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湯船には、体育座りで、からだを丸めながら背中を浴槽の底につけ、ギリギリ息ができるような仰向けの状態で浸かる。
この状態で、目を閉じる。
何も音がしない。静かだ。私がからだを動かした時のお湯が波立つ音だけ。
背中では、浴槽に引っ張られるような重力を感じる。
突然、浴槽の底が消え、お風呂の悪魔に、このまま沈められても良いと思えるような毎日。
そんな気持ちとは裏腹に、生かそうと、からだが沈まないように、浮力も同時に確実に感じるのだ。
お風呂は、生と死を感じられる空間。
「しんどい」
「もう何もしたくない」
「明日が怖い」
「孤独だ」
「生まれ変わりたい」
「死にたい」
そんなことを思いながら、こころは沈んでいく。
そんなときは、必ずと言っていいほど体勢を崩し、頭からお湯に沈み、慌ててからだを起こして、大きく息を吸う。
そして、思うのだ。
「生きたいのだ」と。
息ができなくて苦しくても、必死に起き上がれば、肺に空気が入り、また浮き浮き上がることができる。
たとえ、死んでも、生まれ変わることを望んでも、いまを生きている私の人生がやり直せるわけではなければ、誰かが代わりを担ってくれるわけでもない。
私の人生を私として生きていくのは、私にしかできないことだから。
また明日からも、ほんの少し頑張ってみようと思いながら、きょうもお風呂から出る。
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