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水面が荒れないように。震動で水が零れないように。できるだけバケツを平行に保ちながら、月島は家へと急いだ。魚を見ると、ますます身体が小さくなっているのが分かった。
「頑張れ、もう少しだけ耐えてくれよ」
身体を失っていく月光魚を見ると心が痛んだ。自分が変わってやりたいと思った。せっかく今夜出会えたというのに、ものの数十分で消えてしまうなんて。そんなの、あまりにも無情ではないか。
家に到着する。庭の方には鉢植えの小さな桜の木があった。花も葉もない質素な見た目だ。
昔、木には精霊が宿ると聞いたことがあった。植物の根は水を、養分を吸い上げる。ならばこの桜に月光魚を注ぐことによって、生ける桜に存在を宿すことができるのでは。月島はそう考えたのだ。
月光魚はもう金魚ほどの大きさになっていた。それでも何とか間に合った。月島は問いかける。
「ここにお前を移そうと思うんだ。そうすればこの桜に宿れるかもしれない」
か弱い魚は何も言わなかった。それでも月島には確かに感じ取れた。任せる、という意思が。
零さないよう、慎重に両手でそれを掬い上げる。そして、そっと月光魚を浮かべた水を、その桜へとかけた。金色の水は樹皮を伝い、桜に、土に染み込んでいく。
バケツに視線を戻すと、もうそこには何も浮かんでいない。
これで、よかったのだろうか。
「あ……っ!」
不安に思っていると、目の前の桜がほんのりと輝き始めた。目に優しい月の光。無事に宿ることができた、という月光魚からのメッセージだった。嬉しさが胸いっぱいに広がる。ぐっと拳を握りしめて言った。
「じいちゃん、やったよ俺」
月島はやっと張り詰めていた緊張を解いた。無我夢中で気付かなかったが、身体が驚くほど熱くなっており、玉のような汗をかいていた。
「これからよろしくな。月光魚、いや今はもう桜だから……」
月光魚を宿した桜の木。
この不思議な夜に出会った友達を、彼は「魚桜」と呼ぶことにした。
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