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まるで植物の成長記録を早送りしているかのように、枝の先に無数のつぼみが現れる。数秒もしないうちにそれは膨らみ、やがて満開の花を咲かせた。
それもただの花ではない。青や黄などのグラデーションで彩られた薄氷のような……そう、これは魚の鱗だ。鱗の花が咲いている。月島は目を見開いた。何十年も側にいたが、花が咲くところなど見たことがない。
感傷をさらうような春風が吹いた。
花弁たちがひらりと枝から離れ、瞬きひとつの間に魚群へと姿を変えてゆく。
周囲は魚吹雪に包まれる。小魚たちは月島にぶつかることなく、奔流となって駆け抜けてゆく。むせ返るような春の芽吹き、強い生命力の勢いが胸を通り抜け、心の憂いを洗い流してくれるようだった。
「月島さん、こ、これは……!?」
「……ああ」
驚愕する三ツ木の側で、その情景を目に焼き付ける。切なさと優しさで胸が一杯になった。
これはきっと自分への餞だ。この魚桜は、別れに相応しい花を、情景を贈ってくれたのだ。
「三ツ木さん。この魚桜はな、きっと別れ際に人の想いを咲かせてくれるんだよ」
「人の想いを……」
「大切にしてやってくれ。こいつは、まだまだ始まったばかりだから」
滲んでいた涙は、いつのまにかどこかへ消え去ってしまった。
悲しくはない。どこか清々しい気分だった。ありがとうという純粋な感謝だけが残っている。自分はこの魚桜と生きて、本当に幸せだったのだ。
縁側に腰掛ける。もう大丈夫だ。きっとこの桜は、新たな場所でたくさんの人に愛されるだろう。自分はその未来を繋ぐことができた。役目を全うできたのだ。
「……月島さん?」
目を閉じれば、あの夜の月が心に浮かぶ。
春の陽気に身を任せ、老木は穏やかな眠りについた。
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