遠慮いたします」  紫は食事から目を離さずに食べ続け、魔王からのありがたい申し出を断った。そっけない返事に魔王は顔を引きつらせながら、もう一度スプーンたっぷりに入った生米を嫌そうに見つめる。その横顔を紫はちらりと盗み見た。  さすがにやり過ぎと思わなくはないが、これぐらいの仕打ちはこの人にとっては良いことなのかもしれない。最近根を詰め過ぎだ。身体を壊されては魔物たちの統率も乱れてしまうし、戦いにだって悪影響が出るだろう。こんな態度をしているが、内心紫も心配していたのだ。  それに、これに懲りて食事を頻繁にとるようになるかもしれない。そんな少しの期待を乗せてフォークに刺さったステーキを口に含んだ。  隣で魔王が、ニヤニヤと盛られた生米の中心に穴を作っていることなど知らずに。
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