前日譚:出会い

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「元はどんな姿なのですか?」 「狼だよ」 「狼?」 「知ってる? 赤ずきんのおばあさんを喰った逃亡中の狼の話」 「……ええ、噂では」  買出しに出かけた時、街で噂された事件は聞いたことがある。  西の森に住むおばあさんが、飼っていた狼に喰い殺されたのだと。  ある日、孫である赤ずきんがワインとケーキをもっておばあさんの家に訪ねたところ、ベッドには血だまりがあり、そこにおばあさんの姿がなかったという。飼っていたという狼がそこにいなかったことから、狼に喰われたのだろうと世間では判断され、森の侵入の禁止のみならず、街の人たちは一時避難をさせられていた。しかし、今でもまだその狼は見つかっていないという。  彼女の話しぶりからしてつまり――…… 「そう。その狼が私」  まるで紫の心を読んだように紡いだ言葉。  けれどあまりに平然と告白してくるものだから、紫は少しだけ反応に困り、睨むように眉間に皺を寄せてしまった。紫の表情に何を感じ取ったのか、彼女は寂しそうに笑う。  そんな笑みを向けるから、紫は思わず問いかけてしまった。 「なぜ、おばあさんを喰らったのですか?」 「……」  雷が鳴る。  唐突に雨の存在を思い出した。  それは途切れなかった彼女との会話の中で、急に訪れた静寂のせいだ。  問われた彼女はゆっくりと窓の外の、大雨の風景を見つめた。まるで見るなというように何も映し出されていないその窓が、彼女の心のようだった。 「そう、望まれたから」  強い雨音の中、消え入りそうな声が、かすかだが聞こえた。けれど、その声色にどんな感情が乗っていたかまでは、紫には感じ取れなかった。  紫は壁のある物に手を伸ばしかけ、やめた。 「……左様ですか」  そうそっけなく言い、紫は空っぽになったティーカップに紅茶を注いだ。彼女は窓から視線を外し、紅茶と紫を交互に見つめる。反応を伺っているようだ。しかし、そうはわかっていても、紫は答えなかった。
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