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 丸木の入院している病室は四人部屋だが、ひとつは空きになっているので、三人の入院患者がいる。  最初は差額ベッド代を要する個室に入っていたが、広い部屋に一人はあまりに寂しかったため相部屋のほうに変えてもらった。  カーテンを隔てて横の病床に入院しているのが、50代の佐伯という男で、交通事故で胸部と大腿骨を骨折し、リハビリをしている。  丸木の斜め前のベッドに入っているのが、どうやら90代近い男のようだが、だいたいいつもカーテンを閉め切っている。この男が何者なのかはよくわからないのだが、佐伯が言うには、どうやらどこかの寺の坊主だった人物らしい。  丸木はこの坊主と少しだけ会話をしたことはあるが、ひどく無口な人間で、聞かれたことには答えるがそれ以上のことは自ら進んで喋ろうともしない。同室に居ながら、すぐに疎遠になってしまった。  病院の夕食は早い。  午後五時からそれぞれの病床に、アルミ製のお盆に乗ってプラスチック製の食器に盛られた食事が配膳されてくる。丸木の以前の生活ならば、ようやく起きて遊びに出かける時間帯だ。  本日のメニューは、サバの塩焼き一切れ、わかめのみそ汁、ホウレンソウのおひたし、ヨーグルト一個。  配膳が終わると、斜め前の老いた坊主は合掌して目をつぶり、何やら短い呪文のようなものを唱える。  丸木は、その呪文の意味を尋ねてみたことがあるのだが、ずいぶんとややこしいことを坊主は説明した。もちろん丸木の頭には残らなかった。  サバの塩焼きをかじる。塩焼きというものの、ほとんど塩気はなく塩分は極めて控え目となっている。それはみそ汁もおひたしも同じで、まさに病院食というものだった。  このサバはどこで獲れたものだろう、このホウレンソウは誰が栽培したものだろう。  かつての丸木は、世界中から集まったうまいものを食っていた。  フランスのワインやフォアグラ、スイスのチーズ、オセアニアの子羊の肉、空輸されてきた広島の牡蠣など。  今食べている病院食は、それと比べればずいぶんローカルなものになっているに違いない。味は言うまでもなく、高脂血症を患うほどの生活をしてきた丸木にとっては、量も圧倒的に足りない。  病院食は、病院内で調理しているのではなく、給食の業者が時間通りに運んでくる。患者の病状に合わせて献立は変わるらしい。  ずいぶんと手間のかかるものだ。丸木はそんなことを思った。
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